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séi - watcher 039 悠と料理と直哉凄ぇ

   悠と料理と直哉凄ぇ

「「あ゛――っ、疲れたっ…!」」
 俺は直哉と共に帰宅した。
 甘夏が入った段ボール箱をドサッと上がり框に置いてへたり込む。
 家までの坂道が一番キツかった…。
「なあ、先に風呂入ってもいい?俺もう汗だく~」
「いいよ、沸かしてくるから休んでて。」
「おう。キッチンと冷蔵庫見てもいいか?」
「いいよ。」
 風呂を洗うついでに、汗でベタついた足も洗ってサッパリする。
 湯船にお湯を張りながら、タオルを用意して、洗濯物は…あとで洗濯機回すか。

「直哉ー、あと五分ぐらいで入れるよ。」
 キッチンへ向かうと、直哉は長い包丁を持ってゆっくりとこっちを向いた。
「お前も三枚に下ろしてやろうか~」
 なんか色々混ざったボケをかましてきた。良く研がれていて下ろせそうだけれども。
「それも持ってきたの?何作るんだ?」
 直哉はクーラーボックスを確認していたみたいだ。
「スルーかよ。今のはビミョーか…。鯵が二尾とマグロの冊大っきいの。刺身は手っ取り早いけど、どうせなら塩焼きとか漬け丼とかもいいじゃん?あと豚のロース、少し厚めのやつがあるから…。つみれ汁とか、豚の生姜焼きとかかなぁ。うちのオカンがもう一泊ぐらいしてってもいいのよーなんて言うからさー。包丁もバイクも週末までは大丈夫みたい。どーする?俺は泊まってる間飯担当でいいし。まずは米研ぎかな。」
「うーん、全部美味そうだなぁ…。今日はちょっと遅くなっちゃったし、手間掛からないやつがいいかなぁ。もう一泊していいかは一応母さんに訊いてみる。あ、洗濯物あったら出しといて、洗うから。風呂ももう入れると思うよ。」
「あいよー、よろしくー。じゃあ先に頂いてきちゃいまっす。」
 直哉はリュックを片手に脱衣所へ行った。
 さて、夕飯の準備を始めよう。

 研いだ米を吸水させている間に、汁物でも作ろうと長葱を切ろうとした時、直哉が風呂場から戻ってきた。
「早いな。もうちょっとゆっくりすればいいのに。」
「いやー、晩飯も作らなきゃだし、それにお前の母さんが帰ってきて手を洗ってるところに、俺が全裸でご挨拶ってわけにもいかないだろ。」
 俺の家は洗面所と脱衣所が隔たられずに一緒になっている、小ぢんまりとした3 L D Kだ。そろそろ帰ってくる頃だろうし、その事態は有り得なくはない。
「…それは気まずいどころじゃないな…。すまん、気が回らなくて。」
「気にすんなって。お前も入って来いよ、後は俺が作るから。吸水はあと何分ぐらい?」
「最低でも二十分かな。ちなみに五合だから。じゃあ風呂から戻ったら俺も手伝うから。」
「りょーかい。悠こそバイトしてたんだし、ゆっくり茹だってこいよ~。」

 そうは言っても飯の後は試験対策をしなきゃならないし、全部直哉に作らせるわけにもいかない。
 少しは湯船に浸かって体をほぐそうかと、足をマッサージし始めたところで母さんが帰ってきたみたいだった。ドアと壁越しに会話が聞こえる。

『こんばんはー!お帰りなさいおねえさま!悠はさっき風呂に行ったので、そろそろ上がってくるかと思われます!晩御飯は俺が作りますので、二泊することをお許しいただけるととても有難いのですが…いかがでしょうか?』
『相変わらず元気そうでなによりね、直哉君。今日は何を作ってくれるの?』

