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想定の射程を再考する

恐らくこの国土において地震、場合によっては津波や土砂崩れなどが地形によっては確実にあり得るという前提があって良いのではないかとずっと思っている。

どうも表層にある条件を満たせばそれで良いみたいなところを前提に全ての物事が組み立てられる制度そのものの問題に言及しないと何も立ち行かなくなるのは明らかではないかな。

制度・システムを動かすことなく表でチョロチョロしているものの首をすげ替える本当に手っ取り早く安直な手法で弄るのを当たり前にしては、やっぱり何らかの“問題”が発生した時に結局後手後手になって手遅れになったり無理に“元の当たり前”に戻そうとしたりして無駄な手順をしっかり踏襲するということになる。(能登の地震はまさにそれが起こっている)

そして何よりも“現代の暮らし”そのものの再考。我々一人ひとりがそこに思い至らない限り、この無理や無茶は延々と続くことになろう、あらゆるところで。。


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