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【徒然】2年前の今日、小柳とかげになりました。

穏やかなゴールデンウィーク終了2日前、
8時に起きてヒッチコックの『めまい』を家族と見る。

そんな2023年の5月6日を迎えました。

大学2年生になったばかりの2年前の今日、私は小柳とかげになりました。

noteはもう少し前からやっていたのですが、Twitterを初めたときに新しく名前をつけ、活動を開始しました。

名前の由来を聞かれることが多いのですが、下の名前はひらがなで人間の名前じゃないものがいいと思ったからです。

小さい頃からカナヘビが好きで、飼っていたこともありました。だから、カナヘビってのもありでしたが、ちょっと漢字にすると怖いしさすがに名前っぽくないから似ている「とかげ」を選びました。

後付としては、その直前に行った伊勢神宮でトカゲを見たからです。
神社で見るトカゲは神の化身、神の使いなどと言われていてとても運気がいいそうです。
それを見た帰り道に、大学から成績優秀者の奨学金に選ばれたことのお知らせが来ました。

あの頃はとても辛くて、大変で苦しかった。だからとても嬉しかったし、運気が良さそうだと感じたのです。

そして、今、
その運勢の良さにあやかった名前とともに活動してきて、たくさんの出会いと成果を残してきました。

本当にありがたく思います。
そういえば、この名前にしてから変な人に絡まれなくなった気がするな。

すこし、振り返ってみようと思います。

泣き叫んだ日から文フリへ

アカウントを作って、ちょこちょこ創作を上げていく日々の中で、大学では新しい学年として授業が始まっていました。

その中で、『小説創作演習』という授業を取りました。この授業は、夢を題材にした小説を書く『夢文学』をメインにおいて創作をやっていくものでした。

私は本当に一生懸命考えて、苦しくなるぐらい考えて、1回もうやめようかなと思ったぐらい書けなくて、それでも私の中で『夢文学』というものに向き合い、完璧な最高な作品をつくりあげました。

それがこちらの作品です。

しかし、それがまともな合評もして貰えず、先生や学生から批判をされてしまいました。

怒りが募り、まともに評価されないことを許せませんでした。だから、4本ほどnoteを書きました。

そうするフォロワーであったAさんが声をかけてくれました。その方は私の大学にかつて通っていたが、同じような理不尽や杜撰さに怒りを持ち大学をやめた方でした。

そして、その方に才能があると言って頂けました。

他にもこの小説を読んだ方から素晴らしいと言って褒めていただけました。

そうだよ、この作品は素晴らしいんだ、私は間違ってないんだ、
もっと広い場所でこの作品を公開して好評価を受けてやる、
それがあの『夢文学』にいたヤツらへの復讐になる、証明してやる。

そう思いました。

私は『夢文学』の講義への出席を辞めて、
文学フリマ大阪に出ることに決めました。

評価されなかった『もう醒めない』をメインにしたショートショート集を作ることにしました。

だけど、それだけじゃあ足りない。
もう1冊作ろう。

と思い作ったのが、写真詩集『はみ出す青』でした。

このふたつの本は、私の人生を変えることになります。大した差では無いけれど、大きな一歩でした。

初めて参加した文学フリマは賑わっていましたが、まだコロナ禍ということもあり欠席サークルも多かった頃でした。

参加者として行ったこともなかった私は今までも参加していた兄と2人で設営をしました。

開場して10分ほどした頃でしょうか、
早くも本を買ってくれる方がいらっしゃったのです。

あの喜びと不安が弾け飛ぶ感覚は、なんとも素敵な感覚でした。

そして、試行錯誤して販売を続け、兄も帰り私一人になっても頑張っているとショートショート集が完売したのです。

30部ずつ刷って、15部ずつ持っていっただけでしたが、1冊は完売しもう1冊もあと数冊というところまで行きました。

無名、初出店としては異例だと今考えるとわかります。本当にありがたいことでした。

私はそこで目覚めたのです。
本を作る喜びと本を売る喜び、そして、人と関わる楽しさに。

このときに出会った方とは未だに仲良くさせていただいてます。あの日の出会いが私を変えてくれたように思います。

そして、初めに『もう醒めない』を褒めて下さり、才能があると言ってくださったAさんが写真詩集のことも大絶賛してくださったのです。

そして、色んな縁を結んでくださいました。
きっと、この方がいなかったら出来なかったことも沢山あったと思います。
この方に1年後である22年の夏、保護した猫の母猫であるミライを譲渡することになるとは思ってもいませんでした。
だけど、この出会いがなければ、子猫だったカイも母猫のミライも野垂れ死んでいたかもしれません。
すぐに保護できたのは、保護する前に連絡したとき「飼います!」と言ってくださったからでした。

