クロスマァム

クロスマァムは刺繍家・内堀久美子が主催する刺繍教室です。1995年9月にスタートし、2…

クロスマァム

クロスマァムは刺繍家・内堀久美子が主催する刺繍教室です。1995年9月にスタートし、29年目に入りました。 このnoteでは、刺繍教室のこと、作家活動のことを中心に書いてみたいと思います。 そして、時にはサブカルチャーについても徒然なるままに。

マガジン

  • 刺繍教室クロスマァムのひよこ時代

    連載【8】〜【14】『刺繍教室クロスマァムのひよこ時代』は、【1】〜【7】『5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?』の続編です。 先生になると宣言したあと、どのようにしてお教室をスタートしたのか? について書いています。前回同様1~2分でサクッと読める分量です。 「続きを読みたい」「面白そう」と感じたら、是非♡「スキ」と「フォロー」をよろしくお願いいたします。

  • 刺繍教室を始めることになった閃きとは?

    連載記事『5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?』【1】〜【7】をマガジンにまとめました。1記事1〜2分で程度でサクッと読めます。 ツッコミどころ満載かもしれませんが、note始めの記事ゆえご容赦ください。 ♡で応援いただきますと、作品画像のお礼メッセージが表示されます。数種類ランダムに表示されますので記事共々よろしくお願いいたします。

最近の記事

☆番外編「刺繍のアトリエと音楽のことについて」~『人生の最期に聴きたい曲』

 しばらく投稿できずにいたのは、私の父が亡くなったからっていうのが1番大きな理由。昨年クリスマスの夜に緊急入院し、約1ヶ月後に息を引き取ったのだけれど、日が経つにつれ、ぼんやりしてしまう時間が多くなった感じで、なかなか本文も更新できずにいたのです。そこで番外編として『人生の最期に聴きたい曲』について書いてみることにしました。    あの日、病院から緊急招集された家族が集まる中、孫である私の息子が言った「じーじの好きな曲、聴かせてあげたら?」の一言。そう、いまの時代だからこそ

    • 刺繍のアトリエと音楽のことについて

      はじめに  わたくし内堀久美子の刺繍のアトリエに欠かせないのが音楽です。ここではいわゆる一般的な作業用BGMのお話ではなく、とても個人趣味的なことを書いていくと思うのですが、刺繍をしながら聴く音楽ってどんなの?と少しでも興味があったら読んでみてくださいね。少しずつ目次を増やして、読み手のあなたと会話するイメージで書いていきます。 1週間に1回くらいは更新しますので、「どれどれ、次はどんな曲かな?」って感じで読みに来てくださいね。 アトリエのパブリックな時間  アトリエ

      • 連載【14】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…

         2ヶ月ほど過ぎた頃だろうか、皆少し自信がついた事もあり、作りたい作品のリクエストが寄せられるようになった。その全ては家にある私の作品からだったが、スマホもインスタもない時代である、目の前にあるものに気持ちが向くのは当然のことだった。そして、私も皆が作りたいものを作るのが1番いいと考え、全ての材料をそろえて「はいどうぞ」と手渡した。今思えば中級〜上級者向けのデザインなのだが、その頃の私は何もわかっていなかった。少しコツを教えれば皆すぐにできるだろうと簡単に考えていたのである。

        • 連載【13】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…

           この連載の第2章、【8】から【12】を読み返すと、随分余計な事も書いて寄り道してしまった気がするが、結局私のプレ刺繍教室では、当時流行の「かわいいカントリーな刺繍」をテーマにすることにしたのである。  私はデンマークデザインの刺繍を学びながら、アメリカのカントリーデザインを教材に1995年9月、プレ刺繍教室をスタートした。  初回の教材は自分でデザインした図案を用意した。基本的には縦横の針運びを覚えるための直線にしたが、やはり何かに完成させたい。そういえばアメリカの刺繍材

        ☆番外編「刺繍のアトリエと音楽のことについて」~『人生の最期に聴きたい曲』

        マガジン

        • 刺繍教室クロスマァムのひよこ時代
          7本
        • 刺繍教室を始めることになった閃きとは?
          7本

        記事

          連載【8】~【12】のサブタイトルを内容に合わせて変更しました😅

          連載【8】~【12】のサブタイトルを内容に合わせて変更しました😅

          連載【12】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…

           自分が欲しているモノごとは何故か不思議と目につくものである。ある日、アメリカのクロスステッチの専門店が奥沢にあることを知った私はすぐに訪れた。「ナオミーズ」というそのお店は、まさにアメリカンクロスステッチパラダイス! オーナーも素敵な方だったし、図案もじっくり見て選ぶことができた。緑ヶ丘に移転した数年後に閉店してしまったけれど、このお店の図案集との出会いもまた、英語レッスン同様に私の教室の方向性を決定づけるきっかけになった。  当時はカントリー雑貨がブームで、キルトやトー

