見出し画像

どうしてそんなに語るのか③

みなさんこんにちは。
水引のむすびを使って作品をつくる造形作家の
結び屋虹園の菊田奈々です。

4月より連載する虹園的考察をお伝えしていくにあたり、
プロローグをお話したくて
3月は『虹園はどうしてそんなに語るのか』ということをテーマに
お届けしています。

早いもので3月も最終週となってしまい、
『どうしてそんなに語るのか』は今回で最終回になります。

水引を使って作品をつくるイチ作家が、
どうしてそんなに意味とか、由縁とか、日本の文化とか
さらにもっと突っ込んで言霊とかひらがなとか
水引のむすびを使いながらなんでそんなに語るんだ??
ってお思いの方が多くいらっしゃる中で、
今の私に結び付く部分が
導かれるように、散りばめられてきたように思うので
自己開示を含めてお話していこうかな、と思ったのが
事の発端でした。

前回までは
某100円ショップで可愛い折り紙を見つけて
ようやっと水引に出逢うところでした。
100円ショップで水引を見つけたところなんて
言ってしまえばただの日常です。

でもそれを盛ってお話したいんじゃなくて
そんな何気ない日常に
私が、喉から手が出るほど望んでいた
『ここではないどこかへ』への鍵を手にする瞬間が潜んでいたなんて
まさかオブまさかだったわけで、
うっかり瞬きなんてしていられなかった訳なのです。

ましてや、それを、
「あまりにも日常過ぎてカッコよくないけど
それがありのままの事実なんだからしゃーないか」と思って
語り始めたところ
このタイミングでまさかの3.20死にかけ事件。

『全てのことは偶然じゃない』って
水引のむすびに出逢って識り、肚落ちしたことですが
改めてそれを感じるきっかけになりましたね。
死にかけると死生観が変わるんでしょうね。ホント。


さて、
先週の続きになりますが、
水引に様々なむすび方があることを知り、
胸がざわめき、深い森への入り口のゲートを
丁度くぐって一歩入ったところでしたね。

何がきっかけになるかなんて、人それぞれですし、
それを決めて肉体を得て、今世をやりに来てるわけだから、
そりゃ胸がざわめくはずなんです。

むすび方が色々とあることを、
恥ずかしい話ですが、水引に出逢って初めて知りました。

それまではご祝儀袋だって、なんとなく、デザインとノリで選んでました。
なんなら飾りはもはや水引を使っていないものだったかもしれません。
なんかこう…正直…ダサい…というか、
スタイリッシュさに欠けるように私には映っていたから。
だからこう、端からそこに強く何かをもう求めていないモノ、
見えているけど見てないモノ、のような
そういう、意識の向いてない、形式的なものとして認識していたように思います。言葉にすると物凄おく酷い。でも正直な気持ちこんな感じだったと思います。
それに、パッケージに
『〇〇用』とかご丁寧につけてあるもんだから、ますます思考する必要がなくなって、
「あそんならこれでいっか~」
くらいの気持ちでしか見たことのなかった
アノ飾りに、
なんと、
種類があって、
意味があるだと???!!


いや、大好物じゃないか!!

それまでスルーしてきた自分にも驚きましたけど、
此処で会ったが百年目くらいの出逢いだったことにも驚きました(敵討かよ)。

もうどうにも
心を掴まれて、いえ
心が「振るえて」仕方ないのです。

懐かしいような感覚でした。
こんなに調べたり勉強して、そのたびに月夜に白く光る石みたいな点を見つけては、それを辿っていくと、また次の白い石が見えてきて、嘘みたいに、まるで導かれていくように線に繋がっていくので、どんどん深い森にいつの間にか自ら突き進んで行くことになりました。

むすび方を識り、またその意味を識っていくうちに、
意識が変わっていくことを感じました。

むすび方に合わせて意味が込められていたことを識って、そこに大変思慮深い日本人の思いやりの心を感じたのです。
贈り物を贈る、というだけで既に相手のことを想って行う行為で、相手を想いを馳せながら選んだりする時間があって、さらにそこに相手のことを想って相手に合わせた結び方でむすんで、相手に対する想い遣りを忍ばせて贈る…?? … ….. .....ッ

なんてあったかいんだ!!!

なんて優しい気持ちなの!!!!

相手を想う思い遣りの気持ちを
アートにして届けるなんて
どんだけ感性豊かなんだよおっ!!!!!!!

