話すことの、熱量の高さ


ライフワークとして、高齢者の方へのインタビューをしている。
(ふだんはキャリアコンで、ロミロミセラピストだ。)
インタビューをしているとき、あとで原稿をつくっているときにいつも、
「自分を表現する」「話す」ときの人の熱量の高さに感動する。

インタビューの対象者は高名な方ではなく(たまにはそういう方もいる)、ふつうに生活をしてきた方を対象にしている。
例えば、かつて仕事に情熱を注いでいて、今は引退してなんとなくもの足りなさを感じながら生活している男性。
はじめは、インタビューされているからと、あまり覚えていない(そりゃそうだ)生まれたときのことから順を追って、記憶を探りながら話してくださる。
話しているうちに、好きだったことに当たる。
すごく饒舌になる。テンションが上がる。もうものすごくイキイキとした表情になってくる。ほんとうに楽しそうに、イキイキと情熱的にご自分のことを話してくださるようになる。
ご家族が同席されている場合は、普段と人が変わったかのように情熱的に話すその方の姿に、ご家族が驚くほどだ。

例えば、病床にある、余命わずかと思われる方。
本当におつらい中、気力、体力を振り起こして、自らのことを話してくださる。
話しているうちに、本当に大切にしてきたご家族との時間、お仕事、そのときのご自分の気持ちや望みがよみがえってくる。
声が大きくなってくる。だんだんと言葉数が多くなってくる。情熱的に話してくださるようになる。笑顔も笑い声も出るようになる。
もう見られないかもしれないと思っていた、その方のイキイキと話す姿や笑顔が、同席されていたご家族の感情を揺さぶる。

取材後、原稿を作成している間に、その方が亡くなったと連絡を受けることもある。
けど、その方は、原稿の中でイキイキと自分を生きていらっしゃる。
大切な家族への思いや信頼が詰まっていて、大切にしてきた仕事や作品や趣味への情熱が詰まっている。
それが1冊にまとまってご家族の手に届いたら、ご家族はその本の中に生きているその方に会うことができる。

第三者として客観的に原稿をつくりたいと思っているのに、生の証の、人が表現をするときの熱量の高さに、毎回あらためて驚き、感動する。
たぶん、これからも毎回毎回驚き、感動するのだと思う。

人は、言葉を持ち、表現をすることができる。
言葉や表現を受け取り、気持ちを味わうことができる。
当たり前のことだと思っていたけど、それをできる時間は、実は短い。
縁あってこの仕事をさせていただいて、あらためてそれを強く実感している。

だからこそ、大切に命を、言葉を使い、大切に受け取っていきたい。
大切な思いのやりとりの、導管になりたい。
原稿を打ちながら、あらためてそう思う。

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