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演技にしんしんとしてる

まだ体力は戻らないままだ。
しかし、稽古をコツコツしている。
演技ってものの深いとこに、あまりの闇に、ゆるく逃げてみたりしている。
ただ、身体に、指の先までに、注意深くなればいいだけだ、しかし理屈が動機になるまでうるさくてね。晴れる夜に誰かの寝息が聞こえる。
one of the bear shooters in the world
の稽古をやっと始めたのだ。
音楽と交わるために。
演技が音楽になるために。

ジビエを振る舞うシーンから始まるのだ。

それは

自分自身の肉かもしれない

そい気がついたりしたら、もう今日の稽古は嫌になってしまって、今ノートを綴っている。

久しぶりに村井雄に会いたいな‥

東京の人達に会いたいな‥

なんて考えたりするのはなぜかな。

札幌ではハムとかおーはしさんとか会えて酔いすぎたな、会えた事しか覚えてないけど、もっと芝居の話したかったな、した事ねーけどな。
なんか、俺、変だな最近。

とにかくだ、直感じゃいい感じなんだが、そうじゃないのだ、肉体の自由はもう知ってる、そうじゃないのだ、肉体のドレミファソラシドを捉えたいのだ。声は精巧で頑丈な楽器だ、身体だって、魂だって、意識だって、そうなろう、叩け叩いて鳴らせと
震えてる。

先日のTHE DAWN OF MANも、晴れる夜も、ラブレターだ。恋文だ。今年書いた作品はそうみたいだ、恋文を書くのは初めてだ。何度か挑戦していたが、やっと、形になり、演じる事を惑わせている。

月がきれいですね、と無作為に言ってみたかった。
いや、昔、明け方まで酒を飲み、名も知らぬ女性とフラフラ帰路中、月がきれいだねと俺が言ったら、
名も知らぬギャルみたいな女性に夏目漱石の月がきれいですねの話を教えてもらい、明治大正昭和初期の文豪め、素晴らしいな、と思った無知な俺。

風景が見れなくなれば、自分自分になって死ぬんだよって、昔、思ってたなー。

今、ここ、の俺は風景も自分もよーく見えて見えないのだ。ただただ、人肌をたよりに甘えているだけだよ、オッさん。

もうね、ただいい役者でいたいし、誰かのためのヒーラーでありたい。
それだけ。
家族とか夫婦とか、わかんね〜から。
でもわかんね〜から、やってるよなぁ。
マジで父ちゃんに会いたくなってきたな。
顔も覚えてないけどさ、タバコクセェ匂いは覚えてるわ、オッさんの俺に会いたいかなぁ。
孫には会いたいかなぁ。
文章壊れてるから、もうやーめた

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