ありがたい出会いでした。

他にもたくさんの方に支えられながら、頑張ってきました。
文学フリマ京都にも出て、隣のブースだった方に優しくしていただいたり、noteを読んでくださってる方が声をかけてくださったり、本当に楽しいものでした。

そして、いつしか東京まで遠征するようになり、もっと多くの方に出会うことが出来ました。

たくさんの方に本が届く喜びは人生の中の喜びの中でもいちばん大きなもののひとつです。

買いに来てくださる、声をかけてくださる、そんな一つ一つがとても嬉しくて大好きです。

猫との暮らし

先にミライとカイの話を出してしまったので、分かりづらくなりますが、我が家に初めてやってきた猫は凪でした。

文学フリマ大阪に向けて、写真詩集の編集を頑張っていた8月15日に彼は大きな声で叫び、助けを求めていました。

その頃私は取り憑かれたかのように「猫が飼いたい、もしくは赤ちゃん」と持て余した愛情を注げる存在を求めていました。

猫が飼いたい、猫を保護したいと、本当におかしいぐらいに願っていました。

そんな日に現れた凪を私の誕生日に母が飼うと決断してくれたのです。

8月18日に家族になってから、
可愛くて、悪くて、噛みグセが酷くて、困り果てた私達は、
もうひとり家族に迎えようと決めました。

譲渡会を5箇所ほど周り、悩みに悩み、ある譲渡会で母が心を射抜かれ、家族になったのがサラちゃんでした。

猫の噛みグセは猫同士で喧嘩することで噛み加減を覚えて無くなると聞いていましたが、小さなサラちゃんにそんなことをさせていいのか分からないぐらい子猫でかわいい女の子でした。

しかし!
彼女は強かった!
とんでもなく強かった!

叱りつけ、グルーミングを教えて、愛してくれた。

その結果、こんなに仲良くなって、
幸せに暮らしてます。

21夏から22の夏までで4匹まで増えて、ミライさんがお嫁に行き、3人で落ち着きました。

猫はみな、私のことを愛してくれ、私もみんなのことを深く愛してます。
愛に満ちてて、幸せで仕方ない日々です。

猫と共に暮らしていて、色んなことに気づきました。

愛されるためには愛すべきだし、ひとりで遊べる人は楽しそうで仲良くなりたくなるし、拗ねてるとめんどくさい。

素敵な人になりたい日々です。

23年の2月には、また猫をTNRするつもりで保護しました。ガリガリで回虫だらけで血液のバランスがおかしくて、2.3日で死ぬかもしれないと言われました。

死にかけとされたサヴィさんは、2ヶ月生き続け、保護部屋を何度も抜け出し、シャーシャーし続け、人間に慣れないままで苦しそうでした。

猫のことは大好きなようで、カイト一緒にいるのが幸せだったようです。

元気ではありました。
だけど、何度も逃げ出し部屋の隅で固まり、ご飯を食べに戻ることも出来ない、みたいなことが続きました。
だから、もう離すことにしました。

外に出すと元気に駆け出し、山に帰っていきました。

次の朝、サヴィさんは戻ってきました。

サヴィを隔離してた私の部屋の窓に。
なんなんだ、君は……。
人間が近づくと逃げますが、カイにゴロゴロ言い、甘えようとしてました。

部屋に入りたい訳では無いようですが、
毎日やってきます。

猫と共にあった小柳とかげの人生でした。

凪が来てくれた強運もきっと、トカゲの影響でしょう。

カラータイツ写真集への歩み

私の小柳とかげ人生を語る時に、語らなければならないのはカラータイツについてでしょう。

カラータイツの人というアカウントを作ったのは、2022年の4月でした。

このとき、カラータイツ写真集を作りたいと思い始めました。
それが明確になったのは、この写真を母たちと撮った時でした。

カラシ色のタイツで公園で遊ぶ写真は美しく、アホで、なんだかとてもいいものに思えました。

そして、私はカラータイツ写真集をいろんなカメラマンに撮ってもらって作ろうと思いました。写真が好きになっていた頃だったので、今更だけどサークルに入ろうと思いました。

そんなときに新入生ガイダンスのスタッフとして一緒になった先輩が写真サークルの部長だったのです。そして、話を聞き紹介してもらい後日、新歓に並んでいるブースの中から写真サークルを探して話しに行ってみました。

