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研究スキルが秀でていいても、研究者になれない

研究は好きなんだけど、「研究者」として生きることは決して研究ができる人として仕事をすることではないのだろうと思っているので、そのことを整理してみようと。

研究者として過ごしている人にとっては至極常識的なことなので、想定読者は学生+αくらい。

ここで研究者は、基本的に大学の教員を指しているのであしからず。
企業で研究したり、研究所で研究したりはまた少し別の話。

大学でポストを得るためには、3つの力が必要なんだと思う。
1。研究力・研究の指導力(業績)
2。研究費を獲得する力
3。学務・教務をこなす力

もちろん、3つともできたら何よりなんだけど、2つできる人材というのはその時点でそんなに多くない。だからどれか2つあれば出世できる。

大学でポストを細くても手に入れるなら、一つでも持っていれば良い。それだけで十分有用な人材になれる。

最終的に何を言いたくてこれを書いているかというと、2と3があれば良い大学の良いポストは手に入るし、3だけあれば生きていくことができる。1の研究力はなんなら博士卒業時と大差なくてもなんとかなってしまうだろうと。そんな人を見てきたよ、という話。

むしろ、研究力があっても就職できなかったり、昇進できない人がたくさんいる。

ちなみにここでは、研究力が無いけれど学務・教務をこなして地位を取った結果、学務・教務を疎かにしても研究に励んでいる人を昇進させずに足を引っ張る、という事案や、単に女性というだけで昇進の機会を逃すという事案は無視している。

研究力がなくても、学務・教務をこなせば生きていけるだけでも「研究者」を語れないというのに、世の中はもっと醜い。


その前に一つずつ軽く整理してみる。

1。研究力・研究の指導力(業績)

読んで字の如く、研究する力である。分野のことをよく知りよく整理できて、仮説を立てて、妥当な方法で検証・検討できて、論理立てて主張できて、良い文章にまとめて、広く知らしめることができることだろう。

いやこれは、突き詰めるととてつもなく難しい技能なので、これが身についている人なんてどれほどいるのかわからない。良い感じのポストを手に入れてても、和文誌でしか発表していない人や、1stの論文が案外少ない人もぼちぼちいるし。分野による部分もあるだろうが、やっぱり論文で評価するのが自然だと思う。(IFで評価するのは疑問が残るとしても、例えば査読が無い書籍で評価するという考えには異論しかない)

研究室を運営する人には、もちろん運営スキルも求められる。研究者は研究室を持つまでは、指導したり運営したりする経験をあまりしない。運営の一部を、研究員や学生にある程度任せて経験させているような、上手な運営をできている研究室に限られると思う。規模の大きいところは割とそれができているから、規模を拡大できているのだと思うけど、風の噂程度しか知らないので、やや不確かな話。まあでも、最大でも10数人しか人を抱えていないような、自分が見てきた人たちの大多数は、組織運営のスキルも、指導スキルも対して高くなかった。

そもそも、指導方法について、教わる機会もなければ監督もされていないので、成長するはずなどないのだ。マネジメントスキルがないのに昇進できるなんて民間企業からしたらありえないことだと思う。

ちょうど「研究に向かないと思った学生でも、民間で活躍していることはよくある」というTweetを見かけたのだが、「研究に向かない」というのは、その人の指導のもとでは実力を発揮できなかった人、でしかない。他の場所で活躍しているのは、その人を活かせるだけのマネジメントスキルがあっただけである。「研究に向かない学生」は多分博士号を取ることなく民間に行った人という生存者バイアスがかかっているような残念な表現なのだと思うけれど、逆に研究に向かない研究者いっぱい見てきましたよ。繰り返すが「研究に向かない学生」とは、「適切な研究指導を受けられなかった学生」である。(ただ、入学できている時点で、基礎レベルは保証されている前提)

2。研究費を獲得する力

これも字面通り。研究費がなくては研究ができない。研究員や技官を雇うことも、学生の研究費を捻出することもできない。個々の教員が獲得した研究費は、一部が大学に中抜きされるようになっている。このお金は大学にとっても大事な収入源なので、大学にとってもお金を取ってこれる人が重宝される。大型研究費を取ってくこれるというのは、とてつもない価値がある。特に研究に充てられるお金は、年々減っているので、この力の重要性は年を経るごとに増している。

研究費を取るスキルは、研究のスキルとは少しずれたところにある。企業からの研究費は、企業の需要を理解し、営業をかけるようなスキル。他の研究費だって、今の流行りや需要を押さえることで金額が大きくなる。研究者が申請書を読んで評価していても、研究費の申請書は、同じ専門の人には全然読まれないので、分野外の人を納得させるスキルが重要になる。論文が、研究分野がとても重なる人の査読を受けるのとはだいぶ違うだろう。結局、研究者界隈に評価される研究と、研究費を獲得できる研究にはズレがある。

一つ目の研究力とは別物であるのは重要である。同じ界隈の研究者に評価されなくても、研究を取ることはできるわけだし。別に同じ界隈の常識に囚われる必要はもちろんないけれど、より細かい部分を読み解くことができて、ごまかしを指摘できる人が読んでいない、というのは重要な要素である。

3。学務・教務をこなす力

大学での業務は学務教務がたくさんある。研究者は事務作業は授業や会議に追われている。これも大学の財政難と呼応して、雇える人が切迫しているしわ寄せが、研究者にきているのは間違いない。それ以上に、研究者が大学運営を担う形式が取られている影響とも言える。

みんな基本的に自分のことをしたいし、研究をしたいから、なるべく他のことはしたくない。学務や教務をこなしてくれる人は、そんなやりたくないことを引き受けてくれる大事な存在なのである。上記二つのスキルに乏しい人は、学務・教務(あと学会運営)を引き受けることで、存在価値をなんとか作り出しているし、一方でそんな人がいないと回らないので大切な存在。


結局のところ、一口に「研究者」と言っても、学務教務を率先して引き受ける事務員さん的な研究者と、研究費をとってきてお金で貢献することもできる研究者と、さらに業績でも貢献できる研究者がいる。

研究費は足りてないし、大学の運営も大変な状態では2、3のスキルの価値が上昇している。この結果研究スキルが高いだけで、2、3のスキルに乏しい人は研究界隈から雑な扱いを受ける。「研究だけできても仕方がない」という烙印を押される。研究スキルは十分だけど、研究者のポストが得られずに自殺した人文系の研究者の話はそんなに昔ではないけれど、研究スキルが秀でている人を雇えない研究業界に未来なんてないことは想像に難くない。博士号持ちが民間で評価されないことに違和感があるのだろうが、結局「実力だけでは採用されない」のは研究業界でも一緒なのに気づいた方がいいと思う。研究力が衰えたら、社会の研究に対する評価は下がる。悪いスパイラルに入っている。いろんな悪循環があるけれど、これもまた一つ。

お金が不足している領域ほどこの傾向は強い。貧しくなると、本当に悪いことしか起きない。

お金って大事。めちゃめちゃ大事。この話は、研究関係者総出で、社会から研究費をもぎ取るような動きを見せなくてはいけないという話に繋がる(予定)。

ではでは。




以下、自分用のメモ。
開いてもいいことはありません。

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