          連載【12】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…

          今夜はとても眠いので、連載【12】は明日にしますね。 ごめんなさい🙏

          今夜はとても眠いので、連載【12】は明日にしますね。 ごめんなさい🙏

          連載【11】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…

           日本語があまり話せない彼女は基本的に英語だったけれど、一緒に作業してできた料理は美味しかったし、それをいただきながら英語のレッスンをするというスタイルは楽しかった。そして時には料理ではなく、カルトナージュのフォトスタンドやボックスなどをグルーガンで貼り付ける簡単な方法で教えてくれたりもした。もしリクエストしたら、クロスステッチも講習メニューになったかもしれない。でもその頃の私は、クロスステッチは簡単で誰にでもできると考えていたのだから習おうなんて思うはずもなかった。ただ、彼

          連載【11】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…

          連載【10】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…

           とんとん拍子にスタートしたように見えるが、刺繍の何をどのように教え、伝えていくのか?自分はどんな教室を目指すのか? プレ刺繍教室とはいえ、特色は必要である。頭の中で色々とイメージする日々の中、私にはデンマークのデザイン以外にも魅力的な作品との出会いがあったことを思い出した。  それは、まだ上の子が2歳の頃のこと。隣のマンションの日本駐在のアメリカ人から、クッキング&イングリッシュのレッスンに誘われた。彼女は日本でのお友達作りが1番の目的とのことで、子供も連れて来て彼女の子供

          連載【10】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…

          連載【9】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…

           その夏は課題の針を動かしながら、自分が目指す「お教室」のことをあれこれ考えていた。学生時代アルバイトをしていた工芸教室や楽器店勤務時代でのピアノ・エレクトーン教室のことを思い出してはみたが、あまり参考になるとは思えなかった。  そんなある日、ふと思い出した言葉があった。それは子供時代に繰り返し遊んだカルタの読み札の言葉で、大人になってからも何故かちょっとした時に思い出すのである。「そうだわ、その通り!」と私はその言葉に従うことにした。「お」の読み札のそれは、「思いついたら 

          連載【9】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…

          連載【8】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…

           「刺繍の先生になる!」そう宣言したのは1995年7月の終わり頃だったかと思う。しかしその時私はまだ何者でもなく、少しだけ手先が器用なだけの1人の愛好家にすぎなかった。教えるからには責任があるのだから、先ず刺繍をきちんと勉強しなくてはと考えた。当然である。しかし子育て真っ只中の自分には学校に行く時間の余裕はなく、どうしようかと思いを巡らせていた。当時はスマホも存在しておらず、PCもほとんどの家庭にはまだない時代である。調べることもままならない。そんな日々の中、机の引き出しを整

          連載【8】刺繍教室クロスマァムのひよこ時代ー学びと出会いとそれから…

          連載【7】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

           そう、その時は何の先生になりたいのか?具体的なイメージは持っていなかったし、小学生の自分に刺繍の先生など思いつくはずもなかった。だが、何か根拠のない自信というか確信のような思いがあった。しかしその後、教師の道(学校の先生)を選ばなかった事についての記憶はない。まぁそれが運命というものなのかもしれない。    ここまで書いてきて、さて? タイトルにある「閃き」とはなんぞや?ということになる。連載【5】で母乳を卒業し、ひとつ脱皮した自分にキラキラと舞い降りてきた「刺繍の先生にな

          連載【7】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

          連載【6】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

           その日は夫も仕事が休みで家にいたので、すぐに階段を駆け上がって勢いよく言った。「ねー、私、刺繍の先生になる!」  夫はポカンとした顔で「何それ?どうしたの?」みたいな返事をした。それは当然の反応だと思う。そもそも私は手芸関連の仕事をしたこともなかったし、夫と知り合った頃は楽器メーカーに勤めていたから「エレクトーンの先生になる!」の方が自然だったであろう。だけどその時の私は夫の反応など全く関係なく、すでに先の自分を見てワクワクしていたのだ。  突然降ってきたようなこの閃きが

          連載【6】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

          1月5日は2024年のレッスンはじめでした。

          1月5日は2024年のレッスンはじめでした。

          連載【5】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

           小学生に栞を教えてから数ヶ月が過ぎた頃、1歳を過ぎた娘の母乳卒業の時期が来た。子供は意外とあっさり1日で辞められるのだが、母親の卒乳ケアには時間がかかる。私は確か1ヶ月と1週間くらいだっただろうか。  その日、最後のケアを終えた私は、部屋の中央に寝そべり、ぼんやり天井を見つめていた。カーテンがそよそよ揺らぐ中、とてもスッキリした感覚で、「終わった〜!」と子育ての1つの区切りに満足していたと思う。  その時だった。突然上からキラキラとカタチのない何かが降り注いできた感覚を覚

          連載【5】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

          連載【4】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?

           1980年代のはじめ、私が新卒入社したのは大手の旅行会社だった。横浜の関内にある支店に配属された私は、少し歩いて元町商店街を歩くのが楽しみだった。当時の元町は個人経営の昔なじみな風情が心地よかったし、Unionで缶目当てでお菓子を買ったりした。欲しいものがあると「あの店のあの辺りに置いてあるはず」と、ほぼ全体を把握していたと思う。  ある日の昼休み、職場の先輩が外国人のボーイフレンドへのクリスマスプレゼントにするのだと制作途中の刺繍を見せてくれた。それは、美しいブルーグレー

          連載【4】 5歳と1歳の育児中の専業主婦が刺繍教室を始めることになった閃きとは?