見出し画像

人生最悪の日々を過ごしたトラウマについて考え直そうー3ヶ月後に人生を終わらせると決めた【5日目】

私は…3ヶ月後に今の人生を終わらせると決めた。そんな3か月を綴る日々


【5日目】
人生最悪の日々を過ごしたトラウマについて考え直そう

まずはここまでの経緯はこちら

私がどうして、あと3ヶ月だ人生を終わらせようと思ったのか。それは私の持つトラウマにも関係する。

私の表向きの人生を見ている人たちは私の人生は自由で羨ましいと言う人もいるが、裏ではたくさんの苦しみも悲しみも、困難もあった。
特にここ数年の困難は誰に言っても

「よくその環境にいられましたね。」

と言われる。
その時のトラウマが今でも続いているのだ。だから今はある程度問題のない人生に見えても、このトラウマから逃れることはできない。

私が今いる国に来た時、世界はパンデミックだった。あの時期のせいで世界は変わった。自国にいたって大変な時期で、あの時期に自死してしまった人も多い。

キラキラ輝く世界で皆んなに夢を与える人たちが多く自死を選んだ。そんな時期なのだ。
私はそんな時期に仕事の関係で行ったこともない、言葉も分からない、文化も知らない国に移動した。

移動した瞬間から
日の当たらない部屋で2週間隔離、隔離が終わったらロックダウンとなり、職場内で隔離、その後何も分からないその場所から出ないといけなくなり、誰の助けのないまま、1日でアパートの貸し部屋を探して、オンラインでの仕事が始まった。

色々端折るが、1年の契約で1年の海外滞在で、オフラインだったのは6週間。その前にバイク事故に遭い、オフライン中はずっと松葉杖で生活、結局その時期はその時期で外出できない状態だった。

松葉杖が必要なくなったら、又ほぼロックダウンになり、オンラインでの仕事になった。そして、職場内で誰もいない中隔離状態となった。
職場は広かったので、小さい部屋に閉じ込められているだけと言うわけではなかったんだが、誰もいない職場では、お店も食堂も閉まり、日々の食事も大変だった。

職場の周りは何もないし、仕事が終わって1キロ以上離れたスーパーに行く時には夜で、その道中には電灯もない場所もあり、バイクがないと週末しか行けないような場所にあった。

だからなかなか食材も揃わないし、好きな物なんて食べられない、その日にあるものを食べるしかないような生活を数ヶ月することになった。
デリバリーなども禁止で不公式なデリバリーなどはあったみたいなんだが、全部その国の言葉で何も分からない、情報も入ってこない。

市内から30キロ離れたその場所には誰もいないし、誰も助けてくれない。言葉も分からないし、色んな外のサービスも分からない。

だからあるものを食べると言う感じで毎日
「あれが食べたいな。」
「これが食べたいな。」
と思うようなひもじい日々を過ごした。

水もないので守衛の所の水を毎日貰いに行くと言う生活だった。大きなボトルを持っていなかったので、小さなボトル23本に毎日水を入れに行くと言う生活だった。

洗濯機もなかったので、全て手洗い、住んでいた部屋は寮で、2段ベッドが4つあって、勉強机があって、ゆっくり座る場所さえもなかった。虫もたくさん出るような、シャワーとトイレが同じ場所にあって・・・女性には辛い環境だろう。

オンラインでの仕事は誰もカメラも付けないで、1人でカメラを付けて仕事をしなければならなかった。カメラ越しに見える、自分の顔。だからいつも笑っていなければいけなかった。
知らない国で、知らない場所で、言葉も通じない、まともにごはんも食べられない…。あの環境で、笑顔でいるのはつらかった。

結局、数ヶ月まともに誰かと会ったり、話したりすることもなく、夜になると職場を散歩して時を過ごした。

部屋には色んな虫もネズミもいたし、職場にはあひるもいて、職場の外には牛がたくさんいた。けれど人はほぼ守衛さんだけで、皆英語もできず、通じ合えない日々を過ごしていた。

そんな日々を過ごしている間に、幻聴や幻覚も見るようになった気がする。スピリチュアル系なことなど全く信じないのに、たくさん変なものに遭遇したり、変なものを見たり、もうここ何年か見てもいなかった夢も見るようになった。

