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書を持って旅に出よう

啓蟄|桃始笑
令和6年3月13日

旅行に携える本に悩む時間が好きだ。カバンのスペース上、持ち運びやすい文庫や新書に限定されるが、それでもジャンルや文体や時代はどうしようか、あるいは積読を消化するか、最近買ったアレにするか。悩む要素はいくらでもある。こういう時に電子書籍だと楽だろうと思うのだが、あれは質量を持たない情報である。旅には物性を備えた本が必要だし、何より出発前の悩む楽しみが奪われてしまう。

東京・青梅市の小澤酒蔵へ行った際は、うららかな春の中央線の車内でこくりこくりとしながら、『醸造論文集』を読んだ。発刊された1985年という時代が、その手触りからも伝わってくる。政府主導の構造改革によって零細酒蔵がどんどん統廃合していった時代だ。まさにその渦中にあった酒蔵のルポルタージュからは、経営不振ながら真摯に酒造りに取り組んでいる旨が伝わってくる。その後の酒蔵見学がいっそう楽しみになる。

先日は島根・出雲へ旅行した。島根のゆかりといえば小泉八雲しか想起できず(松江だけれど)、出雲空港で『日本の心』を買った。描かれる明治の農村の風景をぼんやりと想像していると、時折、東洋と西洋の差異に関する鋭い考察が現れる。硬軟を行ったり来たりしながら、ガムを噛むように読んだ。なるほど『日本の心』、著者ではなく編者がつけたタイトルかと思うが、なかなかいい名前だと思った。

これを書いているのは、新幹線の車内にて。仕事の有給をもらって灘五郷へと向かっている。さて、カバンの中には何の本が入っているでしょう。

-T.N.

桃始笑

モモハジメテサク
啓蟄・次候

家族労働生産方式を採用して(入鶴醸造元 近清誠之輔)

『醸造論文集』第40集(1985年)より。体温のある記述が心に沁みる。「みなさん金魚酒で儲かった時は私のところは恩典に浴しませんでした」「地杜氏で作ったものですから速醸酛など知るすべもなく、生酛造りでした」「1次から4次までの構造改善の結果私どもの周囲の多くの方が廃業されました。(中略)やめた方はたいがい小売の免許をいただいて、小売をされています」。他の文献ではあまり読むことができない、昭和の酒蔵のリアルがある。

梅が咲き、桃が咲き、人が笑う。うららかな季節がやってきました。

参考文献

なし

カバー写真:
2024年3月9日 出雲大社の河津桜。桜の走り


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