そこに座っていたのがりかちゃんでした。
のちの華辻りかです。

入りたいと思っていると伝えると、「被写体探してたりするから是非」と言われました。
そして、最近使っていないリア垢で繋がってたことが分かりました。

「カラータイツ写真集を作りたいと思ってて、撮影しない?」

そう誘うと、

「いいよ、この日とこの日とこの日空いてるよ!」

とすぐに日程を考えてくれました。

あの空はとても綺麗でした。

その速さから、その次の週ぐらいにはもう撮影をしていました。

そして、撮った写真がこちらです。

わかるでしょう?
最高な作品になったんです。

出会って2回目とは思えないほど、息のあった撮影スタイルで色合いも全てが理想的でした。
何もかもが美しく、切なくて、カラータイツが映えている。

りかちゃんの作品もほとんど見てなかったぐらいだったので作風を理解してたわけではなかったのですが、
こんなにも素敵な腕前のある方だとは、驚きました。

初日の撮影のこの写真たちを見て、
「ああ、この人の写真だけで写真集が作りたい」
そう思いました。

そして、写真集が完成したのは8月です。
4月に出会い、実際に撮影をしたのは2日間だけです。たった、4ヶ月で写真集を作り上げました。

なのに、こんなにも素敵で奥行きのある作品が出来上がるとは。

もう少し振り返ると、私たちの撮影はほとんど会話がありません。
いや、厳密には私が「ここら辺からこういう風に撮ったらよくね?!行くわ!」と勝手に走っていきます。
そして、りかちゃんがそれを収めてくれるわけです。

私が勝手にポージングして、歩き回り、たまに止まり、走り飛ぶ。
そんな撮影を毎回やっています。

りかちゃんはそんな私の衝動を収めてくれているのです。
できた写真を見ると私は毎回びっくりするほど、良くて素敵で想像してたものばかりなんです。

これは、きっと、りかちゃんと私が見ている世界が近いからなんだと思います。面白がるポイントや綺麗だと思うところが、似てるのかもしれないです。

というよりも、りかちゃんが人の見てる世界に合わせる能力があるんだと思います。それがとてもいい。

ありがたい存在です。
そして、写真集『破れた日常』が完成してもなお、私たちは途切れることなく写真を撮り続けています。

2023年
2022年

1年を経て、私はカラータイツ写真集を作ると決めた場所にりかちゃんを連れて撮影をすることが出来ました。

感慨深い中でした撮影は、とっても素敵で、早く写真集にして皆さんに届けたい。
そう思います。

次の文学フリマ東京36では、その一部を使用したポストカードセットを販売します。是非手に取ってください。

この文フリにはりかちゃんも出店しています。
私が、出ろ、と命じたからです!
わりかし嘘ではなく、せっかくなら一度参加してみたらいいと提言しました。
23年の冬の京都文フリには一緒に出ましたが、今回は単独でひとブースを取りました。きっと、いい作品を頒布することでしょう。

りかちゃんも、本作れたらいいなぁ……。

カラータイツ写真集第2弾は、今年の文フリ大阪までに完成させる予定です。
きっと、本当にいい作品になるので、ぜひ今のうちに第1弾を買っておいてください。
制作費が大変で、お金が無いのでよろしくお願いします。

その他

22年、3回生になった年から短歌を専門的にやり始めました。
先生と出会い、見出していただいたことで、雑誌に載せて貰ったり、色んな会に参加させてもらったりしています。

ちいさなちいさな文化祭というイベントも主催させて頂きました。

他にも、映像作品を作っていただいたり、ドキュメンタリーを作ってもらったり、そういえばAbemaTVに出演したのも小柳とかげになってからですね。

まだまだたくさんの人との出会いや、素敵な経験がありました。

怒ったことも沢山ありました。
泣いた日も苦しくなった日も、
虚しい日も多いです。

もっと、人気な人間になりたいって思っています。

もっと、いい作品を作って、たくさんの人に見て頂きたい。

もっと、もっと。

望みが色々ありますが、まだ叶いそうにありません。

努力がまだまだ足りないことばかりですが、
きっといつかもっといい人間になって、
私のことを昔から知ってたんだよ、って自慢できる人間になります。

いつか、自慢してくださいね。

今は、就活と文フリと卒業制作と自動車学校で忙しい日々です。

頑張っているつもりですが、全然成果が出ない日々です。

だけど、好きだって思ってくれる人が少しずつ増えていっています。
それが本当に嬉しい。

推していたい、と思える存在になりますので、これからもどうぞよろしくお願いします。

頑張っていくよ。

見ていてください!

文フリ出ますので、良かったら逢いに来てくださいね💕︎

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