見出し画像

オホーツクに誘われて。

かつて付き合っていたある女の子は「お腹が空いたときは、食べたいものを画像検索して気を紛らわせるの」と言っていて、そんなことしたら余計お腹空いちゃうじゃん、と笑っていたのだけど、数年後思いもよらぬ形でそれに納得することになる。

村上春樹『遠い太鼓』『雨天炎天』『ラオスに一体何があるというんですか?』、東京するめクラブ『地球のはぐれ方』、池澤夏樹『ハワイイ紀行』、沢木耕太郎『深夜特急』シリーズ、角田光代『いつも旅のなか』、吉村昭『七十五回目の長崎行き』『味を追う旅』、金子光晴『マレー蘭印紀行』・・・、果てはマルコ・ポーロ『東方見聞録』に至るまで、気が付いたら、旅行記ばっかり読んでいる。
別に家で時間を過ごすことは苦じゃない性質、というかむしろ楽しんでいると自覚してすらいたので、自分の中の旅への欲求が食欲と同じく代替的行為を求めるほどに根源的なものだったというのは、一つの気付きであり驚きでもあった。

そんな数々の本の中で、心を捕らえられたのがこの一節。

 何年か前、知床半島のオホーツク側で流氷の海にカヤックで漕ぎ出したことがあった。
(中略)
 海面には平たい氷の塊がたくさん漂っていた。大きいのは大広間より大きく、小さいのは畳一枚くらい。その間を縫うようにカヤックを進める。
 氷塊に近付くと、水面のすぐ下に棚のような張り出しがある。波で洗われる部分は融解が早いから段差ができるのだ。近づきすぎてそこに舳先が乗り上げるとカヤックが傾く。転覆しては大変だからパドルで氷を押して開水面に戻る。それがスリリングでおもしろくて何度も試した。
 カヤックの海は静かだ。聞こえるのは自分のパドルの音ばかり。エンジンとスピーカーの発明以前、世界はこんなにも静かだった。
池澤夏樹『うつくしい列島』河出文庫, 2018, p19-20

なんてことのない文章だけどなぜかそのイメージが脳に焼き付いてしまって、毎夜繰り返しこの一節を読んでは、ベッドに入って目を瞑ると目の前に流氷の海が現れた。
酷寒の海に漂う流氷、果てしなく続く白の平原、無音の世界…。


そのようにして、ある日気が付くと僕は網走にいました。

何かを語るよりもまずは見てもらった方がよいと思うので、とりあえず並べます。

微かに聞こえる滝の音、遠くで鳴いているオジロワシの声、たまに走り過ぎていく車の音…、それ以外は無音の世界。波もなく、したがって完全に静止した氷の海。これが見渡す限り水平線の先までずっと続いているなんて、イメージしていた通りだけど、しかし想像をずっとずっと超えるものでした。

遥か昔からこの光景は毎年繰り返していて、ここにウイルタやアイヌの人々の暮らしがあったことを想像すると、一層感慨深くなります。それは感動的ですらあった…。

× × ×

こうやって書くとすぐにこの光景に出会えたように見えるけど、実は到着したときは全然でした。到着した日から南西の風が吹き始め、しかも引き潮で流氷が沖に流されてしまって全く見えず。ずっと曇っていて、冷たい雨や、時には雪まで降っていたのです。

線状に僅かに浮かぶ流氷(見えますか?) 海と空が曖昧に溶け合う

幸運だったのは、帰る前日の午後から再び北東の風が吹き始めたこと。この風は徐々に強まり、夜の間に再び流氷が戻ってきました(その代わり砕氷船は欠航しちゃったけど)。本当にラッキーだった…。

網走川
網走市と雲仙市はかつて焼きちくわの長さ日本一で争い、その交流から「ご両地グルメ」網走ちゃんぽんが生まれた。魚介のダシが美味しい
これは流氷じゃなくて港内の水路が結氷したもの。斜里漁港にて
流氷シーズンになると漁船は航行できなくなるので、陸に揚げられる。そのため、海の恵みに与れるのは流氷が去ってから。これを「海明け」と言うそう。美しい言葉
線路がずっと真っ直ぐに延びていた
網走監獄
白樺が美しいのだ
オホーツク流氷館
そして北方民族博物館。実は網走に行く前は司馬遼太郎『オホーツク街道』くらいしか読んでいなかったのだけど、ここが一番興味深く楽しかった。おすすめです
やっぱり食べたくなるラーメン
最終日の朝6時。流氷との出会いへの期待に胸が膨らむ


帰らなきゃいけない時間になってからようやくすっきり晴れてきて若干後ろ髪を引かれたけど、とにかく僅かでも流氷を見られただけで大満足でした。
網走、また来たいと思います。


最高に可愛い茶筒のおみやげ

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?