まともな思考ではなかったけれど、家に帰ろうととかすら思えない、その場所から出ることができない、交通公共機関すらない、結構シュールな数ヶ月を過ごした。

毎日誰もいない職場で空を見上げ、過ごしていた。色んな意味で、衣食住すらまともにない日々を過ごすような日々は、人生でもそんなないような気がする。

そんな時期に大切な出逢いもあった。こんな大変な時期に来たこの場所で、なんでここに来たんだろうと思ったけれど、それが運命じゃないかと思う、そんな出逢いがいくつかあった。

私は自由に生きていて出会いも多く、スピリチュアル同様、運命なんてことも信じない。けれどそれでもこの何も分からない、知らない国で、運命なのかなあと言う出逢いがあった。

けれど運命は残酷で、この誰もいない、1人で生きているような状況で更に孤独にさせられるようなことばかり起こった。

約束をしても、その約束を全く守らない、そんな人にも会った。
例えば「ご飯に行こう」なんて言っても、そんなことは約束でもなんでもない

言ったことがほぼ守られた事はない。
守る…いや元からそれは約束でもなんでもないんだろう。

その良い加減さで3年。約束は守られたことほぼない。そんな人もいて。

それがこの国に来て以来ずっと続いていた。
何か言って、それを行動に移された事は、あまりない

そんなことが重なっても、職業柄私は頑張ってそこにいるようにしていた

でも、どんな職業でも元は人間。人間には感情があり、なんでも受け入れられるわけじゃない。

よく考えたら…私の周りにはかなり酷い人たちがいる

チャットして、都合が悪いと消える

消えると言うか、連絡なくなる

既読しない
既読スルー

全く連絡なくなる。良い加減な人と言うのではなくて、人を軽視し
自分の弱さで人を平気で傷つける。だから何か約束をしようとも
何か決め事をしても、自分の都合で、相手のことも考えず好き勝手する

それを、自己中とか自分勝手なんて言ってしまえば良いが、それはただの弱い人間だって思う。だから約束しても待つことはやめた。

この国に来て、色んな気持ちを無くした。それはコロナ禍のせいもあるが、こう言う人間関係のせいもある。熱心と言われるが、でも、もう

何も期待しない
欲もない

そんな感じになってしまった。なんだか虚しいけど、生きるのは楽になった。誰かに期待したり、待ったり、イライラしたり…それって相手のことを思っているからだと思う。どうでも良い相手なら、そう言う人たちには会いたくないし、会おうとも思わない。会うのは何か目的があってのこと。

そんなものだ。

そして、そういう風にいなくなる人もいれば、とにかく重いっ気きり突き放すような人にも出会った。

普段ならもう少しドンと構えていられたのだけれど、こういう人にも会えない状態で、会える人との交流がとても重要な中、自分都合で

「君なんてもうどうでもいいんだ。」
「君とは距離を置く。」
「もう君とは会わない。」

と突き放される言葉を吐く人もいた。こういうひどい言葉をたくさん浴びて、ただでさえ孤独の中で、こう言う突き放される言葉を聞くことは本当に辛かった。

なんで今更こんな試練が起こるんだろうと思った。
誰もいない環境で、頑張って笑って仕事しながら、そこにいる理由も分からず、自分がただ普通に生きていることすら大変で、そんな中、更に孤独誰かに完全否定されるような言動が何よりも辛かった。

そこに行く前私は必要なものを全て持っていた。慎ましいながらも、普通の穏やかなな生活を送っていた。家族も、家も、友達も、生きていけるだけの仕事もそれは私の人生の中で初めてのことだった。日々の食事も困らなかったし、コロナ禍でもその中で工夫をしながらちゃんとおいしいものを食べたり、好きなものを観たりすることができた。

