催眠療法―誘導・暗示のスクリプト、どう利用するか

本日は、少々…クライアントさん向けではないかもしれない。

癒されたい人というよりは、セラピストを目指す人や、自分をも癒し整えながら学ぶ人向け。

というのも、催眠療法の際の、催眠誘導の時・暗示を入れる時の”文言”について。

催眠療法士は、大抵、催眠療法スクールなどで講座を受け催眠誘導の方法や暗示文の作り方、年齢退行や前世療法の誘導時、まずはスクリプト(台本)で習い、学ぶことが多いと思います。

少なくとも、あまり口頭伝承のように習うことはないと思います。

催眠療法において、スクリプト(台本)は、いろいろな意味において実はとても大事。

しかし、それに関する教え方は、様々です。

私は、一番最初は「まずはとにかく一言一句違わずスクリプト通りにやろう。でないと危険が生ずる。完璧に覚えるまでまずは読んでスクリプト通りに。そして数をこなすこと。」という先生の元で学びました。

しかし、次に行った先生のところでは、
「スクリプト通りにはやれ。しかし、読んでいて良いから。」という、まあ、これももちろん数をこなして極力覚えろというところは目指す先にはあるでしょうが、そんな教え方でした。

そして、その次に巡り合った先生のところでは、
「最初は読んでいい。けれども、アドリブ入れていいし、原理原則さえわかっていればアドリブでいい。」

という先生。

これは…私はこれだけタイプを体験しましたからわかりますが、しかし、大抵の方は一か所のところで学びます。
ですので、どこで学ぶかによってその印象と受け取り方が随分変わってしまうだろうなと思うのですが…。
(それから、私は習ったタイプの順番が良かったでしょうね。逆だったら恐らく真意をうまく受け取れず、大変なことになっていたかもしれません。)

しかし、私がやはり気付いたのは、この3タイプの先生方、実は、全く同じことを言っておられました。


一言で言ってしまえば、武道で言う守破離と同じです。

催眠誘導や、暗示文のスクリプト(暗示文は原理原則をしっかりと理解した上でクライアントさんと事前面談をしながら作って自分で書くのですが)は、やはりまずは必須です。
なぜなら、誘導スクリプトがなければ、まあまず入れることはできません。

というのも、誘導は、やはり顕在意識にかける言葉、潜在意識にかける潜在意識に通じる言葉で、構成されているから。
本当に完全に勝手に作ってしまっても、誘導するのは難しい。
(私はそれを昔からやってしまえていたから自身で悩みの種であったのだが、学んでからやはりはっきりしたのは、私が昔からいつの間にかやってしまっていたパターンも、学んだスクリプトと面白いほどに、原理原則を踏襲した上で弾き出されたほぼ同じと言って良いほどの文章・順序でした。あとはエリクソン催眠のパターンと複雑に組み合わされていました)

そして、ここで更に大事なことを付け加えておくと、
誘導のスクリプトというのは、
実はその一言一句の裏にいろいろな理論があります。
確かに最終的に「変えてもいい」ところはあるし、このクライアントさんにはこっちの言葉の方がいい(寧ろ原理原則に従うとクライアントさんには向かない言葉もあるので)という場合は変えても良いわけなのですが、しかし、まずはその一言一句の裏にある理論(つまり原理原則)を知りましょう、というわけです。
一言一句の裏にどれだけの理論が敷かれたり組み合わされたりしているかを、知ってから、わかってから。

そして、これらの理論は顕在意識の顕在意識による顕在意識に対する授業でできる言葉の上だけでは、とてもではないが説明しきれない。難しい。
どれだけの理論があるか知らなくても、別に変えたって、その分の効果が多少薄れるだけだろう、と思う場合もあるかもしれない。しかしこれは警鐘が鳴らされます。
なぜなら、非常に単純にいえば、顕在意識の言語と潜在意識の言語は、大分違います。
スクリプトには、一言一句の裏にちゃんと理論があります。そして、下手をすれば、ひとつの単語や間(ま)ひとつも、計算に含まれている。
顕在意識の了見でこれを変えてしまうと、潜在意識にとっては全く違うように受け取られてしまったり、混乱のもとになってしまったり、逆効果になってしまう…しかも潜在意識というのは本当に深く計り知れぬ世界で、しかも本当に少しの暗示、少しの言葉や間で、大きな大きな変化が促されたり、たったひとつの言葉の使い方で大きく効果が変わったりし得る世界です。(だから催眠療法というのは効果が大きいのです)。
そのため、ほんの一歩間違うと、「危険」なのです。

