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アラフォーが高校生主催のオンラインイベントに参加する。

SOGIというテーマでのお話会がある
とFacebookで見かけ、
インスピレーションで申し込んだ。
蓋を開けてみると、運営は高校生。
その日のゲストはいつも読ませていただいている
『パレットーク』

の編集長AYAさんだった。参加してみた感想を一言でまとめると

すごい!

です。
10代が殆どだったかな?
そのなかに混ざって
一緒にお話をさせてもらったり、
商品を考えさせてもらったりしました。

皆めちゃくちゃしっかりしてたことと
地味にびっくりしたのは
英語の発音がいい
ということです。

私も高校時代にアメリカに留学していたので
発音自体はよかったんだけど
人前で発言するときにいい発音をすると馬鹿にされる
みたいな感覚が合って、わざと日本語英語を使っていました。
それが今では逆にそっちのが恥ずかしいんじゃないかって
思われるほどにネイティブ英語がガンガン飛びまくる。
YES,グローバル!
それだけで目から鱗が落ちていきました。

そしてこんなにも人を「フラット」にみれること
違いを受け止めようとできること
それが極ナチュラルに、地盤として話がなされる
その状態に非常に感銘を受けました。

同時に、こういったリベラルな考え方というのを
年長者は若者から学ぶのだと確信しました。

もちろん経験の分だけ年長者が教えられることもある。
だけど、今の時代の今の感覚っていうものは
どうしたって後手後手になっていってしまうんです。
そして自分の信じていた歴史、積み重ねたものが
変化することがとても怖いと感じたりします。
だから若者を受け入れられないんだなと。

「だって私たちはこうしてきた」
「これが正しい道だ」

というモデルケースがあるし、
なにより誰しもが若者だった時代があり、
そして時代に抗い、切り開いてきたのだから。


少しだけ私の話です。

『リベラル』という言葉自体は前からあったようだけど、
それが日本で定着し
大学で『リベラル』と名のつく学部が増えたのは
ちょうど私が大学生の頃だったかなと思います。

「リベラルってなんだろう」

という漠然とした感想を持っていた当時。
それが何かは分からなかったけど
上司や先輩からの
飲み二ケーション
(この言葉すらそもそも10代は知らないかもね!)
所謂飲むことで腹を割って話すことなんだけど、
そんなものを断り始めたのも多分私たちの世代からだったように思う。

今ではもはやハラスメント扱いになったりするから、
本当に時代は変わるものだ。
し、きっとこれは私たちが声を上げたから
「当たり前」
になったのだとほんの少し誇りにも思えた。

きっとその時、
私たちは上の世代から
「何を考えてるか分からない」
「会話ができない」
「年上を敬わない」
とか思われていたのかもしれない。

それでも「嫌なことは嫌」
と言うべきだ。
という信念は間違ってるとは思えなかったし、
自分たちが世界の中心だと信じて疑わなかった。

当時の私は常になにかに怒っていた。
年上の言うことをただ迎合する先輩も
威厳を振りまき散らすおじさんのことも
まったく尊敬できなかったし
ただただ侮っていたように思う。
ましてや理解なんてしようとも思わなかった。
情けなく見えた大人たちを理解したいとも思わなかった。

それが若者というカテゴリーから抜け、
中年になった今、やっと分かった。
あの人たちにも「若者」だった時があったのだと。
そしてきっと同じように悩み
同じように怒り、同じように葛藤したのだと。

特に90年代から2000年代は価値観が大きく大きく移行した時期だ
当事者の私ですらほんの10年前、
セクシャリティに関して誰にも言うことはできない
と感じていたし
自分が本当に好きな人と一緒にいられる未来も
ましてや人から祝福してもらえる未来も
ありえない
そう思っていた。
(あ、だめだこの時のことを思い出すといつでも涙が出る)

それが、今はみえるんだよ。
信じられない。

話がそれました。

今私の望みは
(怒り散らしてた時代の私を知る人からしたら信じられないと思うけど)

人と仲良くしたい

どんな人とも仲良くしたい

ということなのです。
仲良く。
これ暴力になりうる

というのは先日私が参加しましたオンライン演劇
「未開の議場オンライン」

で言われてたことだけど
それは先日書いたnoteの内容の

「尊重」におけるA案を押し付ける「仲良く」
だったからなわけで
私はAとBと一緒になって作るCを
色んな人との間に、
コミュニティの間に、
世代の間に、
国との間に、
世界に、
作りたいのです。


長くなりました。
今の10代の皆さんは
違いを受け止められる世代
なんだなって強く感じたんです。
だから無理しない程度にお願い。

もし、自分の心に体力があったら
お父さんにも
お母さんにも
先生にも
街行く酔っ払いにも
それぞれに歴史があること
そんなものを念頭に置いてもらえたら嬉しいです。

私は中間の世代としてできることを考えていきたいと思っています。

最後にimI(イムアイ)さん


素晴らしい場に参加させていただきありがとうございました!


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