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星街すいせい『TEMPLATE』 /「天球、彗星は夜を跨いで」の続編 | 活動4周年の歩み


私が「星街すいせい」を知った時の第一印象はセルフプロデュースに優れた個人勢VSinger、だった。キタニタツヤ氏から楽曲提供された『天球、彗星は夜を跨いで』は彼女のそういったイメージを形作る上で自分にとっては象徴的な曲だった。

しかし『TEMPLATE』を聴き込んでいくほどに『天球、彗星は夜を跨いで』の持つ意味がより露わになっていった。恥ずかしながら今までその本質をほとんど理解出来ずにいたことに気付いたのだ。

この記事では、VTuber星街すいせいの来歴とシーンの変遷に触れながらこの2つの曲を読み解いていこうと思う。

『TEMPLATE』は星街すいせいの活動の軸である音楽を、初期から支えたコンポーザーと再びタッグを組む原点回帰の一曲と言える。世界観とMVが目を引く活動4周年に色を添えるシリアスな楽曲…なんて程度のものじゃない。より生々しい、剥き出しのVTuberの曲だった。

今回も作詞作曲編曲の全てをキタニタツヤ氏が手掛けているが、ただの偶然でここまでの歌詞の力は生み出されないように思う。あまりにもVTuberという存在に、彼女自身の来歴に重なる部分が多すぎるために、星街すいせいという生きざまが曲に必然に近い意味を持たせている。

星街すいせいのVTuberとしての最初のキャリアは個人勢としてだった。
キズナアイが「バーチャルなYouTuber」として最初に名乗り始めた「VTuber」は今は形を変え、配信者の側面を持つ活動者のスタイルとして定着しメジャーになりつつあるが、VTuberシーンがまだ未成熟であった時代は2Dモデル1つとっても全て自分で用意する必要がありデビューには高いハードルがあった。それがクリエイターの気質を強く持つVTuberの土壌を生み出した。自己表現として自らその姿を選び、思い入れを持ち、お互いの在り方を否定するのではなくまずは受け入れる。ほんの限られたコミュニティの、インフルエンサーや活動者とはまだ呼べないあだ花的なバーチャルYouTuberがそこにはあった。

多くの企業所属VTuberにとってその姿や名前は他人によって作られ与えられたものだが、個人勢は活動を始める上での決まりごとの多くを自分で決めてきた。星街すいせいもその一人だった。

その出自ゆえに「僕のこの痛みも姿形も誰に決められる事もない」の一節が特別な意味を持つように思える。

星街すいせいは元々アイドル志望だったが実を結ばなかった為に何とか才覚を形にすることができないかと考え、VTuberを選んだと折に触れて明かしてきた。いつか大きくなって、自分という才能を欲しがらなかった事を後で後悔させてやろう。そう語っていたこともあった。

そうだ僕にとって正解なんてどうだっていい
この生が正しいか間違いか自分で決めるから
その手に抱えた大層なテンプレートは持ち帰って

『TEMPLATE』

そうした確固とした芯を持ち、セルフプロデュースに優れているからこそ個人としての限界を感じ始めるのも早かった。フィジカルのアーティストになる夢が叶わなかったからVTuberを始めたのに今度はVTuberであることが制約になる。活動の幅が限られるうえにシーンの流れがあまりにも早すぎて、たとえ倍の速度でコンテンツを撃ち出したとしてもすぐに埋もれてしまう。
この先も続けるか、引退するか。鮮烈なイメージが必要だった。

活動生命をかけて送り出した『天球、彗星は夜を跨いで』は彼女のその時の心情を言葉にした曲ではないが、「彗星」の名前になぞらえたキタニタツヤの詩が恐ろしい程に噛み合った。彗星には一つとして同じものはなく、光を放たずに役割を終えることも、二度と観測されなくなることも多くある。才能を認められながら上手くスケール出来ずに終わってしまうのは世の常だ。その刹那的な輝きが、偶然に意味を与えた。

星はまた弧を描いて飛んだ
もやのかかった思考を晴らして
「いつかまた会える」なんて言えなかった
星が降った後の街 僕はもうずっと君の行方を探してた

『天球、彗星は夜を跨いで』

星街すいせいは名義を引き継いで企業入りすることにこだわった。
彼女にとって「星街すいせい」という分身はもはや、自分の才能を認めさせるためだけの単なるインターフェースではなくなっていた。
イメージを刷新しリスタートすることを持ちかけられても、星街すいせいであり続ける為に幾度もオーディションを受けた。
一度は断られたものの再び打診したところカバーの自社レーベル、イノナカミュージックへの所属が決まり移籍を経て現在の形になった。

もう僕は祈らない
この街の頭上を降り注いだ慈愛を仰ぎはしない
僕のこの痛みも姿形も誰に決められる事もない


あの一等星の輝きにも
幸福が蔓延る理想郷にも
届かなくたって構わない 僕以外何も要らない

『TEMPLATE』

もしかしたら一番の輝きには届かないかもしれない。
例え望まれなかったとしても唯一つの自分であり続ける事への覚悟が、
エゴイスティックに質量を伴った言葉として歌いあげられる。
肩書きのイメージより遥かに、星街すいせいは現実を見据えている。
耳に優しい言葉だけに縋らずとも自律した姿がそこにはある。

何度遮ったって五月蠅いほどに鳴るノイズが
好き放題僕を貶しカテゴライズの檻に縛っても
この声の正体に名前を付けられるのは自分だけだろう

『TEMPLATE』

表題の「template」は、フォーマットに当てはめてばかりいると本質を見失ってしまう事への戒めでもあるのだと思う。

VTuberには定義らしい定義がない。存在が曖昧で正解がないからこそ、受け手の数だけその姿形を変えていく。全てがフィクションなのではなく、かといって全てがドキュメンタリーでも無い。嘘を挟むからこそかえって自分らしく振る舞える、そんなあり方も存在し得るのかもしれない。

画面の向こうのそのまた向こうで放たれた言葉たち
殴っても傷まない透明な拳
満天の星の様に散らばっている硝子の破片の上を裸足で歩く様な痛みだ

『TEMPLATE』

VTuberの匿名性のフィルターは、活動者を守る盾にもなり得るしその逆にもなり得る。その先に人間がいるという本質を鈍らせてしまう。
それでも感情を揺さぶる何かを生み出すのはいつだって人間であり、それを受け取るのもまた血の通った人間の感性だ。

『TEMPLATE』は星街すいせいという存在の強さ、それを取り巻く切っても切り離せない歪み、それが混然となって生々しいリアルを突き付けてくる曲だ。



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