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Webの仕事に関わりながら、育児に奮闘中。 思春期に人並みの道から外れた日々を送ってい…

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Webの仕事に関わりながら、育児に奮闘中。 思春期に人並みの道から外れた日々を送っていたせいか、毎日思考がざわざわとうるさい性分。せっかくなので、考えたこと・感じたことを頭の中だけで完結させないように、なるべく言語化して外に出す訓練と思考のアーカイブ化を目指します。

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子供への「信頼」と「信用」

以前テレビを見ていて、子供への「信用」「信頼」はこうある方が良いという話を聞いたことがありました。どっちがどうだったか、そもそも信頼と信用の違いがわからずごちゃごちゃになっていて、いつか調べようと思っていました。 たまたま思い出して調べてみたらこんな感じです。 【信頼】無条件に信じること 【信用】条件つきで信じること そうか、「信用」は例えるならお金を借りることを想像するとわかりやすい。一定の収入があるとか、ローン完済したことがあるとか、実績がなければお金は借りられませ

    • 会話の質と人生の時間を共有する価値

      子供の運動会でのこと。 同じクラスのある女の子のパパ、ママが2人で来ていて、私の隣で子供の様子を見ていました。2人はにこやかに、男の子って違うんだねーとか、うちの子はこんなだねーと、会話をしていました。 きっと普段から、こういう会話がされていて、些細なことでもお互いに思っていることのキャッチボールをしているんだなぁと思ったのです。 私はというと、現在一緒に住んでいないパートナーとは、一緒にいた時でさえ些細なことのキャッチボールができませんでした。少なくとも自分はそう感じてい

      • 我慢するか、一緒に楽しむか

        寝かしつけと同時に寝てしまう日々。やりたいことができない、食べたいもの(主にデザート系)を我慢する。寝かしつけが終わったら食べてやるんだ…!と内心意気込んで部屋に入ったものの、目が覚めると2時とか。あー、これはもうアウトだ…と大体消費期限が過ぎてから慌ててコッソリ食べる。そんなことばかりです。 そして、寝かさなければの気持ちが強過ぎて、9時から絶対見たいと思っていたものの録画予約を忘れました。 昨夜放送の金曜ロードショー「葬送のフリーレン」初回。すっかり忘れていて、朝が来て

        • 日記をデジタルで始めてみる

          日記を紙で書くか、あるいはデジタルで書くか。 認知的には、紙に書く方が後々のことも考えると良いだろうと思うけど、いつでもどこでも書けることを考えると、やはりデジタル(このnote)が最適な気がする。 なんで日記なのか。毎日鬱々とした気持ちが抜けず、心休まるのは子供達が寝た後の布団の中だけ。暗く灯りを落とした中で、煌々と目の前のディスプレイだけがチカチカと光っているのは、明らかに健康的とは言えない。できることなら明るいところで、イヤホンではなく音源から空気の波長で伝わった音で

        子供への「信頼」と「信用」

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        • 子供との暮らし
          4本
        • 思考アーカイブ
          10本
        • 日記
          2本

        記事

          移り変わる、思い出を一緒に作る人

          Googleアカウントの容量がいっぱいになってきたので、Googleフォトのデータを整理していたときのこと。昔から今に向かって、いらないメモ代わりの写真をゴミ箱に入れながら、思い出となる写真も当時のことを思い浮かべながら、またこの時のように友達と旅行に行きたいなぁ、なんてアルバム整理をしていました。 でもふと思ったこと。友達も私も、家庭を持ち、子供がいて、多分「旅行に行きたい」「思い出を作りたい」と思う第一の存在は変わっているはずだと。また昔のように、お金を出し合って、行き

          移り変わる、思い出を一緒に作る人

          「大事」の気持ちは男も女も同じ

          久しぶりの投稿になってしまいました。 新型コロナのオミクロン株のおかげ(せい)で生活面の疲弊がすごくて、ネタすら思いつかなかった1ヶ月ほど。 そんな中、少し余裕が出たので、Amazonプライムビデオで「天官賜福」というアニメを見てみました。最初はPinterestで色々画像を見て回っている時に、すごく綺麗だと思えるイラストがあって、これはなんだろう?と思っていたんですが、ピンを見てるうちに作品名がわかって、アニメをアマプラで配信していることを知りました。 原作もアニメも日

          「大事」の気持ちは男も女も同じ

          小学生時代の思い出に「もしも」を描く

          もしもあの時、ああしていたら、ああしなければ。 そんなふうに思うことは、多かれ少なかれ、誰しもあると思います。 25年以上前ですが、苦しい思春期の中で忘れられない男の子がいます。ここ最近まですっかり思い出すことはなかったんですが、noteを始めて、これまで何をどう考えてきたか記憶の中を深掘りするようになってから、印象的だったその子のことを思い出していました。 小学生の当時、私は不登校児で自分のクラスに行けず、保健室に行ったり特殊学級に行ったりとフラフラしていました。不登校

