見出し画像

50歳のノート「踊りの師匠」後編

◯ 名取試験の日
先生が戦略を巡らせ稽古を積み重ねて名取試験の日を迎えることになった。
当日は着物を着て試験会場に行く。着いてから試験用の着物に着替える。
試験用の着物は会場で着付け師さんが着せてくれるが、行くまでの着物は自分で着なければならなかった。
同じ日に試験を受ける同門の2人は着物を自分できれいに着ることができた。
自分は見よう見まねでしかなくきれいに着ることができない。
胸が大きくぽっちゃり体型なので形になりにくい。
そこで私の着付けを不安に思って先生が当日着付けてくれるという。

当時の朝、稽古場を訪ねると先生がてきぱきと着付け始めた。
朝の明るい陽ざしが稽古場を満たしていた。しゅるしゅると静かな音がする。
「あの、すみません。着付けまでしていただいて」。
小さな声で言うと
「いいのよ。名取は娘みたいなものだから」。
先生らしい気品のあるシルエットの着上がりにドヤ顔で会場に向かった。
会場では当日100人が受験すると言う。
大舞台に50人ずつ入り一斉に同じ試験曲を踊って、合格不合格が分けられる。
試験官の席に高名な踊りの名手の先生方が並んでいる。
中でも自分がファンの先生がいらした。
ファンの理由は自分の先生の雰囲気を感じたからである。そう先生に伝えたことがあった。
「先生の踊りを感じる」と言うと、彼はスタアよ、とコメントした後、「同じ二代めの家元の先生の流れかもしれない」とぽつんと仰った。

試験会場に全国から集まった受験生が一斉に入場する。入場の並び順も先生の経歴の長い順に並ぶそうで、自分たちは先頭から2番目だった。
先生は「だいたい私の門下生が先頭なんだけどねぇ、今年は私より古い先生がいたのねぇ」とからっと仰った。
自分の先生はピラミッドの上位であることが誇らしかった。
童話「王子とこじき」のこじきが王宮でドヤる気持ちがよくわかった。
よきものに属してその上位にいるということがなかった自分の貧しさをそっと噛み締める。
そうでもしないと自分が抑えられないくらい浮かれていた。

先生方が門下生を残して別室に去る。
いよいよ会場に入場し座してお辞儀曲の始まりを待つ。
曲が始まるとぎょっとした。
まだ立ち上がるタイミングじゃないのに立ち上がっている人が何人かいた。
先生のコメントを思い出す。
「試験曲はタイミングで振りが決まっているから、それに外れると減点になる。本当は研修会でそれを先生が学んでおかないといけない。けれど、自分がその曲を習った時のまま教える先生が多い。地方の方とか研修会のために上京することが少なくなっているから。あんたたちは、人につられないように。3人が揃ってさえいれば「あの先生はこうやって教えたんだな」とわかるから」。
先生が会場での踊りはめちゃくちゃよ、と仰ったとおりになった。
しかも、3人並んで踊る予定が交互に1名ずつ前に出ることになり、真ん中の自分が前に出てあとの2人が後列になったので見えなくなった。
稽古場の舞台に3人であがって合わせながら踊っていたときと勝手が異なる。

けれど私は爽快だった。
片や他の人の位置におかまいなく踊るてめえ勝手と、片や「私うまいのよ」とマウントをかまして大振りになる人だった。
その2人が思うさま動く合間で自分の場所をちまちま取りつつ基本を絶対外さないというわけのわからない苦行になっていた。

いざ踊り始めると、となりのよその門下生がどこまでも上手側の自分の方に突っ込んでくる。避けようにもこれ以上行くと私より上手の人の空間を潰してしまう。
彼女はずれ込んだ時の戻り方を知らないようだった。私たちはそれぞれどのポイントで戻るのか先生に伝授されている。

回る時にふと後列が目に入ると、マウントの隣の人がさらに大振りで扇子をマウントの頭の上に被らんばかりに広げていた。
隣のてめえ勝手は右回りなのに左に回ってしまっていた。
人のミスを見るとつられるのでお腹の中で先生に言われたことを繰り返し再生しながら踊る。