だから、「原理原則」は、必ずしっかりと、できるだけわかっておく必要がある。
しかし、先程も書きましたように、原理原則は、必ずしも全て言語化した理論で伝えきれるものでもない。
そんな中、どうやって原理原則をできる限り伝えていくか。
これは、「数こなす」ことなのです。
それこそ、一言一句すらすら出てくるほどに覚えるまで、何度も何度も身体に落とし込むまでスクリプト通りやる。
…すると、これもある意味不思議なことですが、やればやるほど、スクリプトが自分の言葉となればなるほど、原理原則を、身体が理解してきます。
武道でも同じことをやはり言うかもしれませんね。
「頭」で解った気でいるうちは、まだ身体でつかめていない。原理原則はまだわかっていない。その間はスクリプトを抜けるな、というわけです。

ちなみに、誘導する時、「クライアントさんによって」ということを少し書きましたが、これが絡んでくると更に大変。
なぜなら、誘導文にクライアントさんの苦手なものや感情を揺らがす単語がもし出てきたら、それだけで大変なことだからです。
更には、クライアントさんにはクライアントさんの背景で(しかも認知の歪みを多く持っていたり人生脚本的に本人に不利なプログラムを持っていたりすると)、誘導というのはあくまで誘導者の言葉を「本人が」解釈し受け容れる「自己暗示」であるため、実は催眠療法士は、事前面談や催眠の説明をしている間で、クライアントさんの言語パターンや人生脚本分析も本来はする必要がある。
でなければ、暗示を、クライアントさんのパターン傾向で、違う形で入ってしまう、本人にも、セラピストにすら思わぬ形でクライアントさんの人生に影響を及ぼしてしまう可能性があるわけです。
…しかし、言語パターンや傾向、人生脚本分析とまでなると、通常の催眠療法士ではもうまず難しい話。
しかしながら、どんなに少なくとも、せめて、事前面談や催眠の説明をしている時に、クライアントさんにどの誘導が合うか程度のタイプ・傾向分析、そしてクライアントさんの背景で苦手なものや感情を揺らがす言葉が使うスクリプトの中にないかどうかを判断する…くらいのことは、できるようになっておきたいところです。
…しかし実は、これができるようになるためにも、まずはやはりスクリプトをアドリブにするようなところに頭をとられてしまう前に、誘導はもう「手段」でしかないものなので、しっかり事前面談や事前説明に力を使えるよう、言ってみればスクリプトに「預け」、本当に余裕が出てくるまで、そして本当に原理原則が腑に落ちてくるまで、スクリプトを読むこと、なのです。

何度もやっているとやはりどうしてもふとアドリブを入れたくなったりもしますが、しかしやはり、アドリブをしている分、原理原則が身体に染みこみ腑に落ちるのが遅くなる、ということも体験しました。
(ついでに言うと、どうしてもふと、アドリブを入れないと何かおかしいような違和感を感じてアドリブにしたくなる、という反応は顕在意識の反応です。そのため、その顕在意識の浮上は相手に伝わりクライアントさんの顕在意識も同じだけ呼び起こしてしまうことになり、妨げにしかなりません。セラピスト自身がしっかりと催眠下に入って行けば、結果的にそれがスクリプト通りであろうが”潜在意識の計らいで”アドリブが入ろうが、同質の原理で必然が起こりますし、両者そもそもこだわりなく無心状態=上述のようなことにいちいち気付きもしません)

教えてもらうというよりも、自分の潜在意識が身体を通して教えてくれるようになるまで、やれ、という、そんな次元の世界です。

私の最初の師が、守破離という言葉でも説明をしていたことがありました。そして、何より「守」が長い必要がある、と。
他2つのタイプの先生にもついてから、その意味が体感で良くわかりました。
「守」を本当にしっかり温めないと、うまく「破」れません。「守」をしっかりと温めることで、「離」る時にも、大きく大きく深く深く羽ばたくことができます(羽ばたくに「深く」は表現がそぐわなかったかもしれませんが)。
「守」が本当に温まっていないでつい「破」や「離」に行こうとしてしまうと、うまくいかず中途半端に、しかしなぜか結局おかしな形で「守」周辺で留まっている、だけれども「守」もうまく行っていないので結局セラピストとしては危うく自信もどんどんなくなり不安ばかり育ってくる、そんな自分を発見するようになります(実は私自身がそこに行きかけたことがある)。

