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「いわゆるコーチング」は、訓練を完全に受けなくてもできるカウンセリングを、分野の専門知識がない人がおこなう行為。
コーチング・メンタリング・ティーチング・カウンセリング。
似たような言葉がいっぱいある。
さて、
メンタリングはコーチングの上位概念である。カウンセリングは専門家に任せるべきである。にも関わらず、お金に目が眩んだ「いわゆるコーチング」にその座を奪われている。
と書かれているのを目にした。
実際、コーチとかメンターとか、どこから出てきて、どんな意味か分かって使っているのかよく分からないものが流行っているように思う。
引用はここから。
実際にここで問題にしているのは、「助ける」ことを目的にするこれらの用語の意味を整理することである。
それで、結局これらの用語の意味するところは何であるか?
という訳で、これを参考にした。
①コーチング
コーチングは、短期・中期で、コーチングを受ける人の目標設定・達成を補助する。非指導的で、質問や傾聴を通して行う。
解決法や取り組み方は、当の本人が既に持っていて、コーチはそれを質問によって引き出したり、深めたりする、という考えである。
コーチングを受ける人、というのは、元の文章ではcoachee。 日本ではクライアントと呼ぶことが多そうだ。実際クライアントという言葉では、 関係を表すには「依頼した」という意味が加わってしまい、好ましくないように個人的には思う。勝手にコーチする人いるでしょ。流行ってるしコーチしてみたいとか、練習に付き合って欲しいとか、その人のために勝手にコーチ始めようとか、もうクライアントじゃないけどcoach-coachee relationshipなのだから。
②メンタリング
メンターは対象者が成功することを目的にする。期間は中長期であり、質問や傾聴もするが、主にアドバイスをすることによって行い、知識や経験を有する人が行う。指導的な時も、非指導的な時もある。
これを受ける人には、知識や解決法を有しておらず、適宜与えなくてはいけない、という考えに基づく。
③トレーニング
知識やスキルの移転を目的とする。決まったカリキュラムに基づき、知識やスキルを持たない人に、知識やスキルを与える。短期的で指導的な関係である。
④カウンセリング
受ける人のパフォーマンスを向上させることを目的とする。主にパフォーマンスが下がっている人を対象とし、過去・現在に焦点を置く短期的な関係。
カウンセリングはきちんと勉強して心理的な基礎知識から、介入方法まで一通り訓練を受けた人が行う。
ちょっとコーチングしてみようとした話
ちょうど、本人の内に適切な回答があるんじゃないかと思う相談が舞い込んできた。受験勉強の相談だった。
実際大半の思考は本人から湧いてくるもので対応可能だったが、やっぱり、方法を検討するときの手札も、問題点を発見するベースとなる知識も、どうしても不足する部分が出てくる。
本気でコーチングに注力するのであれば、あまり知識を伝えるべきではないのかなと考えたのだ。「コーチング」の言葉の意味する範囲では、教授することは含まれていない。
いや都合よく、「適宜必要な知識は、最低限供与する」とかは言いたくないので、知識を与えることを許容するのであれば、どういう知識ならコーチングで供与していいのかをしっかりと決めたい。
という訳で、コーチングの本が何冊かあったので、改めて読んでみた。
だがしかし、俯瞰・要約してあげるか、拡大質問で半分誘導するか・依頼して誘導するか、くらいしか特定の知識を提供する方法は書いてなかった。
家にあったのは『コーチング・バイブル』だったんだけども。他にもいい本らしいものはいっぱいあるので、分からないが。
最終的にはメンタリングしたんだと思う。
基本的にはコーチングのスタンスを取りつつも、要所要所で講義じみた話をすることになった。その上で、比較的具体的な手札を提示した。結局はここから選ぶだろうし、会話の流れからもどの選択肢を選ぶかは推測できるし、これを誘導と言わざれば何と言うのだろうか。
と言う訳で、具体的な部分については、役立つ知見を持っていたら、コーチングに徹することなどできないようだ。
今回のように、自分が受験した経験があって、多少知見がある状態では、ティーチングと、コーチングとを、場面で使い分けるようにすることが必要だった。
使い分けてるんだけど、これはメンタリングに近い。
悩んでいる人のコーチングは、カウンセリング。
コーチングは、自己啓発的に書かれていることが多いと思う。本人にはちゃんと気づけていなかった考えや欲求に気づいて、自分の人生を、自分で歩めるようになってもらう。そんなことが多い。
これは、どちらかと言えば、人生に迷っている人に対して行うことになる。そしたらもう、これはカウンセリングが多くを占めているんだろう。
え?目標設定をサポートし、行動を促すから違う?
いや別にカウンセリングだって、「話をきき、同意すること」に一番重きがあっても、当然悩みや考えを整理することも含まれるし、改善のために具体的な行動目標を設定し、会うたびに管理・確認することくらいする。
書いてあることも、カウンセリングの技術から、一部分を抽出したものにすぎない。残念だが、この意味においてはコーチングは、カウンセリングのおままごとになってしまう。
自ら進められる人のコーチングは、何も教えないメンタリング
色々自分で考えられている人の考えを整理してあげるコーチングもある。この場合は、カウンセリングは必要ない。
しかし、何か知識を与えないので、ただの壁打ち。
目標に向かって進むのをサポートするメンタリングに近いはずだが、何も教えない。
何も教えない代わりに、何かをしてあげられる訳ではない。
メンタリングってそんなにすごいことなのかって?
結構適当にメンターとか言ってる人いっぱいいるじゃん!って。
この人たちは、メンターではなくて、アドバイザー。
「いわゆるコーチング」は、訓練を受けなくてもできるカウンセリングと、知識がない人がおこなう行為。
というか、カウンセリングの専門知識・訓練と、分野の専門知識を、どれほど持ち合わせているかで、定義すると理解しやすそう。
カウンセリングーコーチングーメンタリングーアドバイス(ティーチング)。
できる人が、できる範囲で、できることをやりましょう、という考えとしては、とても良いことだと思う。
ただアドバイスしていた人が、(コーチングの勉強の体で)カウンセリングの技法をちょっと身につけて、優れたメンタリングができるようになるのが、良い流れなんだと思う。
世の中的には、「アドバイスおじさん」にならないように気をつけましょう、ということなのか。
ちょっと喧嘩腰だし、考えを整理するための乱文だったから
勉強を進めたら書き直して消します。
ではでは。