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【天職だと感じた瞬間】私の場合

OLを退職し、旅人を経てライターとなった私が、歌うことを仕事にし始めて、今年で20年になる。ちなみに、ライター期間はとても短い。書くことが大好きだったにも関わらず、何かやりたいこととはズレている感覚があった。そして私は歌うことにした。幼少の頃から予定したきたことだ。

今、私はジャズ歌手をしている。
それを言うと「カッコイイ」とか「すごい」と言われることが多いが、自分でそう思ったことはただの一度もない。言うなれば、私にとって”歌う”ということは「研鑽」の延長線上にあることであり、今もその研鑽は続いている。

私は幼少期から音楽が大好きで、演奏することも歌うことも大好きだった。歌うことやエレクトーンを弾くことは日常の遊びのひとつだった。物心ついた頃には何かの曲を弾いていたし、歌っていた。ありとあらゆる曲を聞いたり弾いたり歌って楽しんでいた。お気に入りの曲はすべて、最初から最後まで通して歌えるようになりたかった。その気持ちは今でも変わらない。これは、私の音楽の原点だ。

幼少期から、私は歌うことを予定してきた。歌を仕事にするということを目標にしてきたわけではない。ただ、ずっと歌っていたかった。歌を中心に生活がしたかった。ずっと歌ってられるのなら、ひとりきりでも趣味でもいいと思っていた。自分が納得できるまで上手くなりたかった。

社会人になりたての頃、海外テレビ局のカメラマンと付き合っていたことがある。彼の部屋で聴いていた音楽があまりにも素敵で、ステレオから流れる歌声と一緒になって歌っていたら、ふと彼が「ヘイ、ノリコ。なぜ君は歌手にならないんだ?」と聞いてきた。歌手のなり方なんて知らないもの、と答えると、彼はアメリカ人特有の口振りで自信たっぷりにこう言い切った。

「そんなの簡単さ。人の前で歌えばいいんだ」

ステレオからはリンダ・ロンシュタットの”What's New”が流れていた。その時は、それがジャズ・スタンダードだったとは知りもしなかった。まさか自分が、この素敵な曲をステージの上で歌うことになるということなど、思いもよらなかった。

旅から帰ってきて、ライターの仕事が決まり、夕刊新聞の広告記事やインタビュー記事を書く毎日を送るようになった。何でもいいから書く仕事がしたいと思っていたのに、何かが違うような気がした。どんな内容であれ、書くことは楽しかったし好きだった。でも、何かが違った。

そうだ、歌おう。その時が来た。

そう決めたら、心の中でカチリと音がした。
それからの私の行動は早かった。それと共に運命の歯車が動くかのように、次々に出会いやチャンスが舞い込み、あれよあれよという間に私は人の前で歌うこととなった。

歌うと決めた時、私にはなぜか「うまくいく」という確信があった。それはまるで当然のように思えた。根拠はまったくなかった。未来のことは誰にもわからない。でも、根拠のない確信ほど確実な未来はない。私はそう思っている。

私は確信通りに音楽で生活できるようになった。
むしろ、その選択に人生が応援をしているかのように、どんどんパズルピースが合わさっていって、瞬く間にひとつの青写真を完成していった。

今、私はその青写真に彩りをつけていっている最中だ。その色合いはとてもカラフルだ。欲しいと思っていた色が手に入る頃には、もっと特別な色を目指している。色彩はどんどん豊かになる。その豊かさに終わりはない。

ふと、ああ私は今、私なんだと感じる時がある。まるでカメラのピントがピタリと合って、視界がくっきりと見えるかのように。

それは、楽屋がさまざまな楽器のアップの音に満たされている時。それは楽屋で譜面をさらいながら歌っていたら、いつの間にかギターも一緒になって演奏し始めた時。そしてもちろん、素敵な曲を最初から最後までちゃんと歌えた時。

自分自身を体現しているという感覚を覚える時、それはきっと自分の魂にとって正しいことをしているのだと思う。そしてそれがまさに、私の「天職だと感じる瞬間」なのである。

#私の仕事
#天職だと感じた瞬間

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