 直哉が母さんをキッチンに誘導したらしい。出るなら今だ…!
 俺だって母さんから見たら子どもだろうけれど、そういうラッキースケベは他でやりたい…っ。流石にこの年だと親子とはいえ見るのも見られるのも恥ずかしい。
 急いで体を拭いて部屋着を纏い、リビングへ向かう。
「母さん、お帰り。」
「ただいま。泊まるのは全然かまわないし、ご飯もとっても楽しみだけど、明日から試験でしょう?大丈夫なの?」
「俺も一緒に作るし、明日の試験はお互い苦手なの無いから大丈夫。」
「そう…?百点とれ、とまでは言わないけど、頑張りなさいね。」
「あと四~五十分で出来上がるんで、それまでゆっくり疲れを落としててください!」
「そうさせてもらうわ、よろしくね。」
 そう言うと母さんは荷物を片付けて、水筒を持ってきた。
「苦みと甘みがいいバランスだったわよ、美味しかったわ。」
 まだ乾ききっていない頭を、わしゃわしゃと撫でられた。
「明日も出来たら淹れてもらおうかな。…ちゃんと乾かすのよ?」
 直哉の前でこういうのは止めて欲しい。恥ずかしい…。
「うん…。わかった。」
 微笑みながら母さんは洗面所に向かっていった。
「…愛されてんなぁ、悠。」
 直哉がニヤニヤとこっちを見て言う。
「うるさいなぁ、もう…」
 否定も出来ないので、そうぼやくしかなかった。

「さてっ、飯は悠に任せて、俺は魚捌くかな。」
 クーラーボックスを覗くと、大きめの鯵が二尾と、鮪の冊――ふくらはぎぐらいありそうな大きさのものがあった。
「でっかいな。こんなにくれたのか…」
「うまいもん食べて頑張りなーだってさ。」
 既にまな板の上に開いた牛乳パックが二枚敷いてあり、その上に冊を載せて、スッと切っていく直哉の手際の良さに見入ってしまう。
「三分の一ぐらいは今日刺身で、残りは明日のお楽しみな。お皿ある?」
「ん~…、これでいいか?」
 適当な皿を探しながら、土鍋も一緒に出す。
「おう、それでオッケー。炊飯器見当たらないと思ったけど、土鍋なんだ」
「うん、うちはずっと土鍋だよ。あとこれも…」
 吸水が終わった米の水気を切り、土鍋にうつし、水を計り入れる。棚から日本酒の四合瓶とおちょこを取り出す。
「それ知ってる、夏に出るやつだろ。」
「?そうなんだ、知らなかった。何で知ってんの?」
「叔母ちゃんの店をたまに手伝うんだけどさ、そこの常連のおっちゃんがそれ好きなんだよね。俺は一滴も飲んでないからな!」
「直哉は色々やってるなぁ~。」
「ほんとにたまにだよ。それどのくらい入れんの?酔っぱらわない?」
「アルコールは飛ぶよ。香りづけにおちょこ半分ぐらい、って。小さい頃から俺の係みたいなもんでさ。前に母さんに聞いた事があるんだけど、俺の親父が日本酒好きだったから、命日に供えてたんだ。けど、母さんはお酒あんまり得意じゃないから。無駄にしないように、ご飯炊く時に入れるようになったんだってさ。」
「そうだったのか…。何か、ごめん」
「気にすんなって。…直哉凄いな、鯵捌けるんだ」
 俺と話しながら、直哉は手を止めずに鯵を半分捌き終えていた。
「見様見真似だけどな。半身を刺身にして、後は明日つみれにしようと思う…よっと。」
「つみれ…手が込んでるなぁ。包丁切れ味凄いし…」
「作ってみれば案外簡単だけどな。この牛刀、俺が研いだんだよ、珍しく母ちゃんに褒められた。生姜焼きにキャベツの繊切り添えるから、使ってみるか?」
「うん、やってみたい…!」

