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小学生時代の思い出に「もしも」を描く

もしもあの時、ああしていたら、ああしなければ。
そんなふうに思うことは、多かれ少なかれ、誰しもあると思います。

25年以上前ですが、苦しい思春期の中で忘れられない男の子がいます。ここ最近まですっかり思い出すことはなかったんですが、noteを始めて、これまで何をどう考えてきたか記憶の中を深掘りするようになってから、印象的だったその子のことを思い出していました。

小学生の当時、私は不登校児で自分のクラスに行けず、保健室に行ったり特殊学級に行ったりとフラフラしていました。不登校ではよくある感じです。(最近はどうかわかりませんが)
とにかく自由奔放、自分勝手と言っても間違いではない状態だったにも関わらず、周りの大人たちは手を焼いているだろうに、とても冷静に、でもあたたかく接してくれていました。

その時の居場所の中心は特殊学級の方がメインだったんですが、ある日、3歳年下の男の子が母親と一緒にクラスにやってきました。
初対面のその子にどう思ったかは全く覚えていないのですが、それからその子と私とで、学年は違うものの、一緒に活動をする日々が始まりました。
その子がどうして特殊学級に来ることになったのか、何があったのか、と疑問に思うことはあっても、聞こうとしたことはなかった(はず)と思います。
たぶん聞いてはいけないんだ、と思っていたし、あまり「ここにくることになった理由」は一緒に過ごす上で大事なことではなかったからです。
ただ、ここにいるということは、少なからず私と似たような「他者との関わり」とかそういうものに悩みがあったんだろうと思うと、ちょっとした仲間意識と呼べるようなものが生まれていたことは確かです。

毎日何をして過ごしていたか、教室での活動は記憶がないのですが、一つだけ、よく覚えていることがあります。
正午近くになると、学校近くにある河原に出かけて、いつも散歩している2匹の犬に会いに行くこと。少し記憶が曖昧ですが、これが私たちの習慣になっていきました。
動物が好きだったので、とにかく触らせてもらえるのが嬉しくて、毎日のように通っていました。
飼い主のおじさんとも親しくなって、お座りやお手をした時のエサをもらったり、リードを持たせてもらって一緒に走り回ったり、とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。

季節が少し過ぎてから、特殊学級の受け持ちの先生が、女性の先生から男性の先生に変わりました。
私はその男性の先生が苦手で、何かと反抗・反発していて、それにつられるようにその子も同じように最初の頃は割と反抗的な態度でした。
でも学年が上がり、少し経ってからだったか、反抗的だと思っていたその子が、先生と楽しそうにする姿をみせるようになりました。
私の苦手意識は、「異性の先生」というところにあって、なんだか受け入れ難い気持ちがあったんだと思うのですが、その子にとっては男同士、そんなことがなかったのかもしれません。
親しげにしていることが、私にとっては疎外感を感じてしまったんですね、なんとなく居場所をなくしてしまった気持ちになって、また学校に行かなくなってしまいました。
それからはまた長い不登校の日々。小学校卒業の頃のことは全く記憶がありません。

時を置いて、高校生になってから、それまでしてこなかった反動からか、ものすごく勉強の意欲が湧くようになりました。とにかく教わったことは吸収したいと意気込んで、ノートの書き込みも結構凄まじかったと思います。
確かそんな時だったか、偶然その子のお母さんと街でバッタリ会ったことがあります。その時話したことが、

「〇〇ちゃん(私の名前)が学校で勉強頑張ってるって聞いて、うちも今すごく勉強したい気持ちが強くてね。頑張ってるよ。」

同じように頑張っていてくれていることが、とにかく嬉しくて嬉しくて…その時の少しくすぐったいようななんとも言えない気持ちは、今も忘れられません。

振り返って思います。もしもあの時、その子と先生と、一緒にちゃんとクラスにいることができていたら、もっと違った今があったかもしれない。小学校の卒業までの時間もちゃんと受け入れて、その子と縁が切れることはなかったのかもしれない。
「不登校児だった」ということに後悔はないのですが、あるとすれば、時折クイズ番組で出てくる算数レベルの問題がわからず悔しさを感じる、ということくらい。
そのことよりもはるかに後悔を感じるのは、突然また学校に行かなくなったことで、その子との縁を自分から切ってしまったこと。私の心に生まれた「疎外感からくる寂しさ」に勝てなかったことです。

25年も経って今更ではありますが、もう一度あの子と再会して縁が繋がることがあれば、色々と話がしてみたい、と思います。(今の私が、また再び辛い局面にいるからかもしれません)
あれから今までどんなことがあって、大人になるまでになにを感じて過ごしてきたのか。頑張ってきたことや辛くて仕方がなかったこと、彼の人生で起こってきたことを、お酒でも飲みながら打ち明けあうことができたら…と。今はそんなことを思います。

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