踊りながら会場をながめると、とんでもなく差があることに気がついた。
みんな粗くタイミングもめちゃくちゃだ。まるでラジオ体操である。
それを見ると我々3人がいかに高い教育を受けてきたことがわかった。先生の試験対策の積み重ねと先生の踊りが私たちから再現されている。
ありがたいという思いで踊りながら涙が滲んでくる。

あっという間に二曲踊って試験が終わった。
結果発表をドキドキで待つと3人とも合格していた。ふりを間違えたてめえ勝手もしっかり残っていた。天然めいたしたたかさで彼女は欲しいものを得るタイプなのだ。
マウントが当然だろう、なんなら試験官の先生方から踊りの演目のスカウトが来るかもしれないと得意げにしていた。

先生は早朝から暗くなるまで淡々と付き添ってくれた。着替えの遅い自分の着物の片付けまでさっとれやってくれた。
80近い先生の体を思うととんでもない負担だったが、先生は疲れた顔も見せずいつものからっとした上品な雰囲気をまとっていた。
合格のお礼を言うと先生はさらっと「よく踊れてたから安心だったわよ」と公平に3人に声をかけた。

私はこの場でKさんと一緒に合格したかったとそっと思った。どす黒いのとてめえ勝手と、のそのそしてるの(自分)の3匹よりもKさんが踊ってくれた方が門下生代表として踊りの格が上がったのに。

◯ 先生が舞台を降りる
数年が経ち、先生のご主人が倒れられた。
そしてあっという間に亡くなられた。
以来、先生がガクンと落ち込み体調が思わしくなくなる。
急遽、お嬢様である先生が代理で稽古をすることになった。
大きいお屋敷があれど、お嬢様先生のご家族の自宅まで距離があり、心配ということで、セレブ御用達の近くにある施設(と言わないかもしれないが、完全看護のホテルのようなもの)に入られることになった。
一時的にそうして様子を見てお稽古に復帰ということだったが、待てどその日が来ない。
お嬢様先生のおかげで門下生は路頭に迷わなくて済んだが心はいつまでも先生を待っていた。

◯ DVDとかぼちゃ饅頭
先生が交流を好んだので、やれ大掃除のあととか、浴衣でおさらい会の後とか、みんなで稽古場の大きな座卓を囲んでお茶をすることがあった。先生がお茶菓子を用意してくれていたが、いつのまに有志が何某かをもってきていた。
誰がどういうのを持ってくるかだいたい見当がついていたので、私は質実剛健、コスパ良しのもの、かつ持って帰ることができる個包装のものにした。
その中にかぼちゃ饅頭があった。
先生はご実家からしてセレブ、ご主人は日本人なら誰でも知っている企業の会長をなさっていて、いわゆるネイティブなセレブだ。
なのにそんな庶民的なものを好まれた。
かぼちゃ饅頭をもっていったときにとても喜ばれたのを覚えていた。

先生がセレブ専用の施設に入られてから、明日はお嬢様先生が面会に行くというときに自分の稽古があった。
お嬢様先生にかぼちゃ饅頭と巻き寿司と、韓国時代劇「宮廷女官チャングムの誓い」のDVD全巻セットをお渡ししてくださるようお願いした。
チャングムは料理と医療の話があるし、何よりも人の心を大切に描いているので先生が少しでも元気になって下さればと思った。
後日お嬢様先生によると、先生はDVDの箱を抱きしめるように持って帰ってくれたそう。かぼちゃ饅頭も召し上がったそうだ。

◯ 先生が去る
先生が他界されたと一報があった。
お通夜はご家族さまのみで、告別式は平日である。転職したてだったため休みが言いにくかったが私が行かない訳にはと思い、休んで喪服の着物をきて手続いにいく。
先生が施設に入られてからいつのまにか年月が経っていた。けれど先生を慕って踊りの関係者が会場にあふれるほど駆けつけた。
私は先生の不在をどうしても感じられず半ば呆然として手伝いに励んだ。

名取試験の日のような陽ざしが明るい日だった。
私と先生が過ごした時間は私の中に残っている。
きっと私がこの世を去る時に思い出す光景の一つは試験の日に着付けをしてくれた先生だ。
先生が他界した今、実は失ったものはなく、与えてもらったものばかりが体の内側を満たしている。
自分も先生のようにからっと静かで明るい気配を残す人でありたいと思った。
つましいけれど澄んだ香りがする梅の花みたいに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?