          小学生時代の思い出に「もしも」を描く

          私の過ぎ去った思春期と、いずれ来る息子たちのその時

          もう3年くらい前のことになります。 当時一緒に働いていた女性スタッフの同僚とお昼ご飯を食べに行ったとき、子供の話になりました。 同僚のお子さんは高校生と少し大きくて、私の方はまだ幼児という年齢差があるなか、今のうちの子はこんな感じ、とお互いの今の子育ての悩みやぶち当たっている壁やなんかを話していました。 私は、子育てに関しては後発になるので、先輩ママの話を聞くつもりで、思春期の子供とは?と想像しながら聞いていたのですが、そのうちに自分自身の思春期の頃を思い出していました。 自

          私の過ぎ去った思春期と、いずれ来る息子たちのその時

          「33年後」にまた同じ光景を

          2001年にしし座流星群が大出現してから20年。その大出現のとき、私は旧大岡村のアルプス展望台にいました。 高校生の私は、化学科担任の先生たちが参加者を募っていたしし座流星群の観測会に、友人たちと一緒に参加することに。 観測地まで向かう道中は、どれくらい見れるかなぁ?なんてワクワクした気持ちでいたと思います。 11月中旬、晩秋の寒い夜中なのでどうやって見るのかと思っていたら、先生たちが何と野外にこたつを設置。新鮮過ぎて唖然としましたが、暖かいこたつで寝っ転がって見た空にはか

          「33年後」にまた同じ光景を

          「読書恐怖症」と「長編小説」

          「読書恐怖症」って聞いたことありますか? 私は中学生くらいからなのですが、本を読むときにどうしてもスラスラとスムーズに読むことができません。 読んでいて内容は理解できているのに、うまく読めていない気がして、同じところを何度も何度も繰り返し読んでしまうのです。 例えていうと、蛍光マーカーとかで線を引くときに、真っ直ぐ引きたくても波打ったりすることがあると思いますが、それで歪んじゃったなぁなんて思っても、大抵はそのままでも全然平気だったりします。 でも私が本を読んでいるとき、

          「読書恐怖症」と「長編小説」

          人との縁が遠ざかってゆくその時に

          ひとつの会社に留まって15年以上経ちますが、その中でたくさんの仕事仲間と出会って一緒に仕事をして、そして離れてゆく経験を何度もしました。 小さい会社で、代表も含めたほとんどのスタッフと、顔も性格も言動の癖も知った仲になることが多くて、割とお互いの個人的なところまで話すことは多い社風なんじゃないかと思っています。(勝手にではありますが) それでも15年以上もいれば、考え方の違いとかやりたい方向性が変化していったりという様々な事情から「今の場所から離れて新しい場所で再スタート

          人との縁が遠ざかってゆくその時に

          4歳児から突如飛び出したイタズラな質問「生きてるってなぁに?」

          とにかく「なんで?」「〇〇ってなぁに?」攻撃を繰り出す年齢というものがあります。我が家には4歳の男子がいるのですが、ここ最近彼はそれがブームになっているようです。 今日もいつものように、本当は知りたいわけじゃないんだけど、質問すること自体が楽しくなって「なぁに」の連続技が始まりました。 途中から面倒臭くなるものの、適当に答えて真に受けられても困るので答えていたのですが、「生きてるってなぁに?」とニヤニヤしながら質問してきました。 一瞬「生きてるっていうのはー、」と答えよ

          4歳児から突如飛び出したイタズラな質問「生きてるってなぁに?」

          ただ消費されるだけの作品にならないことの凄さ

          テレビアニメ「鬼滅の刃」遊郭編 第一話を見ました。Amazonプライムでも配信しているので、iPhone SEの小さな画面で夜な夜なコソコソ見たんですが、映像が想像以上でした。 遊郭の街並みの奥行き、華やかな障子の柄の作り込み、タイムラプス的な映像の再現。数年前までのアニメの感覚とは違うなと、魅了されました。 昔のアニメを振り返ってみると、ただ消費するだけの量産品のような扱われ方をされていたように改めて感じます。1990年代の頃が一番そういった傾向があったかなぁと勝手に思

          ただ消費されるだけの作品にならないことの凄さ

          「継続」という名の努力が苦手な自分へ

          ずっと「継続」という名の努力が苦手でした。 こういう自分の思ったことの発信も、人に私の考え方を伝える続けることも、なかなかできてきませんでした。 その一方で、頭の中ではうるさいくらい喋りまくっていて、脳内の無限宇宙空間に自分だけの論理を組み立て、時には外的な要因から論理を一旦ばらして再構成して、そこから自分の考えをまとめて…を繰り返してきました。 もしかするとみんなそんな感じなのかも知れないのですが、何せ分かるのは自分の頭の中だけなもので、人が自らの考え方をどう構築して

          「継続」という名の努力が苦手な自分へ