 土鍋を火に掛けたコンロは二つ口で、もう一つでは汁物を煮立たせているところ。手が空いてしまった俺は手持ち無沙汰で、そわそわしてしまう。キッチンはもう直哉の独擅場《どくせんじょう》だ。
「…なぁ、悠、おちょこって何個かあるか?」
「おちょこ?…確か親父のコレクションがあったと思うけど…」
「気持ち大きめのがあったら、三つ出しといてくれないか?」
「…?わかった、探してみる。」
 お酒を飲む訳ではないと思うが、どうするんだろう。
 おちょこを食器棚の奥に見つけ、引っ張り出していると、トントントンと小気味良い音が響いてきた。振り返ると直哉は鯵を叩いていた。
 三つ見繕って戻ると、直哉は叩いた鯵に、予め刻んでいた葱と生姜を包丁で器用に混ぜていた。
「おちょこ、このくらいでいいか?」
「オッケー、置いといてー。ラップ取ってくれ、叩いたの包むから」
「直哉凄いしか出てこないわ…。今度魚系のレシピ教えてくれないか?野菜炒めぐらいしか作れないから、レパートリー増やしたいんだよな…」
 び、と作業台にラップを広げる。
「ん、そんなもんで。男の料理教室か、いいな。今度やろうぜ。」
「家庭科室はあるけど、あそこ女子ばっかで行きづらいんだよな…」
「ここでやればいいじゃん、こーゆう金曜とか土曜の時間に余裕がある時に集まってさ。悠の母さんも楽でいいんじゃないか?」
「いいな。…改めて考えてみるか。で、このおちょこどうすんのさ?」
「まあ見ててくれよ。ちょっと本来の使い方じゃないから怒られるかも知れないが…ずっとそこで眠ったままよりはいいだろ。」
 直哉は冷蔵庫から卵を三つ取り出した。器用にそのおちょこに卵黄だけ割り入れて、白身は別のボウルへ。
「ちょっと溢れそうだけどギリいけるかな?ここに白だしちょっとと醤油ちょっと、みりんも少し垂らして…零れない様にバットに載せてラップ掛けて、明日まで冷蔵庫でスヤスヤしてもらう。」
「黄身の…漬け?」
「うん、卵が燻製になったみたいで、トロッとして美味いんだよー。ご飯に載せてよし、焼き魚とかに添えるもよし」
「味玉より美味そう…」
「ま、実際に燻しちゃいないけどな。ハマるぜ。」
「白身残ってるけどどうするんだ?」
「つみれに使うのは少量だから、全部スープに溶いて入れちゃおうかなーって。鶏ガラの素とかある?」
「この辺に…あった」
 あまり普段使わないので奥に仕舞ってあった。直哉は白身を溶いて待っている。
「よし、これで白身を雲海みたいに溶き入れて、鶏ガラとごま油を足して…胡椒で味を調えれば汁物は完成。次は生姜焼きだな。」
 テキパキと直哉は作業台をリセットしてしまって、手伝おうにも隙が無かった。洗い物ぐらいはやろうと思っていたんだが…。
 直哉、凄ぇ。もっと料理出来るようになろうと本気で思った瞬間だった。

 料理ぐらいは任せてよ、と母さんが苦笑いをしていた事を思い出す。
 学生の本分は勉強だ。けれど、料理だって工程が多いし、段取りはやってみないとわからない。いつ使うんだかわからない公式を覚えるよりも、より身近な技術を磨く方が有意義に思える。
 知識があればこそ進める道も拡がるのだろうけれど…。
 俺は直哉みたいに、将来の明確なビジョンが無い。そこまで強く思える対象が無い。今日は試験対策の後、直哉の悩み事を聞く事になるんだろう。でも、俺だってどうしたらそこまでやりたいと強く思えるのか訊きたい。そこだけは直哉の事を…正直、恨めしくも羨ましく思う。
 俺は…どうしたいんだろう。どう、生きたいんだろう。

「悠っ、俺の牛刀《エクスカリバー》の切れ味を試す時が来たぞ!」
 直哉の声で我に返る。直哉は、キャベツが用意された作業台の脇で小手招いていた。
「同じところ切る感じで刃を降ろせば細くできるぜ」
 いつも使っている三徳包丁より少し長く重い。芯を取る為刃を通すと、手応えを感じられないぐらいにスッと切れた。
「凄。」
 キャベツの葉を丸めて、繊切り。押し切るような感じはなく、丸めたキャベツが潰れる事なく、小気味よく切れていく。
「凄ぇ切れるな」
 あっと言う間に繊切りが出来た。
「だろ?今度研ごうか?」
「うちの包丁ステンレスだからなぁ…研ごうとしたら大変かも。道具って大事だな…、良い包丁欲しくなったわ」
 皿を用意してキャベツを盛り付ける。直哉は煮えたスープの鍋を火から下ろし、フライパンで豚肉を焼き始めている。
「ステンレスは研いだ事あるけど、フツーの砥石しかなかったから時間かかって止めたんだよなぁ、いい砥石はいいお値段するし…。あとこれ焼くだけだから、髪乾かしてくれば?悠君怒られちゃうぜ~?」
「わかってるよっ」
 むくれながら言い返して、洗面所へ行く。母さんはゆっくり湯船に浸かっているようだ。
 料理をした、と言う程してはいないが、風呂から出てそれなりに時間が経っていたので、さほど時間を掛けずに髪を乾かし終えた。
 生姜醤油の甘辛い良いにおいが漂ってきた。

