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海外ノマド、急遽ベトナムを離れることになった。私はベトナムにいたかったわけじゃないかもしれない

現在ベトナムのハノイに住む海外ノマドの私は今年諸事情で転職して、ベトナム企業で働いていた。元々は大学講師をしていたが、契約が切れて、なぜかベトナム企業の日本語講師となった。
それはそれで珍しいパターンなので、ちょと面白そうと仕事を始めた。

けれど結局労働許可証が取れないとなって、又急遽ベトナムを離れることになった。理由はもちろん、仕事の関係だが…私は結局ベトナムが好きだったのか好きじゃないのかすらもう分からない。
そんな私のベトナムは…



ベトナムは日本の人には住みやすい


ベトナムは日本みたいに暮らせるなと思うことしばしばあった

コンビニもあるし、コンビニには日本のものも多い。レジ前に肉まん(風?)もあったり、日本のお菓子も色々あって,そういう些細な部分でも日本に似ていて、暮らしやすい国だよなと思っていた。もちろんこれは大都市に限るかもしれないが、コンビニはある程度地方にもあって、こうして日本のものも置いてあるかもしれない。

私はベトナムが好きだったのか

私はこの国が好きでいたかった。この3年、この国の人たちのためには自分は何ができるかなって考えた。でもやっぱり人の国で役に立つのって難しい

色んなことがあって、本当に辛い3年だった。でも充実していた。

人生でこんなに忙しい日々もなかなかない気がしたし、寝る時間しかなかったような日々だった。たまに息抜きはしていたけど、友達がいて遊びに行ったり、なんてことは少なかったし、転職をしてからは本当に一人だなあと感じることが多かった。

そんな中で、週末は予定が3つもあって、もうすぐベトナム離れると言ったら、残念がってくれる人もいたり

「又戻って来たら…」
なんて言ってくれる人がいたりして、ちょっと背後が引かれる思いもあるけど、実は「もうここはいいや」って思うのだ。

でも、ここから完全にいなくなると思うと愛しく感じる部分もあって、ちょっと切なくなる。ここはある意味住みやすくて、住みにくい。みんな良い人だけど冷たく感じるのだ。

ベトナムでの私

私はずっとベトナムで仕事に対して「熱心」と言われてきたが、私はただ結果を残したいだけだった。

前の職場でも「熱心」と言われて、でも結局最終的にはたくさん裏切られた気もした。でも昔ならそういうことでたくさん悔し涙を流して来たけど、今はどうでも良くなった。

転職したけど、やっぱりダメだった

そして大企業勤めなんて性に合わないことを経験して、やっぱり合わないと既に身体が悲鳴をあげて

それでもやっぱり今も「先生」って呼ばれている…本当はことの名前から少し逃れたくて、会社に来たけど、やっぱり先生だ。

そして結局私はこの会社をある意味去ることになった。それは会社の新しい部署に入ったため、労働許可証がまだおりないということになったのだ。本当、そういうことを整えてから、求人して欲しい。

実は会社に通いながら全オンライン授業をしていて、それで
「それならベトナムにいなくてもいい」

となった。なんでも急に決めるから
急な引越し
急な手配で、お金もかかる

そんな状況だったので、実はベトナムに焼肉に出されたにも関わらず、毎月更新する委託業務みたいな感じで仕事をしていた。

そんな落ち着かない状況で、外国で仕事するなんて、ありえない。落ち着かない状況の中仕事するのも辛かった。

オンラインだから、社内では人に会うけど、出社して会議室などで一人で仕事

なんともシュールだ
家を7時前に出て会社到着が8時半。帰りも1時間以上かかるから、日々3時間くらい損している気がして、そういうこともとても嫌だった。

出社するのにオンライン?

毎日毎日オンラインなのに出社して、それなのに労働許可証取れないからと国を追い出されるような気持ちになった。

けれど…
「熱心」と言われる私のクラスは、余裕がある人たちはオンラインじゃなくてオフラインで私のいる部屋に来て授業を受ける。

そして週末は日本語カフェ会を開いている。私も既に今までの経験上知っている。オンラインは便利で、何処にいても勉強できるけど、効果は絶対半減している。

これって証明できていないけど、いつかそういう実験してみたいと思う。(これが私の本来の姿…すぐ研究や調査したくなる。

私はどうしてベトナムにいるんだろう?

そんな中気がつくのだ。

私はベトナムにいたいのではなくて、できれば大学という期間で研究したり、調査したり自分のための学べる場所を探しているのだ。それでたまたまやって来たベトナムで、普通に企業に勤めていたら、本末転倒じゃないか。

大事なことはどこでではなく何がしたいのか

別件で、ある企業の方にもちょっとビジネス的なお話しを持ちかけられ
「会社に入ってやる気があるか?」
と問われたことがある。

いや…ある意味それって医者や弁護士が
「自分の企業に入って、社員としてそのビジネスやる気があるか。」
って聞かれているのに、少し近いのだ。本職をしながらならするけど、転職はまだ無理だ。

自分の専門のために10年間、遊びもしないで、時間とお金を費やして来たのだから、それはさすができない。

そしたら
「同じ熱量じゃない。」と言われた。覚悟がないように思われた。

10年…長いのだ。ずっと机の前で勉強して、今の仕事の為に修士3つ修了して(修士論文3本書いて)博士号取得して…

そういう人にそんな説教じみたこと言う人…

自分の専門を追求したい

そういうのもこの国が嫌になった理由だ。私の目的は大学で働くことで、研究を続ける事で、決してベトナムに住みたいということが1番大切なことではない。だから私は自分で次の場所を探して行く他ない。

本当、博士に見えない博士だし、博士号は資格であって、役職ではない。日本なんて、それこそ少し前の世代なんて博士号は持っていないけど教授や准教授の人も多いが、私にしたら、これはその大学での役職だって認識している。

理系なら、博士号を持った会社勤めの人もいるし、会社の専門家や今ではタレントだって大学の教授や講師にだってなれる。そんなもんなんだが文系の博士は本当にその先の就職なんて本当にない。今の会社は修士すら恐らく必要なかった…。

確かに、ベトナムの大学も修士は必要でも、博士号必須ではなかった。そういう意味でも、本来今の職場じゃない自分の専門を生かせる職場を探さないといけないなあと思うのだ。

なんてこの先の進路を又なんとなく考えつつ…

ベトナムを離れる…


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