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エッセイ:野良猫のヨシダ

私の家の近くには野良猫がいる。地域猫というやつか?

毛色は真っ白のようでいて、近くで見ると少しクリームがかっている。パサパサしている毛並みが野良猫らしい。尻尾は短く、常にピンと立っており、よく見ると目やにが付いている。

私はこの猫のことをヨシダと読んでいる。
ヨシダのことを認識したのはいつからだろう。少なくとも中学での登下校ではヨシダのことをヨシダと呼んでいる記憶があるから、3年以上前ということになる。

ヨシダは誰の家にもズケズケと我が物顔で入り込み、いちばん日当たりの良いところでゴロンと寝ている。この前だって我が家の隣の山下さんちの広めなお庭でお腹を天に向けて寝ていた。

他人の家でヘソ天をしているくせに、ヨシダは人間が嫌いなようだ。
私は下校中幾度となくヨシダとの接触を試みたが、一本の毛も触らせてもらえたことはない。

この前だって、猫は目を合わせると敵対心が生まれるらしいとネットで見たから、近所の駐車場でヨシダを見つけた際には目を合わせずに、腰を低くしてのそのそと近づいたのに、手をそおっと伸ばした瞬間に逃げられてしまった。駐車場のど真ん中で中腰になっているだけの私の姿がそこにはあった。

高校に入学してもうすぐ1年が経つ。
生まれて初めての電車通学にワクワクしていたあの頃の私はもういない。
定期券を初めて手にしたときには、え!?!?学校までの駅ぜんぶ乗り降り無料なの!?!?とウキウキしていたが、実際は最寄りと高校の駅の往復しかしていない。

そういえば、最寄りの駅から家までの歩き道は中学の通学路と被っているのに、最近なぜだかヨシダを見ていない。
私は部活に入っていないので、まっすぐ帰っても中学の時と家につく時間はそんなに変わらないはずだ。

何より悲しいことがヨシダを見ていないことに自分が気づいていなかったことだ。今までは、自分からヨシダを探さなくとも、家に変える道にはヨシダがいた。毎日ではなかったけれど、週に一回は見ていただろう。

それが、最後に私がヨシダを見たのがいつかおぼえていなかった。
もしかしたらヨシダはもういないのか?それとも私がヨシダを認識しなくなったのか?

忙しすぎると周りのことが見えなくなるという。
現在の私は格別忙しいわけではない。期末テストを数日後に控えているが、それでも大した忙しさを感じてはいない。

これが大人になるということなのか?
日常を大切にしようと思った瞬間だった。

もう一度だけ、ヨシダに会えますように。

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