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【多様性】というプロパガンダ

いま人々の間で
「多様性」という大義の基、

色んな考えがあっていい

正しくないことも正しい
正しいことも正しくない

ジャッジしなくていい
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そういう軟弱な言葉にすり替えて、

努力をしない、極めない、中庸を気取り
中途半端で終わる人が万といる。

「多様性」というプロパガンダが進み、

言葉が都合よく捻じ曲げられ
正しく伝わっていないことが哀しい…

確かに、何でもOKで別にいいし
それぞれの正解があって構わないが

自然界で通用しない答えもある。

負けて学びのない軟弱者が
ぬるい言葉に逃げてはならない。

意識・知識の夢が破れて
夢から醒めて、現実を見た方がいい。

借り物の言葉に踊り狂う国民
ㅤㅤ

「自由・平等・民主主義」など

仕組まれた策路や言葉の歪みに
国民の柱がぶれず惑わされなければ

この国は右往左往しない、潰れない。

しかし、凄い人とか偉い人とか言って
量子力学や仏教、SDGs、ジェンダー等

いちいち外来の用語を出すから国が傾く。

ただマインドフルネスにせよ、ティールにせよ、
昔からある考え方の焼き直しが多い。

借り物の横文字に国民が踊らされ
居た堪れない気持ちになる。

元から変わらない本質はある。

しかし、そこに色をつけ
毒筆を加える者がいる。

本質を覆ったり剥がしたり組み替えたり
違うものをつけたり外したり...

そういう歪んだ言葉をあげつらい
いちいち右往左往するから

日本国は弱くなった。

現代の誤謬自由・平等ただ
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「私という呪縛」に囚われ
私欲に拘束された自由は、

勝手気ままで全体を考えず
部分的の欲求に囚われる。

「真の自由」とは

全体を考え
部分の意義を知り

そのなすべきところ
行うべき道を明瞭に自覚して

役目を実行するところに現れる。

従って、自ら自己を抑制し、反省し、
良心の叫びを聴くことに努めねばならぬ。

自らの自由を主張すると共に
他の人の人格を認め、

その自由をも認めねばならぬ。

また、平等や公平を叫ぶことが
かえって悪平等を招くことが多い。

特に多様性とジェンダーの混迷は根深い。

一人ひとり顔が違うように
天分の才はそれぞれ異なる故、

同一なる働きを現すことはできないのに

これを全てそのまま同等扱いにすることが
現代社会に巣食う「悪平等」である。

地方、世代、情報、IT等に関する格差や
男女や外国人労働者の不平等は是正すべきだが

悪平等の撤廃こそ我が国の課題である。

「真の平等」とは、

自身の役目・みたまの使命に応じて
その持ち場を全うすることによって

はじめて現れるものである。

「真の多様性」とは
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多様性とは、本来
極めた者が言える言葉である。

疑問に思った事を調べ

自分なりの言葉で
答えを出した時、

はじめて言える言葉である。

大いなる流れの一部として
役目と役割と天分を自己一致させ

天命を全うする者しか
言葉にする資格はない。

その上で、多様性とは、本来、

全体を知った上で

自分の役目・役割
長けた所を伸ばすこと

これが本当の多様性。

自分の長けた部分しか知らず、
欠けた所は人任せでいいという発想は

多様性に対する浅薄な妄断でしかない。

本当に研ぎ澄まされた知性の持ち主同士の
「真の多様性」を理解して頂くことを願う。

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