ずっと不思議だったこと―なぜ私は音楽療法を学んだのか、なぜ私はセラピストをやっているのか

先日、実家でまた新しいこの器の過去が発覚した。

この身体、幼少期、身障者福祉センターにずっと訓練に通所していた。
その中で、どうやら、「音楽療法」と名のついたカリキュラムがあったらしい。
ただ、まあ今の目線から言えば、とてもではないが音楽療法と名をつけてはまずいだろうと感じてしまうようなもの。まあ…日本の音楽療法(社会的な浸透という意味では特に)は大きく遅れているので、もしかしたら今もそんな施設があるのかもわからないが…。
まあ、ともかくやっていたことは、子どもたちを一か所に集めて、そこに音大卒業したくらい(母が言うにはまだ学生であったようだが)の人に施設員が「では、先生、お願い致します」と言って引き継ぐ。その先生は、どうも子供たちに読めるわけもないような歌詞を渡し、子どもたちが知りもしないような曲を(母曰く)下手な弾き方でひとり演奏し、子どもたちに歌わせようとしたり、(子どもたちはどうやらみんな親と一緒に参加させられていたらしいので)親に子どもの手を無理やりとって「こう叩いてね」と手を叩かせようとしたりするようなものであったそうだ。
話を聞く限り、通常の音楽の授業での教育といったものとしても性質が悪い。

子どもたちは、非常に嫌がったり泣いたりして外に出たがったそう。
すると、”先生”は、「はい、静かに聴きましょうね!」と怒ったという。


ところで、音楽家である母は、重度脳性麻痺で生まれて外界の刺激に全く反応をしなかったこの身体に対し、エレクトーンやピアノで子供番組の曲などを片っ端からコピーしては弾いて聞かせ続けてくれていた。後年から見ればそれが音楽療法的効果を現わし、この身体は外界からの刺激に一生懸命アンテナを伸ばそうとして聴こう見よう手を伸ばそうとすることができた部分が多分にあっただろうと思われる。
そして、そんな母は、このセンター通所時、待機時間など、空いている体育館のようなところで使われていないピアノを使って子どもたちの喜ぶような曲を弾き、子どもたちが集まってきては喜んでいたそうだ。子どもを連れてくる保母さんなどもいたという。
しかし、施設職員は「お母さん、やめてください」と。

まあ、施設職員でない者が、カリキュラムに入っているわけではないのに、実質音楽療法となるようなことをしてしまっては、いろいろな意味で不具合が出てくる可能性があるということは、今現在セラピストとして似たようなことをたくさん感じている私としてはわかる。
そして……まあ単純に、使われていないからといって勝手に施設のピアノを弾かないでくださいということもあるだろう。

それに、音楽療法というのはやはり、「音楽」とは違う。
しっかりとした理論があり、カリキュラムの立て方、曲順や曲1曲の持っていき方に関してまでも、もし音楽療法を目的とするならば、理解して行っている必要がある。
音楽は薬にも近い処方なのだ。
あからさまにわかりやすいことだけを挙げても、例えば子どもや高齢者の施設で音楽をやって思いっきり盛り上げて興奮させたままセッションを終えてしまって、その後に施設の職員たちがクールダウンの責任をとれず、施設内で子どもや高齢者が転んだりぶつかったりして怪我をする、などという事例もある。

しかしながら、そもそもここの「音楽療法」自体が、まるで音楽療法メソッドではありえない。
そして母のピアノは子どもたちが本当に大喜びし精神機能も働かせ、身体を動かしたり踊ったりすることができていたわけだ。
「音楽療法」の方は功を奏さないどころか、子どもたちにとっては苦痛となってすらいた。このままでは音楽自体までも嫌いになってしまうかもしれないし、大人の無理強いや支配下に対して発育上大変危険なものが植え付けられる可能性すらある(これは話を聞いた私の心理学的観点であって、母がそこまで思っていたかは知らないが)。
そして、「音楽療法」と名前だけはついてしまっていたが、当時の音楽療法など、資格などなかった。つまり、ただの「音楽」との境界線の認識すら、ほとんどなかったのだろう。
だから、とにかく「音楽療法」には、母はもどかしくて仕方なかったそうだ。そもそも子どもたちの中で、自分の子ども(私)も、ぶつぶつ嫌だというようなことを言っていたのだから。

