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刺繍教室を始めることになった閃きとは?

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連載記事『5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?』【1】〜【7】をマガジンにまとめました。1記事1〜2分で程度でサクッと読めます。 ツッコミどころ満… もっと読む
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連載【7】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

 そう、その時は何の先生になりたいのか?具体的なイメージは持っていなかったし、小学生の自分に刺繍の先生など思いつくはずもなかった。だが、何か根拠のない自信というか確信のような思いがあった。しかしその後、教師の道(学校の先生)を選ばなかった事についての記憶はない。まぁそれが運命というものなのかもしれない。    ここまで書いてきて、さて? タイトルにある「閃き」とはなんぞや?ということになる。連載【5】で母乳を卒業し、ひとつ脱皮した自分にキラキラと舞い降りてきた「刺繍の先生にな

連載【6】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

 その日は夫も仕事が休みで家にいたので、すぐに階段を駆け上がって勢いよく言った。「ねー、私、刺繍の先生になる!」  夫はポカンとした顔で「何それ?どうしたの?」みたいな返事をした。それは当然の反応だと思う。そもそも私は手芸関連の仕事をしたこともなかったし、夫と知り合った頃は楽器メーカーに勤めていたから「エレクトーンの先生になる!」の方が自然だったであろう。だけどその時の私は夫の反応など全く関係なく、すでに先の自分を見てワクワクしていたのだ。  突然降ってきたようなこの閃きが

連載【5】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

 小学生に栞を教えてから数ヶ月が過ぎた頃、1歳を過ぎた娘の母乳卒業の時期が来た。子供は意外とあっさり1日で辞められるのだが、母親の卒乳ケアには時間がかかる。私は確か1ヶ月と1週間くらいだっただろうか。  その日、最後のケアを終えた私は、部屋の中央に寝そべり、ぼんやり天井を見つめていた。カーテンがそよそよ揺らぐ中、とてもスッキリした感覚で、「終わった〜!」と子育ての1つの区切りに満足していたと思う。  その時だった。突然上からキラキラとカタチのない何かが降り注いできた感覚を覚

連載【4】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

 1980年代のはじめ、私が新卒入社したのは大手の旅行会社だった。横浜の関内にある支店に配属された私は、少し歩いて元町商店街を歩くのが楽しみだった。当時の元町は個人経営の昔なじみな風情が心地よかったし、Unionで缶目当てでお菓子を買ったりした。欲しいものがあると「あの店のあの辺りに置いてあるはず」と、ほぼ全体を把握していたと思う。  ある日の昼休み、職場の先輩が外国人のボーイフレンドへのクリスマスプレゼントにするのだと制作途中の刺繍を見せてくれた。それは、美しいブルーグレー

連載【3】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

 ところで、我が家を訪れた幼稚園ママたちに注目されていた刺繍作品とはどんなデザインだったのか? それは、15cmほどの小さな正方形の額に入れた素朴な作品で、デンマーク手工芸ギルド “Fremme” の四季の暮らしシリーズデザインのひとつだった(この記事の表紙のもの)。自転車に小さな子供を乗せている図案は、幼稚園ママたちの日々の暮らしとも重なったのかもしれない。そして一見簡単そうに見えて、「ちょっと教えて貰えば私にもできるかも?」と思わせたのかもしれなかった。  思い起こせば当

連載【2】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

 当時は幼稚園や公園友達とお互いの家を行き来して遊ばせることが週2回ほどあった。遊ばせている時間、ママたちはお茶とお菓子で他愛のないお喋りをして過ごすのだが、我が家に集まったときは、壁に飾った刺繍作品が話題になることが相変わらず多かった。しかし「教えるって何を教えるの?」と考えていた私は「教えて」という言葉をいつも笑ってスルーしていた。  そんなある日のこと、あるママから相談を受けた。それは、小学生の上の子の通う英語教室のバザーに子ども自身が手作りしたものを提出しなくてはなら

連載【1】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

 刺繍教室をはじめたのは29年前、私が35歳の時だった。5歳の幼稚園児の息子と母乳を終えたばかりの1歳の娘の育児真っ只中に何故「お教室」を始めようと思ったのか?そしてそれが何故刺繍だったのか?30周年を迎える前に自分自身を振り返ってみることにしよう。そしていま、何某かの自宅サロンを開講したい人のヒントになれば幸いである。  子供の頃から「つくる」ことが意味もなく好きだった私は、育児中でも時間を見つけては「つくりたい」ものを作っていた。それは、おもちゃ入れの段ボール工作や木工