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言葉の人になりたくて

昨年の秋ごろからプロジェクトが炎上し、なんとかそのプロジェクトを終わらせたあとも、社内プレゼン資料や提案書を超短期でいくつも書かなくてはならない状況に陥り、まともに休む間もありませんでした。この3月になって、ようやく一区切りがつきました。

仕事が忙しくなって辛いのは、プレッシャーを受けるとか、寝る時間がなくなるとか、そんななかでも家庭との両立を考えなくてはならないとか、色々あるのですが、何よりも厳しいのは、本を読む時間がなくなることです。

もちろん仕事をする上で必要な本や、仕事の生産性に関係しそうな本は読んでいます。読まざるを得ません。頭が良い人のなんちゃらとか、解像度がなんちゃらとかいった本をAmazon Kindleで飛ばし飛ばし読み、読み終わったあと大抵は徒労感に襲われます。

ビジネス系の本から何か新しい気づきや発見が得られるケースは極めて少なく、今まで何となく知っていた、分かっていたことについて、言語化されたものに改めて触れることで、理解の定着度が上がるにとどまることがほとんどです。

もちろん、仕事にとってはそこそこ有効ではあり、資料作りや何かを説明するときの言葉選びのバリエーションが増え、スピードもアップします。私のプロジェクトメンバや、私がカウンセラーを担当している若手メンバに的確な言葉でアドバイスすることにもつながる効果もあるのかもしれません。

ただ、私は、他人からの借り物の言葉ではなく、できる限り独自性のある言葉をしっかり腹落ちさせて発したいと思っています。そのためには、あまり周りの人が読まないような本を読んだりして、独自の世界を私の内部に構築するような考える時間が必要となります。

私の場合は歴史に関する本、特に歴史小説を読んでそういう思考に繋げることが多いです。少し前までは、小説そのものの意義とは何かとか、もう少し範囲を広げた思考も試みていたりしました。

その時間が取れなくなり、私の発する言葉が月並みな、浅薄な、賢しらなだけなものになっていく。そうなることをひどく恐れていて、時にはクライアントに向けて話すときに言葉がうまく出てこなかったりもします。

塩野七生は何かのエッセイで、「人間にとって無駄なものは絶対に必要である」というようなことを書いていましたが、私にとって無駄だけど必要なものは読書であり歴史であり文学です。私が自分自身に対して持つ興味は随分となくなりましたが(「自分」なるものに対する私の考え方はまた追って言葉にしておきたい)、私の「独自性」というものが存在するとして、それを形作るものは、やはり言葉だと思うのです。

この3月は仕事の小康状態が続くと思われるので、私の中の言葉を豊饒にさせ、研ぎ澄ますための時間が取れれば良いなと思います。



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