見出し画像

頼られること。嬉しくも煩わしいこと。

頼られると嬉しい。必要とされている気がする。だが頼られすぎるのも煩わしい。面倒になってくる。一番面倒なのは、進展のない同じ相談を受け続ける時だ。

単発はいい。初めて聞く話だから飽きることもない。初めて聞く、というだけで少し価値がある。だが、同じ相談をなんの進展もなく何度も繰り返されたらどうだろう。いい加減にして欲しくなる。

話を丁寧に聞いてあげることは本質的には煩わしい。世の中の煩わしいことは仕事になる。カウンセラーが聞きたくもない悩みを延々と聞き続けることでお金を取れるのは、そもそも延々と聞いてくれる人なんて世の中には存在しないからだ。(もちろん悪化をさせずに、改善へと導くための知識もスキルもあることも重要である)


頼られる、ということは、本当に「必要とされている」ことなのだろうか。特に相談するという行為において、何かを頼ることは、何かを必要とすることなのか?

一方的に聞いて欲しい時、聞いてくれるヒトは誰だっていい。別に「そうだね」「つらいね」「わかるよ」とロボットのように返してくれるだけでかなり楽になるから。その人のなんらかの傾聴スキルや、耳を傾けてくれる優しさを頼りにしているわけではないことの方が多い。機械的な役割を求めたとしても、「拒まない」ことを頼りにされているのである。(もちろんそうではない場合もあるが)ここで、「拒まない」という都合の良さを頼りにされていると感じると、嫌になる

仮になんらかの知識を頼りにされている場合でも嫌になることは多い。この時は、能力のない人が、努力もせず、自分におんぶにだっこで依存しようとしていると感じる時だろう。あるいは、頼られることを通して相手を見下す感覚になる場合だろうか。本来対等でいたい人が、不用意に頼ってくることで、対等でなくなってしまうようだ。



ここまで不満をたらたら書いたので、今後どうするか考えることにする。

もし、本気で解決・改善する気があるのなら付き合う気になるというものだ。だが、相談するときに解決策を求めていない人がいっぱいであるのも事実だ。だから不用意に解決策・改善策を口走るのは間違いだ。

相手の様子から、解決策を求めているのか、ただ聞いて欲しいのかを見分けるのは難しい。人によってそのサインも違うから。だから、「この相談は、解決策を求めている?」と聞いてしまうのがいいかもしれない。だが、この質問ははたとすると空気を読めない人になりかねない。相談する雰囲気を打ち壊すこともある。だからタイミングはよもう。

そのタイミングは2種類。「どうしたらいいと思う?」と聞かれた時。同意を挟んでから、一言聞く。求めていないヒトは「別にどうしたらいいかくらいはわかってるんだよ」と返してくれるだろう。わかりやすい。コミュニケーションは齟齬をなくすことが一番大事。


もう一つは、その同じ相談をされるのが2回目以降のとき。2回目だから、もう聞いてしまおう。複数回同じ相談をしてくる時は、何か抜け出せない状態にあるか、直せるのに直す気がないか2種類存在する

例えば、嫌な上司がいる場合などは、異動するか転職するしかない。だがそんなことすぐに変わらないので、解決しないだろう。同じく家族関係もあり得る。この時は、やっぱりどうしようもないから、一緒になって堂々巡りして溜息をついてあげる。本人はあまり悪くないので、付き合ってあげるしかない。人生にはそういう時期がある。いつか自分がそういう時期になったら付き合ってもらえるかもしれないし。(もちろん、そんな打算的な判断ではなくていい)

一方で、直せるのに直す気がない場合は、もう関わらない方がいい。ただの害悪である。悩んでいるということにすら価値を感じてしまっている。あなたの人生を、自分の人生の足を引っ張るだけで、引き上げてくれることはない。その人は、死ぬまで同じ悩みを、誰でもいい聞いてくれる人にぶつけ続けるのだろう。


頼られるのって、その一瞬は嬉しい。もしかしたら優越感に浸りたい人もいるかもしれない。

だけど、やっぱりあるところを超えると煩わしい。


嬉しいけど、煩わしくない、ちょうどいいところに収める努力をしないとけいない。

これは相談する人には余裕がないからできない。

相談を受ける人が率先して調整した方が心地いい関係になるだろう。

あらあら大変。相談受ける人のやることが増えちゃった。
人間関係には相談に乗るシーンがあるんだから、うまく相談を聞けた方がいいけど、相談なんて受けない方が楽っていうね。嫌なジレンマだこと。


この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?