しかもなかなか下手なことに、施設の職員だかが、母に向かって「お母さんは確か芸大卒業でいらっしゃるんですよね」などと言ったこともあり、それを聞いて”音楽療法の先生”「……へぇ、そうなんですか。」とそっけなく答えて母に敵意をふつふつとにじませた視線となったらしい。
(「音楽療法士」の世界ならば領域が全く別なので、いくら芸大出だろうが世界コンクール優勝者であろうが「音楽療法」となる引き出しは何一つ出せないのに、やはりそれこそ「音楽」と「音楽療法」の違いがこの人たち自身がわかっていなかった、この人たちの中になかったからこそ、こんな嫉妬もできたのだろう)

そんな空気の中に、当時の身障児たちはいたわけだ…
(いや、今もそうかも知らないが…)


私は、別に音楽療法を学びたいだとか、そもそも音楽の道に進もうなどとすら、大学入学前までまるで意識をしていなかった。
私の経緯としては、高校(半分通信制で音楽の授業すらなかった)を卒業した後、心理学を学びたいということと習い事程度に歌や楽器には興味があったのでなら折角だからと音楽療法学科のある音楽の専門学校に入りはしたが1年も通い続けることができず、放送大学で心理学に打ち込みだしたがどうにも音楽の全くない環境というものに辟易してくる、そんなわけで、別に進学など関係なく、とある音楽大学の付属の音楽教室でクラシック声楽とピアノ、音楽理論を。
その中でできた友人と不思議な縁で、その友人の大学受験に必要だという中で私達が声楽で習ってきた基礎を共有し始め、しかし1年弱で音大の声楽の受験に適応できるほどの”身体の技術”を身につけることは難しい、よし、ならば、と、当時私達が大半本能的に使っていた催眠技法で暗示療法を行い(その後いろいろな成り行きで退行催眠までも行うことになった)、身体にクラシック発声技術を覚えてもらい、受験前にはプロにも見てもらった方が良いとその友人と手分けしていろいろな音大のオープンキャンパス(大抵体験レッスンがある)に参加をした。
その中で行ったひとつの学校に、音楽療法科があり、普段は来ていないというのだがその日だけ何かのために偶然、音楽療法科の主任であり声楽の主任でもある教授が来ておられ、興味があると言ったらその場でその先生の体験レッスンを受けさせてくれた。そしてこれまたこの先生のレッスンが良かった。
なぜかそのままの流れで(しかも私自身がやろうとしたのでなくその友人用に準備をした課題曲で)AO入試を受け、受かってしまった、という、まるで思いがけず狐につままれてそのまま人生が運ばれて行ったかのような流れだ。
その上、それと並行して、また卒業してからは心理療法を次々身につけては組み合わせ、いつの間にか当事者目線で非常にラポールの深い当事者向けセラピストとして活動しており、挙句には本格的に催眠をトレーナーとなるまで学んで、今だ。
しかも通常の催眠療法士では飽き足らず、そして今の催眠療法の資格業界がまさに当時(今もそうかもわからないが)の音楽療法業界と同じような非常に中途半端な現状であることを痛感する中で、現状日本で平然と広まっているある種”危険”を孕む、そしてそれ自体にセラピスト達自身も気付いていない心理セラピーの実情、本当の意味で心理療法として催眠を総てのものの土台として扱うことのできる知識・理論・技術、更には国や地域といった社会的システムと現場で必要とされることの連携、齟齬、そんなものとばかり取っ組み合っている今がある。

そうか、今ここに至る道筋を決めたのは、当時のこれだったのか。
もどかしい母の思いも恐らく母の膝の上で感じながら、
「わかった。では私が音楽療法を学んでやる。少し年数はかかるけれども、待っていろ」と、音楽療法へ進む道筋、そして社会システムとなぜだか自分のことでもクライアントさんのことでも取っ組み合うような道を潜在意識に決定づけプログラムしたのは、この時だったのかと、確信してしまった。

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