夫の誕生日カレーと私のロック

 本当に何もしたくなくて、せっかく生後9ヶ月の娘がお昼寝してくれた午前中にベランダで雨を見ていた。コーヒーを淹れるのも面倒で小さなグラスに濃縮のコーヒーと牛乳を入れて、あと頭が回るようにとりあえず冷蔵庫から出してきたキットカットを湿ったベンチに置いた。ぼーっとしようとするのに頭はカチカチ考えてしまう、今朝の息子のこと。

 2歳5ヶ月、イヤイヤ期ど真ん中の息子は朝、あいさつをしても返さなかった。朝ご飯は卵焼き、焼いたサツマイモ、野菜スープ、1/9に切って食べやすくしたトーストだった。しかし、いらなーい、食べなーい、と席にも着いてくれないので仕方なくバナナジュースを作った。私は夜中3時の授乳後に夫の誕生日プレゼントのアルバムをカメラのキタムラアプリで作っていたため、眠くてだるくて調子が出ていなかった。イヤイヤ期の息子の食欲をそそるメニューは作れていない自覚があったので、夫と息子は8時に家を出るのにEテレではなかっぱがやってるくらいの時間にも関わらず、まだジューサーを回していた。結局焦って牛乳に対してバナナを入れすぎてぬチャーっとしたバナナジュースになってしまったが、時間がなかったのでそのまま出したら「これ、まずいよ」と言われて半分も飲んでもらえなかった。夫は優しいので飲み干して「何言ってるの美味しいよ」と言ってくれたが、私も2人が出た後やれやれと飲んでみたら美味しくなくて、やはり半分くらい飲んでギブアップしてしまった。こんなマックシェイクより濃厚な飲み物を2歳児に早く飲めと言っても無理だったなと反省。昨夜は実母が夕飯を作って持って来てくれており、バーバ大好きな息子は大喜びだった。バーバ見てみて、救急車だよ、アスファルトフィニッシャーだよ、と自慢のトミカを見せて110番ごっこをしている。バーバも事故ですか?事件ですか?と楽しそうに遊んでくれている。

 いつもバーバの来る日はバーバとお風呂に入っているけど、息子は少し風邪気味で咳が出ていたので、高齢者のバーバに風邪をうつしては迷惑だし、万が一コロナになられては怖いし「今日は久しぶりに母さんと入ろうね。」と言ったらギャン泣きだった。「嫌だー母さん嫌だ、お風呂入らなーい、バーバと入る、バーバと入る」と泣き続けた。そのうち夫が会社から帰って来てなだめに入ると今度は「嫌だー母さん嫌だ、お風呂入らなーい、父さんと入る、父さんと入る」と泣いた。繰り返しているだけかもしれないが「母さん嫌なの?」と聞くと「母さんイヤだ」と言われてしまった。一緒に入ろうと誘ったときはすでに息子のアンパンマンのオムツとパジャマを用意し、息子を脱がして自分もすぐ入れるように私は下着だった。20分ほど下着姿のまま説得にあたったが失敗に終わって、結局帰って来たばかりの夫が一緒にお風呂に入ってくれ、私はすごすごともう一度服を着たのだった。いつもお風呂は息子も娘も順番に夫がお風呂に入れてくれている。私はその間に夕飯の仕上げや授乳などしているから、なかなか息子と一緒に入る機会がない。たまに一緒にお風呂に入れるタイミングがあると息子はいつも喜んでくれるから、母さん嫌だと泣かれてかなりショックだった。

 息子は頑なに3人の大人のうち私だけを拒絶した。イヤイヤ期だから大した理由も無くそうなると頭では分かっていても、自分のどこが悪かったのかと考えてしまう。浮かんでくるのは自信のない部分、サボって夫にやってもらっていることだ。1歳8ヶ月で妹が生まれてから赤ちゃん返りと同時に急にイヤイヤ期に入った息子。産褥期だったり授乳がうまくいかない期間が長く、息子のお世話を夫に丸投げしてきたツケが回ってきたと思った。お風呂も任せているし、朝は私が朝食と離乳食を作っている間に、夫が朝に弱い息子に絵本を読んだり遊んだりしながらなんとか起こして席に着くまでの一切、オムツ替え、着替え、それに保育園バックの用意、私が席に着くまでの間だけ離乳食をあげる係もやってもらっている。(私は要領が悪くどんなに主婦歴が長くともなかなか調理時間が短縮されない。ちなみに母親になったとて食べるのもまた遅いままだ。)夜の歯磨きも嫌がる息子に力負けしてしまうからいつからか夫の仕事だ。爪切りもお腹が大きいときに出来なくて代わってもらっているうちに夫にお願いするようになっていた。爪切りは息子は特に大嫌いなので、いつか取れそうになっていた爪を切ろうと無理矢理切ってしまったことで私への信用がなくなって、切ろうとすると「父さんにやってもらう!」と言われてしまうようになった。