だから、何より良いのは、その意味で「道場」があることかもしれません。
クライアントさん相手の実践もそれはそれですが、何より、本当に身体に落とし込んで身体の奥底から教えてもらえる感覚を得るまで、スクリプトで練習・訓練する「道場」。
また、「身体に落ち込んで原理原則がわかってきたかどうか」は、その訓練している人を見ていれば、わかります。…何と言うのか、スクリプト通りにやっている中でも、本当にしっかりと原理原則を使い出したら(つまり、役者で言えば棒読みとか覚えたのではなく、台詞が自分の言葉となった、その瞬間、出てくるものが突如変わる、とでもいう感覚)、わかります。
私は、来年から養成コースをだんだんと立ち上げていこうと考えていますが、主催コミュニティとできる限り連携させ、コミュニティの中で受験生の再受講や練習をしっかりと積むことができるよう、充実させていきたいと考えています。


さて、それからもうひとつ、読むこと、覚えることの重要性。
そして、読むことと、覚えることの違いを。

スクールによっては、いつまでも「読んでいるだけでいい」と教えるスクールも多いようです。
まあ、王道の誘導法…特に段階的リラクゼーション法やクラズナー、エルマン誘導などは、ちゃんと読んでさえいれば入りますからね。
ただ、上記したように、読んでいるだけでは、いつまで経っても、原理原則はわかっていない(入っていない=効果を発揮させることのできない)誘導域は脱しないことになります。

それから…やはり、うまい人はまだ良いですが、どうしても読んでいると、顕在意識で読むことになるので、相手の潜在意識にそれが伝わります。するとどうなるか。催眠誘導というのは、セラピストもクライアントと同じだけ「催眠に入り深化する」ことで、クライアントも入ります。同質の原理なのです。セラピストとクライアントが一緒にその世界へ行くのです。
そのため、セラピストが顕在意識で読んでいれば、クライアントの顕在意識と潜在意識の位置関係もなかなかひっくり返らないまま、顕在意識で聞くことになります。
ちなみに一応、一番悪いことを書いておくと、ページめくりの音が聞こえると論外にアウトです。寄り添われている感覚すら失い、クライアントさんは覚めますし、冷めます。

それから、読んでいると、どうしても、読み間違いが出て来たりします。
また、アドリブでやっていると、どうしても、言い淀みや、言い間違いが出て来たり(言い間違いは危険以外の何物でもない)、「クライアントの言葉」を使おうとしても(誘導や暗示を入れる時は極力クライアントさんの言語を使うことが原則です)、やはりなかなか出て来ず、結局さっきクライアントさんが言ってくれたばかりの言葉と同じ言葉を使えずセラピストの言葉になってしまったりします。

しかし、暗示療法における暗示文については、読んで良いものと私は思います。
なぜなら、暗示療法は基本的に、クライアントさんにセラピーで入れる暗示文は、その前のクライアントさんへの聞き取り(事前面談)時や、催眠の説明をしている時にささっと作って書き上げるものであるので、読み返す暇すらほとんどありません。
但し基本的に一度クライアントさん本人と、こういう暗示文で如何でしょうか、と開示して読み合わせをすると思うので、その時にしっかりと読むことはできますが、それだけです。どんなにがんばっても、覚える暇はありません。
これは(中途半端に)覚えた方が危険かもしれません。

しかも、暗示療法の際の暗示文は、基本的に何回か、”全く同じ文を”繰り返します。
これ(深い催眠下で入れるダイレクト暗示文)は、何回も繰り返す際、基本的に言い回しなど変えない方が良いと言われています(諸説あるかはわかりませんが)。
その時には、お互いにとって、しっかりと”読んで”あげた方が良いわけです。


最後に、スクリプトの覚え方について。
これは、…大変です。
私の体験上、スクリプトは、役者が台本を覚えるように覚えるのは、難しい。
いや、これも役者さんと同じかもしれません。役者さんも、台詞自体はしっかり覚えても、稽古場で何度も何度もやるまではなかなか覚えたものが出て来なかったりしますし、それを重ねることで自分の言葉と化していく…。
しかし、催眠療法士自体が役者でないという点、孤独に覚えるのは大変です。

