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松本隆さんの卒業ソング「制服」と「卒業」 切なすぎる歌詞を比較

毎年3月になると聴きたくなるのが、卒業ソングである。私が学校を卒業したのは遥か昔だが、今も卒業ソングを聴くと若かった(=純情だった)当時の自分が脳内にシンクロし、フレッシュで甘酸っぱい気分に襲われる。

昭和から平成、令和まで、卒業ソングは各年代でリリースされているが、50代の私にとっては、やはり学生時代に聴いた昭和の曲への思い入れが強い。昭和の卒業ソングには大切な男性との別れを綴った曲が多いが、なかでも松本隆さんが作詞した「制服」と「卒業」の2曲は、主人公の切ない心理描写が抜きん出ていると私は思う。

ということで、この2曲の歌詞をピックアップしながら、切なさの核心に分け入ってみたい。


「ただのクラスメイトでいい」という心理(松田聖子「制服」)

まずは、1982年2月に「赤いスイートピー」のB面としてリリースされた、松田聖子「制服」から。この曲で歌われているのは、卒業式が終わった後、「四月からは都会に行ってしまうあなた」に思いを寄せる女子高生の心である。1番の歌詞を一部引用する。

四月からは都会に 行ってしまうあなたに
打ち明けたい気持ちが・・・
でもこのままでいいの
ただのクラスメイトだから

松田聖子「制服」

この「ただのクラスメイト」という表現が曲中に3回も出てくるが、彼女の切ない思いがこの言葉に凝縮されていると、私は思う。歌詞を読む限り、彼女は「あなた」と恋人同士ではない。テスト前にノートを貸す程度の「仲の良い友だち」だ。「あなた」のことは大好きだが、片思いのまま卒業式を迎えた。そして卒業式も終わる。打ち明けるチャンスは、あなたの横に並ぶように歩いている今しかない‥。
しかし彼女は「ただのクラスメイトでいい」と判断し、打ち明けたい思いを引っ込める。おそらく「あなた」が卒業後に東京に行くことを彼女は前から知っていて、自分は付いていけないと悟っていたのだろう。だから「あなた」のことが大好きでも、在学中はクラスメイトとしての関係を貫いた。
しかも最後に東京の住所を書いたメモを「あなた」から渡されても、その決意は揺るがない。

雨にぬれたメモには 東京での住所が・・・・
握りしめて泣いたの そうこのままでいいの
ただのクラスメイトだけで
失うときはじめて まぶしかった時を知るの

松田聖子「制服」

メモを渡されたということは、遠距離恋愛に発展する可能性があるということ。しかし彼女は、どう転ぶかわからない「あなた」との関係を遠距離で続けるより、高校の仲の良いクラスメイトとして記憶にとどめることを選ぶ。歌詞からは理由が読み取れないが、ここで別れたほうがお互いにベターであると判断したに違いない。

彼が自分に思いを寄せていると知っても、クラスメイトの関係を貫き通した彼女。メモを受け取った時の彼女の心情を想像すると、切なさが身にしみてくる。

「卒業しても友だちね」の心理(斉藤由貴「卒業」)

そうした「ただのクラスメイトでいい」と判断した理由が具体的に示されるのが、1985年2月にリリースされた斉藤由貴のデビューシングル「卒業」である。
この曲も「制服」と同じく卒業式での別れが歌われているが、今度の「あなた」との関係はもう少し親密だ。「離れても電話するよ」と あなたは言うが、「守れそうにない約束は しない方がいい 」と、少し冷めた態度を取る彼女。その理由は「東京で変ってく あなたの未来は縛れない」からだ。

離れても電話するよと 小指差し出して言うけど
守れそうにない約束は しない方がいい ごめんね
セーラーの薄いスカーフで 止まった時間を結びたい
だけど東京で変ってく あなたの未来は縛れない

斉藤由貴「卒業」

あなたが東京に行くと自分への思いが薄れると、彼女は確信している。そのため彼女は「あなた」を傷つけずに別れる方法を考えた。それは、「卒業式の時点では友だち関係を維持しつつ自然に会えなくなるのを待つこと」だった。

ああ卒業しても友だちね それは嘘では無いけれど
でも過ぎる季節に流されて 逢えないことも知っている

斉藤由貴「卒業」

「誘ったけど彼女は来なかった」となったほうが、彼にとっては気が楽だ。遠距離になった彼女との関係をどうするか迷わずにすむからだ。だから彼女は卒業式でも泣かず、友だちとしての関係が続くことを匂わせた。それも、彼を傷つけたくない一心から。自分の思いを抑え込んでまで彼を慮る心情は、「我慢は美徳である」という価値観を想起する。いかにも昭和の曲らしい。

「東京に行った彼は帰らない」というリアル(太田裕美「木綿のハンカチーフ」)

このように「制服」と「卒業」には、「東京に行ってしまう彼との切なすぎる別れ」のモチーフが共通している。ここで思い出すのが、同じ松本隆さんが作詞した太田裕美の「木綿のハンカチーフ」だ。

1975年にリリースされて大ヒットしたこの曲も、都会に行ったまま戻ってこなかった彼との別れが歌われている。しかしこの曲の彼女は、彼が「都会の絵の具に染まる」ことを予期しつつも、帰ってくることを望んでいた。しかし彼は(色々と言い訳しつつも)結局帰ってこなかった。こうした別れを迎えたくないから(彼を傷つけたくないから)、「制服」や「卒業」の主人公は、「高校時代の仲の良い友だち」という想い出として記憶に残すことを選んだ。なので、「木綿のハンカチーフ」の進化形が「制服」であり、さらにその進化形が「卒業」であるとも言える。

しかし、「木綿のハンカチーフ」に卒業という言葉は出てこない。それもそのはず、「木綿のハンカチーフ」に登場する男性のモデルは、九州の炭鉱町から東京に出てきた当時のディレクターだったらしい。確かに当時(昭和40年代)は炭鉱の閉山が相次いでいたので、職場を失った炭坑夫たちは新たな仕事を求めて都会へ向かったはず。黙々と石炭を掘っていた地方の男性にとって、都会の刺激は強すぎる。そりゃ帰れないだろう。

しかし、「制服」や「卒業」を書いた松本さんの念頭には「木綿のハンカチーフください」と、控えめにねだった彼女の存在があったように思えてならない。本当は怒っていいのに、自分の思いを抑え込んでいるからだ。
松本さんが書いた卒業ソングに惹かれるのは、優れた情景描写はもちろん、全てが東京へ向かっていた時代に全国のあちこちで発生していた切ない別れを歌詞にした点が、同じような経験をしたリスナーの共感(涙)を誘ったように、私には思える。

よく知られるように松本隆さんは、リゾートをイメージした松田聖子さんへの楽曲提供で「憧れ」を喚起したが、一方でリアルな現実や心理描写で「共感」を誘っていた。今回紹介した2曲の卒業ソングをじっくり聴けば、そのことが伝わってくる。

※この文を書くきっかけになったコラムを、80年代音楽メディアサイト「リマインダー」に掲載しています。


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