と感激に打ちふるえたのです。


ご祝儀袋に然り、のしに至っては印刷のものが主流で、一昔前までは百貨店でも水引を実際に結んでのしをかけていたそうですが、今では「のし紙いかがしますか?」とか聞かれて印刷してあるものをぺたっとかぶせる。
形式化してしまってルールばかりが注目されていては、息苦しいばかりです。

なんのためのなんだったのか...
本末転倒しているように感じて
それがまた、今の世の中が映し出されているようで
物凄く悲しい気持ちになりました。
と、同時に肚のソコから湧き上がるなにか... ..

こんな素敵な文化が当たり前のこととして在った、
だけどいま、こんな形式だけになってしまって
本末転倒していて、いずれ形をも変えてしまう。
本当に伝え継ぎたかったことがなんだったのか、
それを日常に使えるものとして身近にすることで、

真意を伝えていかなくちゃ

と、
なぜか強く思ってしまったのです...
想っちゃったんだからそりゃもう変えられないのですが、
え?なんで私が?そんな畏れ多いだろ、という気持ちももちろんありました。でも……でもどうしても、伝えないといけない気がしてナゼだか泣きそうになるわけです。もはや頭おかしいんです。もうそれでもいいんです。
私がやらなくてもいいことかもしれないけれど、だったら私がやったっていいんじゃないか...! って思うことにしました。

そうして、そこから
私の【水引の作家人生】が幕を開けていくのです。


まずは、水引を使って、日常に使えるモノとしてアクセサリーを
創りはじめました。元々欲しいと思うデザインのアクセサリーを自作することが多かったので延長のようなことでした。素材が水引になったのです。
そして、その創ったものを創っただけでは伝えたいことが伝わらないので
オンラインショップを創り、さらにダメ押しのもう一歩、
ハンドメイドのイベントへ出店することにしました。
忘れもしない、某ビッグサイト。
ここまでは、手作りする方ならまま、あるあるの流れでしょう。
そこで私は、お立ち寄りくださったお客様に、なりふり構わず一人残らず全員に話しかけ、むすびの意味をお伝えすることをはじめました。
うざいと思われようと、心折れようと、これが私のしたいことなんだと、
ある意味無となり、ある意味どこか死に物狂いだったかもしれません。


もちろん、話しかけてもまだ話してんのに立ち去られたり、無視されたり、同業者さんに於いては水引なんて絶対透けないのに光に透かしてジロジロ作品を見られたり(それはそれで今となっては面白い話だけど笑)、
それはそれは心折れるようなこともありましたが、
実はそんなに多くなくて(どっちなんだよ笑)、
喋り続けて畳み掛けまくる私のせいで人だかりができてしまい、出店初日に
作品が全部売れてすっからかんになり、夜なべしても雀の涙ほどしか追加できなかった作品を追加した2日目は、まばらに並んだ作品とヘラヘラした私がただ立っているという謎のブースになりました。


そんな謎の2日目に、今後の人生を大きく変えるミラクルが
なんと2つも待ち受けているなんて、誰が想像したことでしょう。

1日目に喋り過ぎてフラフラで逆サイドの電車に乗り間違えても1時間も気づかないで往復2時間無駄にして家に帰ってから夜なべして作品追加してフラフラのまま2日目を迎えて、作品もないのに店に立たねばならない苦痛をどう乗り切るかしか頭にない2日目の私には、想像にも及ばないようなまさに
【ミラクル】
がこのあたりから雪だるま式に巻き起こり始めるのです。


元々ラッキー体質だった私が、どうしてこんなにも想像を超えることばかり起きるんだろう?と、不思議に思い始めたのも丁度この頃。
トキを同じくして、進めていく水引のむすびの研究と何やらシンクロしていくのが【むすびの虹園的考察】。
これはまさに、私自身の実体験を軸にしている考察なのです。


というわけで、来週4月からは
むすびの虹園的考察 を連載してまいります!

古くから伝わる【むすび】に振るえ、水引のむすびを調査、研究、そして実際にむすんでいく中で、自身の実体験をもとに虹園が考察し、私が識り、体感し得たことから、虹園的視点で紐解いていきます。激烈マニアック且つ考古学的考察です。
キモイと思われるかもしれないけど、もういっか!って感じの背水の陣。もう全部喋っていきますので、本編もどうぞお楽しみに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?