03-分岐点

 大学を卒業し、東京のCM制作会社に就職したが、上司にあたる人に気の合わない人がいた。相手もなんとなくそれを感じているらしく、企画会議の席上などで激しく口論することも度々あった。2年程我慢したが、どうにも耐え切れなくなり、ある夜「明日会社であいつを殴ろう」と決心した。どんな結果になってもいい、会社を首になっても、CM業界から追放されてもいいから、とにかくあいつを殴ろう、と思った。

 その後、どんなタイミングで、どうやって殴ろうかなどと色々考え、興奮して明け方まで眠れなかった。そして決戦の朝が来て、僕は鼻息荒く自転車で出発したが、結局その日は会社に大遅刻することになってしまった。出勤途中の道で、僕の自転車が通行人の見ず知らずのサラリーマンにぶつかって口論になり、彼がものすごく怒って興奮していたので僕達は近くの交番へ行き、交番でも彼の興奮が収まらないので、巡査の判断でそこからパトカーに乗って警察署に移動することになり、交通課で交通事故として処理されたのである。

 交通課の警官が「私も警官になって長いけど、自転車と歩行者の交通事故で現場検証をしたのは初めてですよ」と言った。それくらい異常な状況だった。それでもサラリーマン氏の興奮は収まらず、その後、自転車にぶつかった足が痛いと言い出して、警察署に救急車を呼んで病院に行った。検査の結果、やはり足はなんともなかった。病院で彼の検査結果を待っている間、あまりのバカバカしさに僕はすっかり気持ちが冷めてしまい、会社にも大遅刻し、おかげで上司を殴らずに済んだ。

 その日の夜、昼間のバカバカしい事件の事を考えていた僕は、もしかしたらこの事件は、誰かが間違った方向に突っ走ろうとしている僕のえり首をグッとつかんで、軌道修正してくれたのではないだろうかと思った。それくらい、何かの意図を感じさせる出来事だったのだ。

 では、その「誰か」とは一体誰なのだろうか?一般的に「神様」とか呼ばれている存在なのか?それとも「守護霊」とかいうものなのか?あるいは「御先祖様」なのか?それはよくわからなかったが、とにかく、人間を超えた力を持つ「誰か」がその日の僕の行動をプログラムしたように感じた。

 これは、それまでは基本的に唯物論的な考え方をしていた僕が、見えない世界の存在について考え始めるきっかけとなった事件だった。


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