Leicaはいつしか日常になった|Leicaに恋して。
Leicaは日常になった
初めてLeicaQ2を購入してから3年。SL2-SやM11へとボディはどんどん変化していった。
私にとって、Leicaはもはや単なるカメラではない。
それは生活の一部となり、デザインやスタイルを象徴してくれるコアアイテムだ。
一方で、自分の中でのブームが過ぎ去ったという言い方もできると思っている。
購入したときのテンションや、Leicaがつなげてくれた縁などがふと一段落して、気がつけばLeicaが暮らしの中にあることが自分の中では当たり前になってきた。
Leicaはあるがままそこにあり、普段から何気なく使うようになったのだ。
それが良いことなのかどうかはわからないけど、少なくとも心地よい感じはするし、とても馴染んできたような感覚はある。
今回は、自分自身の、ミニマリストという視点からLeicaが日常に溶け込んでいる理由や、その魅力について探求してみたい。
1. デザインの美しさ
Leicaはその美しいデザインで知られている。洗練された外観、シンプルなフォルム、高品質な素材。これらの要素が融合し、Leicaはまさにデザインの傑作と言える。インテリアやデザインに興味がある人々にとって、Leicaは単なるカメラ以上のものとなり、生活空間における美的要素としても機能する。
それは、私にとっても例外ではない。
最初の頃は使うたびに緊張した。
カバン入れているのも、家においたまま出かけるのも、結局は気が気でなくなるので、いつも首から下げていた。
その緊張感は、いつしかほどけて風に運ばれていったようだ。
2. 撮影の楽しさ
Leicaを所有することは、撮影の楽しみを深めることでもある。
その高品質なレンズとシャッターの音、手になじむ質感。これらの要素が、写真を撮ること自体を一種の儀式として高めてくれる。
なんてことを最初の頃は考えていた。
撮影が日常の楽しみとなることで、Leicaは生活に欠かせない存在となっていたことは間違いない。
そして、いまではすごく自然とシャッターを切っている。
いい意味で高揚しなくなったと言えるのかも知れない。
もちろん、あの頃のテンションを懐かしく思い返したりもするけど、今よりはやはり異物を扱ってる感覚が強かった気がする。
手に馴染むだけでなく、自分自身に馴染んでくれた。
それは嬉しくもあり、寂しくもあったりする。
3. シンプルなライフスタイル
ミニマリストの視点から見れば、Leicaはシンプルで洗練されたライフスタイルの象徴とも言える。
物事をシンプルにすることで、より豊かな生活を追求するミニマリストにとって(私にとって)、洗練されたLeicaというカメラはそんミニマルライフのシンボル的なツールになった。
そのシンプルなデザインと高機能性は、ミニマリストの心を魅了し、唯一無二のアイテムとして日常に溶け込んでくれる。
それこそ10年以上使ってきたMont Blancのシャーペンや、LAMYの万年筆のように、長く長く使う高品質な逸品として、常に側にあり続けてくれる。
4. ストーリーの一部としてのLeica
Leicaを所有することは、ストーリーを所有することだとも感じている。
その高価な価格もさることながら、Leicaが持つ歴史的な背景、名だたる写真家たちが愛用してきた事実など、Leicaには数々のストーリーが詰まっている。
そんな歴史や物語が、所有者自身の写真や経験と合わさって、溶け合って、Leicaは人生の一部として、日常に溶け込んでいく。
とても素敵だ。
歴史が自分の一部であり、自分が歴史の一部になる。なんて言うと言い過ぎだろうか?
まとめ
結論として、Leicaはもはや単なる高価なカメラではない。
その美しいデザイン、撮影の楽しさ、シンプルなライフスタイルシンボル、そしてストーリーの一部としての存在が、私自身の生活に豊かさをもたらしてくれるのだ。
そして、いつしかLeicaは私の日常に根付いてくれた。
Leicaたは、私にとっての普遍であり、普通であり、特別であり、当たり前な存在と言えるのだ。
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