ずっと波瀾万丈な人生で、私は色んなことから逃げるために、色んな場所を転々として生きていたのだ。けれどやっと穏やかで平和な人生を手に入れることができた。

そんな穏やかな日々を置いて、私は別の国に行った。これもやっぱり又何かから逃げるためだった。誰も私の連絡先を知らない、住居を知らない場所に行ってしまおう。そすることで過去から決別しようと思っていた。
私にとって自国には居場所もないし、そこから逃げるしかないのだ。
けれど、誰も知らない、そして自分も言葉も文化も分からない国行ってしまったら、パンデミックに遭い、まともな生活もできない、誰もいない孤独になってしまった。

元々孤独に慣れていたはずなのに、まさかこの新しい国でこんなことになるとは思わずに、身体的にも辛く、精神的にも突き放され、兎に角ボロボロになってしまった。

逃げちゃいけないんだろうか

小さな幸せを望んじゃいけないんだろうか

誰かに認められたい、生きている意義を見つけたいと思ってはいけないのだろうか

誰かの大切な人になりたいと思ってはいけないのだろうか

そんなことを考えながら、知らない国で1人で過ごしていた。

それからやっとオフラインで普通の生活ができるようになった時には、かなりの時が過ぎていた。

それからなんとなく平和な日々が戻ったようにも見えたが、私はボロボロだった。

だからその後職場に戻る時には大きな覚悟が必要だった。何も考えないでいられるように、兎に角忙しい日々を送っていた。考える時間がなければ、問題ないと思った。

忙しい日々の中、フッと色んなことを思い出したり、夕焼けや夜空を見上げるとあの頃のことが思い出されて苦しくなるのだ。

トラウマから逃れるため、日々忙しく生きているが、ふっとした瞬間にトラウマで息ができなくなり、倒れそうになるのだ。

それでもあのパンデミックから、今ではすっかり元の日常が戻って来たような気がする。けれど壊れたお皿が元に戻らないように、人の心もそう簡単に元には戻らない。

私は今忙しく働いて、やりたいことは何でもしている。充実しているけれど幸せかと聞かれたら分からない。

私はもう、周りの人たちのせいで、何も期待しなくなり、何の欲もなくなって、生きているのは楽になったけど、人生が白黒になってしまったようにも感じた。

だからもう小さな幸せも望んでいないし、誰かに認められたいとも思っていない。誰かの大切な人にならなくても、誰かにどう思われても、何もかもどうでもいいのだ。

そう、何かを望んだり、期待したり、希望があるから人は頑張れるだろうし、未来に向かって歩ける。

でも今の私にはそう言うものが何もない。誰かに期待したり、何かを望んだりしなければ、人生楽になるのだ。

期待するから悲しくなったり、負の感情が生まれるのだ。

だから私は誰にも何にも期待したり望んだりしなくなった。

どうでもいい

何もかもどうでもいいのだ。

自分が誰にどう思われようが、どう扱われようが、それすらもうどうでもいい。

一生懸命働いて評価されなくても、感謝もされなくても、どうでもいい。

誰かに認められなくても良い。

自分が無でいい

自分が誰でなくてもいい

そして他人が何をしようが、何を考えていようが、どうでもいい

そんなふうに考えるようになったら人生が楽になった。

人生が楽になったけれど、それだけなのだ。

そしてそのせいで、欲もなくなり、誰かに会いたいとか、何処に行きたいとか、そう言う気持ちすらなくなってしまったのだ。

例えば誰かを好きならその人に会いたいと思うのが普通だと思うが、誰かを好きと言う気持ちもないし、誰かに会いたいと言う気持ちもなくなった。

ただシンプルに必要最低限のものを買って、偶に可愛いと思う物を買うが、これは自分を高めるため。

こんな風にこれから先10年、20年なんて生きていたくないのだ。

だからこの人生を終わらせても良いかなと思ったのだ。

自分の好きなことをして生きているなら、運命とか神とか信じないなら、自分で自分の人生を終わらせるのが良いと思ったのだ。

考え方が後ろ向きかもしれないが、私はかなりポジティブだ。人生のどん底で死んだら悲しいけれど、全て真っ当したと思って、もう生きていることが十分だと感じたら、その人生を終わらせても良いんじゃないかって思うのだ。


★この話しはフィクションでもありノンフィクションでもあります。
決心はしたので、これから3ヶ月、リアルな状況を綴っていこうと思っています。ただし、3ヶ月後にどうなっているかはまだ分かりません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?