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平等にやろうとすると、苦しくなるから。

こんばんは、クラフトビア子です。
気がつけば、夫との暮らしも15年くらい経ちました。

けっこうな年月を一緒に暮らしてきたものです。結婚したては夫といるのがとにかく楽しくて、でも同じくらい我慢したり私ばっかりなんでという、夫への不満も抱えていました。それはたぶん夫も同じだったと思います。私といるのが楽しくて、でも同じくらい私のことで嫌な思いもしたはず。

本格的な喧嘩はそんなにしてこなかったけれど、嫌な空気になることはそれなりにありました。

そうなる原因は十中八九、家事のせい。夫がイーブンに家事をしたことはほとんどなくて、私がやっている家事の量の方が多かったのです。

料理は全然やらないし、水回りの掃除が適当。何かやってくれてるかと見ると、ソファでとぐろを巻く始末。衣替えも子どものお世話もたいていは私です。

最初の数年はそれはもう、家事分担に苦しみました。特に子どもが生まれてからは「ごはん作らないなら、外食でいいじゃん」という逃げ道もない。たまに子どもを連れて外食しても、ショッピングモールのフードコートだし、たいていは食べたくもないうどんを子どもとのシェアを考えて頼むしかない私。

分担表を作って負担をイーブンにしようとしたり、怒ったりすねたり、話したり。まあいろいろやりました。でも結果は、いつも嫌な空気が残るだけ。消耗するし、悲しくなるしで、「家事でけんかなんて何やってるんだろう」と何度もつよく思いました。

そんな私に夫がひとこと。

「できないんだからしゃーないやん」「できる人がたのしくやればええやん」

いやいや。子どもですか、と思いました。開き直りですかと。
できない人しかいないから毎日のように外食しようなんて、どの口が言うんだと思いました。でも、できる人がやればいいというのは真理。

料理が好きな私は、やっていくうちにどんどん上達したし、掃除もうまくなっていきました。よく考えたら夫の口車にのせられたのかもしれません。

でも「なんでやってくれないの」「私はこんなにやっているのに」という思いが募って不機嫌な時間を多く過ごすよりも、ずっと豊かな時間を送ってこれたと思います。

つくった料理はおいしく食べてもらえるし、家が散らかっていてもすっきりしたら自己効力感がすごい。水回りの汚れをどうやったら溜めないでいられるかも、うまくやれるようになりました。同じくらい、夫も子どものことや庭仕事、買い物なんかをやってくれるようになりました。イーブンかどうかはカウントしていないけれど、私がやっている以上、自分だけやらないわけにはいかないからやっていたら楽しくなるみたいです。

機械に頼る部分は大いに頼ってきたし、力尽きてやり残したことは、夫がだまってフォローしてくれていました。

だから、今になって声を大にしていいます。

「イーブンな家事分担なんて無駄」だと。

家事はやれる人がやれるときにやればいいんです。いやならやらない。埃が床を舞っていてもやらない。

誰かが言っていました。
『埃のせいで死んだ人はいない』、と。

信頼してGIVEしていれば、どこかできっと家族はあなたに返してくれます。返してくれなくても、GIVEしたことは自分の中に財産として残ります。

ところでバランスも大事です。自覚の有無にかかわらず、搾取され続けたらパートナーシップはいつか歪んで崩れ去ります。

いかにバランスをとり、無意識にでも搾取構造にならないようにするか。

うまくできる夫婦になるべく、まだまだ修行中。山あり谷ありですが、それもまたたのしい。お互いさまだし、割れ鍋に綴じ蓋。仕方ないよね、と笑うくらいには成長したような気がするビア子でした。

それではまた。


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