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#95 タダで行けた昔のお伊勢参り

前回の話の最後で
お伊勢参りをしに飛び出すのは
17歳以下が多かったと言いましたが
「よく伊勢までたどり着いたものだな」
と思いませんか?

今は電車や車などのたくさんの交通手段があるので
若い人だけ、なんなら小さな子供でも行けますが、
江戸時代の子供が伊勢まで行けたのは
なんとも不思議なことですよね。

江戸時代、伊勢参りに行って帰ってくるには
大体2~3ヶ月ほどかかりました。

最短の2ヶ月の旅だとして約60万円ほどかかります。
現代でも60万円かけていく旅行は
かなり、いや大分豪華な旅ですよね。

とはいえ、皆が皆お金を持っているわけではありません。
ましてや子供なんてなおさらです。

そこで、お金がない人が
伊勢に行くために必ず持っていたものが
『柄杓』でした。

柄杓を持っている人が
伊勢参りを目指す人の目印だったのです。
なぜ柄杓だったのかは定かではないのですが
この名残で神社にある
『手水舎』(手を洗うところですね)では
柄杓を使って清めの行為をするようになったらしいです。

宿や食べ物はどうしていたのかというと
『伊勢講』と『施行文化によって無料で伊勢まで行けたのです。

施行とは
伊勢へ向かう人をもてなし、施しをすることです。

善行によって徳を積むことができると考えられていたため、
進んで行う者が多かったようです。

そして伊勢講は村ごとにあった
『お伊勢参りのための組織』でして
御師という伊勢神宮から各地に出向いて祈祷を受け付け、
暦やお札、伊勢土産を配り、
金銭や米の奉納を勧めた神職たちが自分の担当の講の者が
伊勢に来たときには自分の家に泊め、ごちそうでもてなしたことで
伊勢までの道のりを手助けしたようです。

こうして見てみると
喜んで人助けをしてくれるお伊勢参りは
お金がない人たちでもひもじい思いをしなくていい
有難い旅のだったようですね。

なので伊勢へと続く街道の人々は、
江戸から飛び出してきた抜け参りの人たちに
食事やお茶、宿泊場所、小銭などの施しをするようになります。

この記事を書くため伊勢講について再度調べていた際に
興味深い情報を仕入れたのですが

この施行、伊勢講に積極的に
支援していたのは

現在の松阪市にいた『小津家(現在の小津和紙)』
だそうでして
小津家はとても信仰深く
毎日大盤振る舞いで
参拝者に食べ物やお茶を振舞っていたようです。

私と同じ『小津』の苗字なのに
えらく大きな違いがありますな。笑。

この小津家は現在、東京の銀座に店舗がある
『小津和紙』さんの祖先に当たると思われます。

伊勢講のお話
なかなか面白かったのではないでしょうか?

当時は村から代表者を1人選び
その人が村を代表して伊勢参りに行っていたことも
当たり前だったそうです。
それくらいみんなの憧れの地だった
なんとも有難い土地に生まれなと
伊勢のことを書くたびに思います。


次回は人間以外のお伊勢参りについて
お話ししようと思います。

それでは!


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