2022年9月

 虚空に向かってただ生きた記録をしてきたわけですが、毎月どんな形式で書いていたかを忘れてしまうので先月分を見ながら書いています。なんかこういうことわざか故事成語あった気がする。ないかもしれないけど。あったらいいな。そんな、9月。

9月のライブ

  • 9月1日@代々木labo「生誕だからサンバ~かいせこなつ生誕祭~」

  • 9月6日@代々木labo「Music cATAloG」

  • 9月8日@ DOMe柏 「DOMe kashiwa ACOUSTIC SERIES2022 延長 十二回裏」

  • 9月11日@代々木labo「YOYOGI ACOUSTIC JAMBOREE 2022 -秋-」

  • 9月13日@下北沢Laguna「Day by Day」

 9月は前半にまとめてドカンとライブが固まりました。その一発目はかいせの生誕祭。自分のバースデーにも出てもらったので祝い返し135%という感じで挑みました。テキーラ返しもできて良かった。書いていいかわからないのでぼかしますが、僕の出番中にそれなりのアクシデントが起きてしまいしかもその一部始終を目撃したのは僕だけというかなりレアな状況になりあたふたしてしまいました。ああいう時どんな顔したらいいかわからない。そんな意味でも二度と味わえないライブだったかと思います。
 8日は初めましての柏でやらせていただきました。新しい場所でライブをするのはとても楽しいですし良い緊張感があって勉強になります。しばらくできなかった曲とかはこういう日にもっていけるのでそれもまた楽しいライブになりました。とても素敵な場所だったのでまた出たい!!
 11日はアコースティックジャンボリー!無理言って入れてもらいました。総勢16組の錚々たるミュージシャンが1日中歌い続けるイベントでした。大好きなミュージシャンだったり10年来の友人であったり最近超仲良くなれた友人だったり偉大な先輩だったり、と幅広い年齢層のミュージシャンが一堂に会するのはお祭りみたいな気持ちでとても興奮しました。
 13日は久々のLagunaでした。ずっと続く自分の機材の不調だったりでいろいろバタバタした結果、出番に自分のステージドリンクを袖に忘れるというミスをやらかしました。皆さんに手拍子をお願いしてその間に取りに行くというテンションの上がるやつをやりました。準備って大事ね。

9月に見たもの聞いたもの

 仮面ライダーギーツが始まりました。スタートは面白い感じでしたが、去年リバイスにも同じことを言っていた気がします。ただいきなりかわいい女の子から「あなたは今日から仮面ライダーです」って言われるかもしれない!というドキドキだったり、あくまで仮面ライダー同士の戦いがメインだったり、面白要素いっぱいだなって思います。DGPの流れはどこまで続くのか、その狙いはいったい….!?気になりますねぇ。

 BEYOOOOONDSの2ndアルバム「BEYOOOOO2NDS」が出ましたね。生まれて初めてアイドルのCDを買いました。レジで抽選ボックス引いたり写真渡されたり特典多いなって思いました。
 アルバムめっちゃ最高ですね!!!やばいっすわ!武道館の配信で聞いていた「虎視タンタ・ターン」と「涙のカスタネット」「オンリーロンリー」はしっかり名曲だし、未発表曲たちもずっと聞いちゃう。曲順も最高だし。 「オンリーロンリー」で締まるの最高すぎる。Disc2に入っているユニットの新曲は期待以上。CHICA#TETSUの「待ち合わせはJR梅田駅で」は一日何十回も聴くほどヘビロテ中です。全曲山ほど感想があるから別でノート書きたい。

 代々木laboの2階席(正確には地下一階ですけど)のドリンクカウンターの向かいにあるインフォメーションボードにて、月に一本コラムを書かせていただけるようになりました。laboに遊びに来たら読めるよ!というものです。短い時間でサクッと読めるものにしていますのでスタート前の時間や物販待ちの時間にでも読んでみてください。laboじゃないと読めない!というのにしたいなって目標。

その他いろいろと

 時間が経ったことでも、溜飲を下げるために。
 力技で延長したモラトリアムを経てもまだ足りないと思ったまま社会に放り出されふらついて思ったことが、案外「やりがい」だけがモチベーションの人って少数派なのかなということ。「やりがい搾取」という言葉が生まれて久しいですが、それってそんな悪いことだったのかと最近気づきました。
 そりゃみんな安定したまま大きな事件も事故もなく平穏に過ごせることが一番です。当たり前です。僕みたいな貴重な人間は日陰を歩いたほうが本当はいいと思います。ただ日本は平和で優しい国なので僕のような者でも昼間大通りを闊歩できるのです。ありがたいことです。やりがいと楽しさがあればそれでいいのです。ただ、そのやりがいすら踏みにじるような、軽く見るような、蔑ろにするような人だけは敵です。戦わねばなりません。
 そこで出会える人の方が価値があるし、そこで起きる出来事の方が価値があるという思考だけではだめなのかなと不安になることがありますが、そんなところで弱音を吐くと敵は容赦なく息の根を止めに来ます。やりがいに見合ったリターンがなくても、僕のような人は生きるしかないのです。
 小学4年のころ、自分を含めた数人が雨の日の昼休みに何か教室で遊ぼうということで企画をしたものの、みんなそれなりにお年頃なので結局僕らの企画は蔑ろにされぶっ壊れたことがありました。大喧嘩とかになったはず。そこに担任が「今日の昼休みに起きた問題の感想を書け」という宿題を出しました。
 この件は大きく分けて
【①企画を楽しみたかったのに壊された人】
【②企画を壊した人】
【③楽しんでもらうために企画したのに壊された人】
の3つの視点に分かれるわけですが、担任は①が被害者、②が加害者の構図を作りなぜこれが起こったのかというのを道徳か何かの時間を使って話合わせました。話し合いが進むにつれてなにかが引っかかっていたのですが、ぐんぐん話し合いは進みます。今考えれば話し合う余地もなく100:0で②が悪いし極刑に値するわけですが、なぜ②の人たちはあの時間を壊したくなったのかみたいなところまで話が進んだ気がします。多分外で遊びたかったのに変な企画されても意味が無いみたいな供述をして、それは楽しみたかった①の人たちに迷惑だよねみたいになったはず。いやちょっと待って、俺ら③の視点は?無視?もしかしてこの事件が起きたのって俺ら③の所為?小学生にとって憂鬱で仕方ない雨の昼休みという時間をどうにか楽しませようとした俺らへの謝罪は?
 結局思いやりの心を持とうみたいなクソくだらないオチをつけて無駄な時間が終わったわけですが、俺からしたら②を甘んじて受け入れてあとからブーブー文句を垂れた①も俺ら③から見たら加害者だし。え?黙って待ってたら楽しいことが舞い込んでくると思ってんの?楽しいことが自然発生したとでも思ってるの?準備した人は存在しないとでも?
 急にあの日の出来事を思い出すぐらいに、なんかいろいろありました。楽しんでもらうために僕はこの場にいたのになぁ…みたいなね。しばらくネチネチ言ってたけどさすがにしつこいと思われちゃうからここにこっそり書いてもう話題にも出さないことにしようかなと思いますが、一生許さないしいつでも戦場でお待ちしてますという気持ちであることも併せて書き添えておきたいです。ああいう奴らに対抗するためにも僕はこの世界で生きなきゃいけないし、あれ以上の屈辱を受けることのないように強い自分にならなきゃいけないと思ってます。逆に感謝だよね。ほんまおおきに。

 日本で一番美しい季節、秋が来ます。秋は文化祭の季節。文化祭がらみのノートを書きそうな予感。その時は読んでね。またね。

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