そのため、私の(まだ年数の少ない)体験上では、やはり、練習相手を確保して、練習させてもらうこと。ちなみに例え練習相手と言えど実際に催眠に入れるわけなので、基本的に最低限失敗はできません。とすると、なかなかしっかりした緊張感の中で読むので、やはりその分、覚えるに無駄がない。
しかも、実際催眠に入れながら(入りながら)読むわけなので、集中力も記憶力もアップした中となり、顕在意識というよりは潜在意識に直に入っていくような形で覚えるため、覚えも早く、キャパシティもある。

もうひとつは、自分で自分を入れるつもりでスクリプトを読んで誘導を録音し、自分自身がクライアント役となってひたすら聞くこと。
ちなみにこれは、自分自身が入る訓練にもなるし自己催眠でセラピーにもなるので、こちらも一石二鳥三鳥の良い方法です。

これは、あなたが体感覚優位タイプか聴覚優位タイプかでも、どちらのやり方が覚えやすいか変わってくるかもしれませんね。
視覚タイプの人は……歌詞を覚えるように、読んで、書いてを繰り返すのもありかもしれません。

しかしながら、最後に、
これだけ書いていながらも、あくまでも「誘導」というのは、手段でしかありません。
あくまで必要なのは、催眠下でのセラピー、および、事前事後のカウンセリングです。
如何にクライアントさんのご希望に沿う、深く効果的なセラピーができるか。
ここに焦点をしっかりと持っていれば、そして持ってくることができるまでになれば、誘導の段階に拘る拘らないだとか考える考えない以前に、セラピーがうまくできるために最善効率の誘導が弾き出されてきます。
いわば手術の前の麻酔とでも言えばわかりやすいかもしれない。
セラピーをするために下手な誘導や合わない誘導では、いくらセラピー技術があっても深いセラピーはできません。下手なちゃんと効いていない麻酔や患者さんの体質に合わない麻酔を打ってしまったり、そもそも下手な打ち方をしてしまったら手術どころではありません。
が、だからと言って麻酔の種類や打ち方を考えているような段階では、または「セラピーのために最善最大効率の誘導」ではなくて「上手な誘導、鮮やかで見事な誘導、如何に深く入れられるか」などをつい目指してしまう段階では、効果的なセラピーも行うことはできないわけです。麻酔を打つことだけ(催眠に入れることだけ)を鮮やかにかっこよくこなす麻酔医(催眠”術”師)を目指すならば、別かもしれませんが。
箸の使い方を覚えてどんなものでも掴めるようにならないと、箸を持つこと自体に一生懸命、頭も身体も使っていたら、食事は捗りませんし味すら感じません。考えるまでもなく鮮やかに細やかな箸捌きができるまでの過程が、大切。
同時に、「たかが誘導」であることが、体感で本当にわかった時にこそ、初めて本当に、原理原則を身体に落とし込むことができ始めたサインかもしれません。


さて。
今回の記事では、催眠療法を広め伝えるという側にまわっていくにあたって、少し、小出しにしてみました。
今後とも催眠療法士としての構えや、資料やテキストを作成している中での内容の考察など、小出しにしてゆくこともあるかもしれません。
ご興味ある方は、どうぞお付き合いください。


また、催眠療法のコースはまだ公開しておりませんが、心や身体のメカニズムや、催眠療法とも非常に親和性が深く、いずれにせよ臨床においては不可欠と言っても良いほど絶大にセラピスト(つまりはクライアントさんにも)の助けとなる理論である交流分析やNLPなどのセミナーは開講しており、随時受講生募集しております。
これらのセミナーに関しても大学の授業などとは違い、基礎からお教えしても私は大抵常に催眠療法家・臨床家の立場から、臨床に繋がり役立つような角度・内容でお話するので、今後催眠療法のコースを検討されるにあたっても、受けやすくなると思います(システム上という意味でも、内容を深める受け皿という意味においても)。もちろん、ただ対人支援の方向を目指しているだけであっても、お役に立つと思います。

ご興味のある方にはそれぞれに一番合った方法を提案できるために、個別にもご相談いただける体制をとっております。
お問い合わせフォームは直接、私へ繋がりますので、ぜひ、お気軽にお声がけください。


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