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#98 お参りするということ

年末になってきました、

皆さんは大晦日や初詣
どこか毎年お参りとかはしていますか?

私はもちろんですが、神宮の外宮にお参りしております。
内宮は混むので行きません笑

とはいえですね
私も含め、多くの人が別に仏教や神道を崇拝しているわけではないと思います。

日本人は特に無宗教の人が多い国ですからな。

私は伊勢神宮ブームが今も巻き起こっているので、『なんだかよっぽどみんな参拝したいんだな』と思い、伊勢神宮に一度でもお参りに行ったことがある人20人を対象に定性調査したんですよ。

全員三重県外の人達に客観的な感想を聞かせてもらいました。

まあ、皆さん『人生に一回はお参りしておきたい』と
さほど江戸時代と変わらないことをおっしゃるのですが笑

結論:そんなに真剣に参拝することが目的ではない
ということがわかりました。

そりゃ旅の醍醐味は
『知らない土地で、自分の住む場所にはない景色や食べ物、体験をする』のが楽しいんですから、伊勢神宮へのお参りもその一つに過ぎません。

私はこの結果から
『伊勢神宮は最高位だから、もっと真摯に向き合わなければいけない!』と言いたいわけではないです。

『そんなもんでいいと思います』と言いたいです。

現代社会は文明の発展において
いかなる時間や場所でも人と関わりを持ててしまう時代です。

スマホを開けば
チャットワークスやれSlackだの
いつスマホに呼び出されるか気を張って生活しています。

頑張れば報われると言いますが
SNSでのPR活動なんて、終わりがないです。
24時間頑張ることもできてしまいます。

そんなことし続けたら、人間自身もツールの一部みたいになってしまいますよ笑


そんな生活で私たちは『何もしないをする』時間が非常に足りてない。

自分に合った時間の流れに一回リセットするには『何もしないをする』ことが大事です。

何もしないをするっていうのは『外から受ける影響に対して反応や行動』することをやめて、自分の内側から出ることに思考を傾けてみるということです。

考えるスピード・しゃべるスピード・食べるスピードなんかも、いつの間にか会社や世間など大きな影響に侵食されすぎると、自分自身を見失いがちになります。

自分の時間軸を理解した上で、
少し急ぐ・ニュートラル・ゆっくりする
と調整できるといいのではないかと思います。

人生全てに意味があるなんてことは、後からの意味づけに過ぎないです。
無駄なことをしてみるからこそ、人生にも面白みが出てくるもんです。

何もしないをした後だと、いつもよりはっきりと自分の本当にやりたい事や他人との向き合い方に正直になるのではないかと思います。

なので伊勢神宮へのお参りは、自分のことをリセットし直すための
『何もしないをする』の『言い訳』に使ってもらったらいいかなと思います。笑

神社内を歩いて、拝む最中に自分の思考を空っぽにしてみることに意識すると『何もしないをする』ことができると思います。

まあだって、伊勢神宮は何か願い事を叶えてくれる神様ではないですからね笑
日々生きていることに対してのお礼や生存確認の報告みたいな意味で参拝する神社なのですから、神宮で何か願っても受け入れてくれませんよ笑

江戸時代の伊勢神宮ブームも庶民の社会への『言い訳』が根源なんですから
だって『伊勢参りに行ってきた』といえば仕事が嫌になって、何も言わず2ヶ月間抜け出しても『お咎めなし』だったんですからね。笑

皆さんも定期的に何もしないをしてみてはいかがでしょう?

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