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どうしてそんなに語るのか①

みなさんこんにちは。

水引のむすびを使って作品をつくる造形作家の
結び屋虹園の菊田奈々です。

これからむすびについての虹園的考察をお伝えしていくにあたり、
プロローグをお話しておきたいなぁということで
3月は『虹園はどうしてそんなに語るのか』ということをテーマに
日曜の昼下がりに書いています。

最初にもお伝えしております通り、
まだ私の作品や展示販売にお出でいただいたことのない方にとりましたら、
造形作家がなぜそんなに語りたがるんだよ、とお思いのことと思います。

さて、なぜでしょう!

いや、それを聞きたいんだよ うざいなぁ
なんて思わずにどうぞお付き合いください(笑)

なぜかと言うとね、
水引に出逢って、むすびに導かれて、私の人生が激変したのです。

お話すると長くなるので、そのためにこの連載をはじめました。
お店では語り切れないこと、むすびのこと、むすびに出逢ってミラクル体質に拍車がかかって雪だるま状態の私自身に起きている虹園のストーリーを聞いて頂いたら、
『え なになに?そのむすび ってw』
ってご興味持っていただけるんじゃないかしら、と思ったから
私自身のことも含め、赤裸々にお話していこうと思いました。

ということでまず一回目の今回は、
私と水引の出逢いについてお話しさせていただきます。


私がこの水引に出逢ったのは2016年のことです。
そう、実はつい最近です。

それまではグラフィックデザイナーとして、
リーフレットとかチラシとか印刷媒体のものであったり、
写真のレタッチをやったり、音楽屋さんが身近にいた環境もあいまって、ライブなんかで販売されているアーティストたちのグッズの制作であったりTシャツのプリントなんかをしていました。

そんな私がなぜ、水引のむすびを使った作家になるのか。

この出逢いのエピソードが、実はなんとも日常の中のひとコマでして、ちっともドラマチックじゃないもんだから、ちょっとカッコつけていた頃はあまり話してきませんでした。

が、
これがホントのことなので、黙っていられなくなりまして、
喋っちゃうようになりました(笑)

私の生まれは神奈川県の南、葉山町という場所で、
母の実家で祖父母と共に幼い頃の数年を過ごし、
その後、古都鎌倉で育ちました。
これだけ聞くと、まぁ!お嬢様!とか言っていただくのですが、
めっちゃ会社員の父と主婦の母の元に育ったとても庶民です。
ただ、この恵まれた環境の中で育ててもらえたのは、
何にも代えがたい宝物だったと思っています。

そんな、海と山に囲まれた、かつて政治の中心として
頼朝さんたちがストーリーを刻んだ歴史的で自然に恵まれた観光地で
山猿のようにきゃっきゃと育ち、
高校を卒業した後、東京に在ります桑沢デザイン研究所、という
デザインの専門学校でデザインの勉強をしました。

なにか手先を使って創ることがすきだったという理由で
プロダクトデザイン というモノのデザインを学ぶ科で
有り難いことに名立たる先生方からデザインを学びました。
自分のキャパが小さすぎるせいで、せっかく教えていただくのに
指の間からこぼれ落ちていく知識や技術を茫然と見ているような
勿体なさをいつも感じつつ、今掴めるものを必死に掴むような、
未熟で超有意義な学生時代でした。
このあたりのことは私の著者本『水引でつくるアクセサリーと小物』の巻末にもざっくりと書いてあることなので、
ご存知の方もいらっしゃるでしょう。

[画像は自身のインスタ(しかもライターの鞍田さんのリポスト)より、私の本]

ちょうど、就職氷河期、なんて言われた時代の端くれでもあったので、なんとなくデザインに携わるような仕事をしながら、
だいすきな音楽に体を揺らしながらのらりくらり生きていました。

なんとなく得意だからやってこられたようなものの、
もちろん目の前のことを一生懸命にやりつつつも、
でも頑張りのベクトルが明後日の方向を向いていることにも気づけないような、いつも何かがしっくりいっていないような、ぼやっとしたまま人生を過ごす中で、何の爪痕も残せていないことを心のどこかでモヤモヤさせながら、もしくは心のどこかに開いた風穴をずっと塞げないまま、体は大人、心はちゃんと成長していたのかどうかもわからず、得体の知れないナニカからちょっぴり目を背けているような毎日を過ごしていました。

え?そんな風に見えないって?そんなもんすよ。

惰性というほど惰性では生きていなかったけれど、今思えば、
心のどこかで強烈に何かを渇望していたような気もしないでもないです。
それくらい、その頃は自分の心の声が聞こえていない状況だったと思います。危ないですね。

手先が器用だったこともあって、自分で何かを創るのは小さいころから好きなことだったので、自分の着けたいアクセサリーを作ったり、
それを販売するようなこともちらっとしていましたが、
これがいつしか仕事になろうとは考えたこともありませんでした。

そんなある日。

某100円ショップをとてもなんとなくプラプラしていました。
なにか制作に使えそうな材料を無意識的に探すレーダーのような私の瞳に、むちゃくちゃ可愛い折り紙がロックオンされました。

クラフト紙なんだけれど、和柄にも見えるような幾何学的な地紋のついた折り紙。
それが正方形に切りそろえられているだけで益々可愛いらしいものとして、私の瞳には映っていました。そして明らかに100円のクオリティではないことに私の体が反応して、既にして手が勝手に何冊か纏めてかごに入れていました。100円だし。

がしかし。

折り紙…か…。
これでなにかを折るのは違うし。素材としてこれを手に入れた場合、
いったい何をつくるのがベストなのだろう… という思考に、
時間にしておよそ数秒で達しており、
細胞が総動員でこの可愛すぎる折り紙の使い道をイメージしていました。

なぜか、手放してはならないような…

何になるのか、何をつくりたいのかわからないのに、
どうしてもこれで何かを創りたい…と
体がこの『かみ』を離さなかったのです。

そして、これがまさに運命の出逢いだったのです。

続きはまた来週~♡

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