 娘はつかまり立ちを練習中で、体重も軽く私でもヒョイっと持ち上がる、あまり泣かずいつも朗らか。私と目が合うと嬉しそうに満面の笑みで近づいてくる。寝てからそっと隣の布団に移動しても、寝ながらハイハイして私の脇の下に頭をくっつけて眠る。トイレに行ったりして夜中に離しても何回でも帰ってくる。私の羊模様のふかふかパジャマがお気に入りで、そのパジャマを見つけると襟をカミカミして同じように満面の笑みでお尻をぴょんぴょんして喜ぶ。私が近くにいなくても羊のパジャマが置いてあると喜ぶので、私の一部だと思っているのかもしれない。女の子は精神が複雑そうだし辛辣だし、編み込みとか毎日しなくてはいけないし、正直2人目も男の子がいいと思っていた。でも生まれてきてみたら娘の柔らかさや可愛さに驚愕し、苦手だったヘアアクセサリーの類もたくさん買ってマメに結んだり髪型を変えては悦に入っている。息子は赤ちゃんの頃からクールで、後追いもほとんどなかったし、児童館の乳幼児室でトイレに行くときなどいちいち連れて行かずに、ママ友にお願いしてみてもらっていても泣いたことが1度も無かった。人見知りもない、夜泣きもないし、イヤイヤ期まで好き嫌いもあまり無かったし、普段からあんまり泣かず夜も起こして授乳するくらいよく寝る手のかからない子だった。初めてのズリバイもおいで!と両手を広げた私に向かってきたと思ったら、近くの絵本向けてまっしぐらだった。

 それでも寝かしつけの時は母さんあれ読んでこれ読んで、トントコトンして、などとくっついてきて眠るから愛着はしっかりあるのだと思う。でも父さんの方がお世話してるのは間違いない。夫と夫婦喧嘩するたびに、もし万一のことになった時、娘は私についてきてくれるだろうが(授乳中だから)息子はどうだろうかと心配になる。専業主婦でこれといった甲斐性もないし、貯金も体力も実家すらないし。頭のいい息子はまず私とする苦労を選んではくれないだろうと思う。たまにヒットで美味しいものが食べられるけど、体調壊すときっと何も出てこないと予想するだろう。

 雨のベランダに佇んで息子にフラれた気分でいても仕方ない、今日は夫の誕生日だからめげないで頑張って玉ねぎを切ろう。頑張る為にたまにはCDでもかけながら作業しよう。リビングのオーディオの中にはフィッシュマンズが入ったままだった。この選曲のままでは落ちて行く一方な気がして、昔好きだったインディーズのロックバンドの最後に出たアルバムをかけた。とりあえず冷蔵庫から玉ねぎを2個出して、1個をみじん切りにしたらすぐ圧力鍋に直接入れて炒めてゆく。弱火で炒めながら気の向くままにもう2個、新玉ねぎもあったからもう一個。音楽に集中していると、どんどん手が動いてゆく。玉ねぎを炒めながら朝の洗い物をして、しながらラッセルホブスでお湯を沸かし、麦茶を作って、ジャガイモをゴロゴロ8個、ボウルで洗って淡々と包丁で剥いていく。何かしながら何かすると、また何かやれる事が増えて音楽をかけたことで鬱鬱とした気持ちが晴れてくる。作業が進むことで停止しないで何がやってるという小さな自信が湧いてくる。そういえばよく小さい頃によく母に言われた「頭で考えてもダメ、考えは手を動かして指先から出てくるものなのよ。」

 カレーは着実に出来上がってきていて、私の頭の中はイヤイヤ期の悩みから解放され、新宿の地下のライブハウスに通っていた頃の映像が流れ始めていた。聴いている音楽は鬱ロックと呼ばれるジャンルのもので、でも鬱というよりは跳ね返るように転調して明るく振り切った感じのロック。鬱っていうか、振り切って躁ロックみたいな音楽。当時、自分が置かれていた運命が気に入らなくてその音楽に同調するように20歳で離婚したり、初めて勤めた会社を怪我した勢いで自分から辞めたり、お金もないのに思い立って一人暮らしを始めたりとめちゃくちゃな時代だった。

 ふと現実の憂鬱を思い出し、音楽によって時代をミックスした頭で、煙草が吸いたいと思った。もう4年も前に禁煙したのに、最後に吸ったハイライトメンソールの箱がベランダの定位置に置いてあるような気がしてくる。大好きなウイスキーも飲みたくなる、でも全部授乳中だから無理だ。母親が授乳期に煙草もお酒もできないのは、健康面以外でも抑制されて安全だ。人間って良くできてるなと思う。懐かしく痺れるほどに楽しかった感覚から記憶が蘇って、流れてくる音楽が「前みたいに全部を捨てちゃってお前らしく生きろよ」と言ってくる。それが出来たらどんな気分か、お酒も煙草も楽しみたい。でも、やっぱりロックの寿命はリスナーにとってだって短いのだ。今の私の感情を説得してロックにて解決することは出来なかった。勢いのみのあの頃と同じような選択、これが出来てしまうと子供を捨てたり育児放棄になってしまうんだろう。20代の私はこの音楽に大いに救われた、何者にもならない事に、誰の常識にも囚われない事に。夫の為に作っていたカレーが一段落して、座ってひと休憩。SNSでその頃の自分の日記を読んでみた。もう戻れないよ、だってバンドすら解散してるんだもん。時代が完結し、終わった音楽。大好きだった、もう2度と生でライブは聴けない。ラストアルバムを再生して再会する過去の自分。ひとつの音楽をしばらく聴きこんでいるとレコードみたいな溝が出来てくる、そうしてその溝にしっかり自分の人生も刻印されてゆく。誰とも共有しなくても、その音楽を聴いただけで記憶を辿りタイムトリップして当時の自分と会える感覚。夫の好物のカレーが出来上がり、娘は昼寝が終わって泣き始めた、私はタイムマシーンを降りて泣いている娘の授乳をしに寝室へ向かった。



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