年齢と共に見える世界の解像度があがるし価値観のズレも見えるようになる

しゅーです。

この記事を読んでいてふと思いついたので書いていきます。

まだ半分しか読んでいません。すみません。

でも書きたい。

年齢と共に見える世界の解像度があがる

年齢と共に分からないことは増えていきます。

それは見えるものが多くなるからです。

同時に分かるものも増えていきます。

それは見えたものを学んだからこそ増えていくのです。

こうやって、少しずつ世界の解像度が上がっていくんです。

ふと、そういえば彼女となぜ別れたのだろう、と思う

ふと高校生のときに付き合った彼女のことが浮かびました。

約3年ちょっとを過ごした人ですが、彼女とはすれ違いが多く、最後は喧嘩ばかりとなりました。

彼女は平日、週末ともにほぼバイトに明け暮れる日々。その中でも成績はちゃんと保っていました。

僕は、あまりバイトと勉強が好きではなく、ほぼゲームとバンドに明け暮れる日々。

リズムや努力する姿勢が違い、すれ違いが多くなりました。

終盤は僕が叱られ続ける関係になり、ほぼ話さないような関係となり終わりを迎えました。

月日がこじれを解決し、その人は今でもたまに飲みに行く気のおけない友人の1人となりました。

今の彼女を知った上で、客観的に当時と今を比較すると面白いことに別れた理由が分かるようになったのです。

根本的な価値観の差を無視してはいけない

彼女は「働くことが楽しい」と高校生の頃から行っていました。

20歳から働き始め、僕が上京する24歳までの4年間は激務だったそうです。

僕から見ると高校生当時からワーカホリックに見えていました。

かたや、僕は「興味のあることだけが楽しい」タイプです。

バイトや勉強といった人に与えられた課題が好きではなく、自分で見つけた課題を克服し上達するのが好きです。

これはもっと本質的な捉え方をするとモチベーションになる原動力が違うんですよね

人に求められることが好き」なのか

自分を満たすことが好き」なのか

の違いなんですよ。

きっと同時に満たすことができるものなのですが、当時の2人ではうまくすり合わせることができませんでした。

全くタイプの異なるモチベーションを持つ人間が最も近い距離感にいるのは強いストレスになります。

片方の常識がもう片方には全く通用しないのです。

このズレを楽しむのか、苛立ちのきっかけとするのかでかなり関係性に影響します。

彼女は今でも仕事が好きだし、僕は今でも自分の興味を深ぼることが好きです。

つまり、きっと今も同じような問題が起きるはずです。

ですから、根本的な価値観の差を無視してはいけないです。

きっと彼女と付き合っていたらこのブログは生まれていないでしょう。

本業で成果をあげない限り、こういう副業的な活動もストレスを生むきっかけになっていたことでしょう。

そう考えると、自然の摂理によって今あるべきところにあるような気がしています。

年齢と共に見える世界の解像度があがるし価値観のズレも見えるようになるんですね。

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