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“親ガチャ”だけは、上位賞品引き当てたよ、な話

歌を忘れたカナリヤ〜♪ たいした文章でないにせよ、ここのところの忙しさで、書くことはもちろん、日常生活もままならない状態だった。毎年こんな感じなのに、1.2倍ぐらい締め付けがきつくなっている気がする。いや、これこそが処理能力の低下、其レ即チ老イ也…。

先日、実家に帰ったときの話。裕福でもないし、日本の西の端だし、学があるわけでもないし、最近じゃトラブルだらけだし、特筆することは何もない一般家庭環境で生まれ育った。物質的には何ら自慢できることなんてないけれど、ひとつだけ誇れるのは「父母に恵まれた」ってこと。今でいう“親ガチャ”だけは、上位賞品を引き当てたと確信している。

世の中の人々が抱える悩みごと、トラウマの類いの原因は、けっこうな割合で親・家族が絡んでいたりする。モラハラ、金銭問題、教育、親の不仲…家族以外の事件や問題であっても、その根源に歪んだ親子関係が潜んでがちだ。

生まれた場所はとにかく最果ての田舎で、端っこすぎて逃げ道もなく、文化文明もここまで及ばず、アットホームなと言えば聞こえがいいが、じつに閉鎖的なコミュニティで育った。周りはみんな顔見知り。家に帰りつくまえに「カナちゃんは港におったよ」と親に情報が入っている。物心ついたときから、そんな環境に息苦しさを感じていた。

そんな中、最もほっとできる場所が「家」だった。勉強しなさい、手伝いしなさい、女の子らしくしなさい…一切なし。3つ下の弟がいるが、姉弟感で比較された記憶もない。学校に行きたくないといえば気が済むまで休ませてくれたし、習い事なども行きたいとえば行かせ、辞めたいといえば辞めさせてくれた。今でいうところの、子どもの自主性を重んじた教育だが、西の果ての田舎で、なぜそんなことができたのだろうか。同居していた祖父母(かなりの自由人)ですら、姉弟間で比較していたのに…。今のスペックで私が子育てしたとしても、そうできる自信はない。猫相手に、本気で怒るくらいだから。

で、母に聞いてみた。

「なんで、そんなに自由にさせたと?文句のひとつでも言いたくならんかったん?」

「別にあんたも弟も悪かことせんかったし、よか子やったよ。そういえば、学校辞めるってゆーたときは、お父さんと“どっちでもいいけん、学費振り込む前に決めてくれんかね”と話した記憶はある(笑)」

「意を決してゆうたのに、あっさり“辞めてよかよ”って即答されて。なんか調子狂って、辞めるの辞めたもん」

「あんたは、昔からそげんあったけん。勉強もピアノもなんでも“辞めてよかよ”って言えば、絶対、泣きながらでも辞めんってわかっとった」

「知っていいよったと!」

「知っとるくさ。あんたの親やもん。でも、もう少し、きつく言わんといけんやったかも。特にあんたは、自由に育ちすぎた(笑)。でも、あんたのことも弟のことも、何があとうろと信じとる」

親ながら、あっぱれ。いささか、私も弟も何も言われないことに甘え、勉強も運動もテキトウだった。よって、立派な人にはほど遠く、贅沢させてやるほど親孝行もできていない。「これからに期待して…というのも忍びないけど、期待は捨てないで」だけ言っておいた。

子どもを信じ、口出しはしない。でも、何かあれば真っ先に飛んできてくれる(職員室に怒鳴り込んだことがあったな)。しっかり者の母、ふわっとしている父、大きな喧嘩もなくずっと仲がいい(父は母しかお土産を買わない)。

父母がいてくれる、帰る場所がある、疑うことのない愛があるって、生きていく上でなんとありがたいことか。ここらでもう一踏ん張りして、親孝行もスパートかけないといかん。「二人の子どもに生まれてよかったです」と、子どもの感想文みたいなことしか言えないけど、書いていたらむしゃくしゃしてた気分が晴れてきたのでよしとする。さ、さ、さ、病院行ってこなくちゃ。


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