 テーブルを片付けて配膳の準備をして、蒸らしが終わったご飯を混ぜ返していく。
「おー、ツヤツヤで美味そう!においもウチのご飯と違う気がするなぁ、早く食いてぇー!」
 焼き上がった肉から順次盛り付けていっている直哉は、もう我慢できなさそうだ。
「俺ももう腹ペコだよ、生姜焼きの匂いで涎止まんねーよ。」
 盛り付けが終わったものから配膳していく。スープを少し温め直して器に装っていると、母さんが風呂から戻ってきた。
「凄く良い匂いねー、美味しそう。洗い物は私がやるから、ゆっくり食べるのよ?」
「はーい」
「はいっ、お願いします」
 お願いします、と言いながら、直哉はフライパンや菜箸、肉に使っていたバットなどを洗っている。
 先輩から貰った甘夏もいつの間にか食べやすいようにカットされ器に盛られていた。主夫の鑑かよ…!手際が良すぎる。

 食卓も整って、シンプルではあるけれど、一つ一つ美味しそうな料理がテーブルの上に余白もないくらい並んでいる。
 二人で食べる事が普通だった野本家の食卓は、今までで一番ゴージャスかもしれない。
 みんな準備はO Kだ。
「「「いただきます」」」

 俺と母さんが中華風のスープから箸を進める中、直哉は炊きたてのご飯を真っ先に頬張っていた。幾度も噛み締めながら、目を瞠っている。
「――っ!んめぇっ!ご飯だけでも三杯いけるわ!土鍋ご飯いいなぁ、母ちゃんに言ってみよー」
「大袈裟だなぁ、そんなに変わらないだろ?」
「そんなことないわよ、悠。私よりご飯炊くの上手だし。何が違うのかしらねぇ、お父さんに教わった通り炊いてるのに、お父さんの味に近いのは悠の方なんだもの、ちょっと悔しいわ。」
「いつも通り研いで、吸水して、水も計って、日本酒も入れて…。母さんから教わった通りやってるけど。」

 ふと視線を感じて直哉の方を見ると、直哉は故人に関する話をして大丈夫なのか気にしているようで、俺に目で訴えていた。
 直哉と目を合わせて、口の端を少し上げて応えた。

「…多分、火加減かなぁ?お酒の量もおちょこも変えてないし…」
「俺、ご飯炊くのに日本酒入れるの見た事なかったから、ちょっと驚いたよ。火ぃ入れたらアルコール飛ぶのに、酔っちゃわないかと思った」
 不意に母さんがクスクスと笑う。
「小さい頃の悠もね、同じような事訊いてきたのよ。」

『どうしてお酒入れるの?お米酔っぱらっちゃう?』

 悠の友達、直哉君の言葉で、幼い頃の悠との会話を思い出した。

『お酒は火にかけるとアルコールが…て言ってもまだわかんないか。』

 直哉君が気付いていた通り、それを説明しようとしたけれど、幼い悠に化学的な話をそのまましても伝わらないかも…と思い、少しの間悩んだ。

『そうねぇ…。お米には神様がいてね、その神様に美味しいご飯ありがとうってお酒をあげてるの。神様がお酒を飲むから、ご飯を食べても酔っぱらわないのよ。』

「そんな話したっけ…、憶えてないや。」
「私が小さい時は、ちゃんと食べないとお米の神様に怒られるぞ!って叱られたわ。」
「俺は叔母ちゃんに、お百姓さんが泣いちゃうよって言われました。」
「確かに、お米ひとつ作るにしても沢山手間を掛けてるもんなぁ。」
「そうだな、それを無駄にされたら泣きたくも怒りたくもなるよなぁー。神のお恵みに感謝…鮪うまっ!」
「生姜焼きも美味しいわよ~、辛めの味付けもいいわね…」
 各々が舌鼓を打ち、賑やかな食卓となった。

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