見出し画像

個人的信仰のかたち

 滅多に書かない一般論じゃない主観のはなし。

bio

 SNSとかその他諸々のbioにだいたい書いてあるので、世の中にごく僅かに存在しうる気付く人は気付くだろうと思うのだけれども、そこに「namaḥ samanta-buddhānāṃ brahmaṇe svāhā」すなわち梵天の真言を記述している。
 要するに自分の信仰の中心は梵天ってことにしている。

梵天

 詳細に説明すると色々入り組んでいるので軽く書くが、元は古代インドの神話で登場するブラフマー(ブラフマン)であり梵天はそれを仏教の体系に組み込んだ捉え方、となる。もとは聖典の神秘性として、そこから万物の根本原理を司るものとして扱われるようになっていき仏教的には、仏法の守護神というポジション。悟りを開いた釈迦に教えを広めよと言った梵天勧請というエピソードがそれなりに有名。
 像としては、四面四臂、顔が4つに腕が4本でガチョウの上に乗っているかたちで描かれがち。

親しみづらい

 そのとっつきにくさと全ての根本原理を司るのと、梵天勧請のエピソードがなんだか印象的で、一般的でないもの好きなところと物理学的理解を中心に生きていることと、アウトプットが下手っぴな気質を持つところから自分に割と刺さり、今に至っている。

仏教

 宗教としては仏教徒ってことになるのだけど、これはまあ家が仏教だったからというよくある理由。父方が浄土真宗で母方が真言宗だったが離婚してぼんやりと母方なのでぼんやりと真言宗。ただ母が若い頃に曹洞宗の座禅をしていたらしく数年前からたまに近所のお寺の座禅に同行したりしてて、思想的に特に特定宗派に絞っているわけでもなく、よくある葬式とお墓は真言宗のとこっていう感じ。そもそも父方の名字を名乗り母方で生活してきた次男なので、家の伝統とか慣習とか何も肩に乗っかってない超絶お気楽な立ち位置にある。故に、ご縁があるもののうち自分に合っていたものが残り、それが梵天であり真言宗であり曹洞宗であり、みたいな具合。

排他性排除

 今後もずっと今の信仰状態が維持されるかどうかはわからないし、変化していく可能性は十分あるのだけど、ともかく信仰対象として扱わない要素は決めていて、それが排他性。うち以外信仰できないとか他の宗教や宗派を貶めるような要素については嫌悪しかしていないので未来永劫一切支持することはないですね。排除しないと成り立たせられない程度の劣った思想って自己紹介してるようなものなのでは、っていう。生活様式も環境も気質も人生経験も人それぞれなんだから色々あって良いじゃろそんなん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?