「人に期待しない」とは「人を信じること」
食後のデザートは、ケーキでもフルーツでもアイスでもなく、「暴君ハバネロ」を食べるカタヒラレンです。
さて。
人生の辞書代わりにしているアルフレッド・アドラーの思想の中に他人との関係を良くする思想があります。最近、自分が人に対して怒ってしまうポイントを考えていたとき、アドラーの他人へ対しての良好な態度を思い出したので、他人を思いやり、かつトラブルを起こさない心構えを僕の解釈で共有しておきたいと思います。
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他人に対して、あまり怒らない人間というのは一定数存在します。僕もこれまで何度か出会いました。「彼らみたいになりたい!」と共通点を探した時期があり、僕がアドラーの思想をベースにたどり着いたのは「他人に期待していない態度が、怒らない人間をつくる」という答えでした。
逆に、他人に期待して勝手にハードルを設けるから、そのハードルをクリアしてくれないとイライラして、怒ってしまうという心の変化が怒りっぽい人にはある気がするんです。他人側からすると、「そんなハードル知らんし」ってかんじです。どこかで「他人が自分の思い通りになってくれる」と期待しているんでしょう。原理的に、人間は主観を通してしか生きられない生き物ですから、そんな状態になるのも納得はいきます。
怒らない人は、他人が思い通りになってくれるという期待をしていないから怒らなくて済むんです。
「他人に期待しない」ことを推奨すると、「人に期待できない人生は悲しい」という意見が出てくることがあります。
これに関してはよく意味が分かりませんが、今朝はそんなことを言う人に優しく寄り添ってあげられる心の余裕があるので、もう少し考えたいと思います。(東京タワー並の高さの上から目線)
「人に期待できない人生は悲しい」という人は、言葉遊びが好きな人で、因果関係の薄い内容を理にかなっている風に聞こえさせる天才です。
「人を○○できない人生は悲しい」と言われると「確かに!」と納得させられる魔力があります。でも、大丈夫。あなたと私ならカラクリを暴けます。
「人を信じられない人生は悲しい」。これは、その通りだと思います。「信用(双方向)」であれ、「信頼(単方向)」であれ、信じることは社会で生きるための不可欠な力です。
ですが、「期待すること」と「信じること」は区別して考えなくてはなりません。
「他人を信じること」は、「他人の能力を、強さを確信すること」なので、「他人が自分の思い通りになってくれることを期待する」のと逆の思考です。
つまり
「人に期待しないこと」は「人を信じること」です。
自分から勝手に介入して(よかれと思って)、思い通りにならないとイライラする人間より、必ず壁を超えられると信じて見守り、助けを求められたら全力でサポートできる体制が整っている人間になりたい。そんな気持ちを引っさげて、これから伸び切った髪を切りにに行ってきます!笑
ではまた^^
今日も東京の片隅で、非生産的なことを非効率的に行っております。