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「シン・エヴァ」とファスト映画

エヴァンゲリオンのファスト映画を、公式がYOUTUBEにアップしていたので観てみた。最終回である「シン・エヴァンゲリオン」に至るまでの過去のアニメ・劇場版を約4分にまとめたものだ。

【公式】『これまでのヱヴァンゲリヲン新劇場版』【庵野秀明構成】

【公式】『現在のエヴァンゲリオン』

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YOUTUBEなど多くの動画投稿サイトで「ファスト映画」と呼ばれる非公式のまとめ動画がアップロードされ、著作権上の問題が指摘されるようになって久しい。ファスト映画をめぐっては、2021年6月に動画投稿者が逮捕される事例が発生し、それら違法な動画は報告等によるBANもあって数は減少したものの未だ根強く存在している。CODA=コンテンツ海外流通促進機構は「ファスト映画を見た人が本編を見ないことにつながりかねない」と危機感を示している。

そのような流れのなか、公式がまとめ動画をYOUTUBEにアップロードした今回のことは興味深い出来事だった。

※「タムパ」とは、タイムパフォーマンス/時間対効果の略

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YOUTUBEには、映画以外のジャンルでもTVバラエティ、ラジオ、書籍などエンターテインメント系のまとめ動画がたくさんあるので、それらを視聴したことのあるひとも多いんじゃないかと思う。むしろYOUTUBEのアルゴリズムから、現在ではそれらを避けることのほうが不可能なほどだ。

メディアでこの話題になると必ず登場する言葉として「話題を共有できないと仲間はずれにされるからだろう」「効率よく情報を得たいからだろう」「映画は情報ではなく文化」がある。



話題を共有できないと仲間はずれにされるか

かつての高視聴率のトレンディードラマのような、これさえ見ておけば周囲の話についていけるというコンテンツが減った今、本当に仲間はずれにされるほどのシーンがあるだろうか。シン・エヴァンゲリオンの規模でも疑わしく思う。劇場版鬼滅の刃では「キメハラ」という言葉も生まれたが、ややネタ化・嘲笑するようなニュアンスで使われていた気もしているがどうだろう。

それよりも、コンテンツ毎の狭い話ではなく「たくさん知るひと」の社会的価値が高まって、そして誰でも「たくさん知るひとだと認知される」可能性が開かれたことが影響が大きいように感じている。


なぜ効率よく情報を得たいのか

現在の社会は「知識社会」で、知識を覚え身につけて、それを応用していると有利なポジションになれる社会である。ひと昔前であれば普通の学歴の人間をバッといれて仕事をさせてもある程度できていたことが、今はものすごく優秀なひとが何とかこなせる(そうでなければ必死になって頑張り、残業をしないといけない)ようなものになっている。

そのような知識社会の高度化と多様性の推進があいまって、人種・民族・国籍・性別・性的指向といった【本人の意思で変えられない属性】ではない、学歴・資格・経歴といった【本人の意志で変えられない属性ではない】ものをひとは熱烈に信仰するようになった。この傾向は特にアメリカ社会に強くみられる。努力を信じ、努力によって困難から抜け出る神話を信じる。逆に、努力によってなんとかできたはずの事柄についてなんとかできなかった者にとことん冷たい。

そして、人は今あるシステムをなんとか正当化しようとする強い動機がある。「現状のシステムは間違っていない」「社会は正しい」と思いがちで、そう思うことによって人は心の安心を得る。もし今のシステムが間違っているとすれば、そこに頑張って適応しようとしている自分の努力が無駄になってしまう、なので現状の社会というのはそれなりに正しい、と思うものである。

効率よく知識を蓄えることによって成功を得られるという信仰は、それを得られない者は「努力を怠ったから」だという心を生む。努力を怠った人間の失敗に厳しい社会がそこにあるのだから、効率よく情報を得たいという気持ちは理にかなっている。

しかし、“努力できる能力”は本当に平等に与えられているのだろうか?

本当に努力次第でだれしも大谷翔平になることができたのだろうか?


映画は情報ではなく文化

この言葉は映画を語る上での真実ではあるが、まとめ系動画が単純な情報摂取という需要のみで閲覧されているのかを考える意味では未消化な言葉ともいえる。

言ってしまえば「まとめ系動画は本当におもしろくないのか?」ということだ。

あたりまえだが視聴者のほとんどが楽しくて観ている。そして、ファスト映画はイッキ見のエクストリーム感覚もあって楽しいが、当然その楽しさは映画とは別のものであることも誰もが認めるところである。

大手メディアが成立しなくなって正当性が弱まった現代において、インターネット創生期のようなカウンター的ポジションは成立しなくなった。今のまとめ系動画は映画に対する批評的立場としての参も否もなく並列にただあるというだけで、個々に情報の差はほとんどない。そこにある違いはむしろ、編集した人間/レビュアーの人間性だったり、話し方、角度、またその動画以外にも複数動画をアップロードしていることが多いわけだから、どのような文脈でそのまとめをしたのか=つまりチャンネル運営が視聴者にとっての楽しさの本質ではないだろうか。

公式がまとめ動画を作ることは賛成。しかし、非公式が生まれ、場合によっては公式よりも視聴者に望まれてしまうのは至極当然なのかもしれない。

引用の範疇を越えた動画や静止画の不法な無断使用は言うまでもなくNGだし、現状ファスト映画に文化と呼べるほどのシーンはなく「話題作の二次利用」程度でしかないものがほとんどだと感じてはいるが、チャンネルのファンが視聴割合の多くを占めるまとめ動画には、二次創作文化に準ずるようなカルチャーが外側からは確認されづらい形で形成されているのかもしれない。




ちなみに僕は、公式ファスト版を観たけど「シン・エヴァ」は観ていない。

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こちらの記事は、トーク配信「三軒隣」で2021年8月12日に話したものを文章化し直したものです。毎週木曜日の夜にTwitterのスペース機能を使ってMCを週替わりしながら配信しています。

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