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アニメ「ガールズバンドクライ」のウソ もしくはアニメ「けいおん!」の呪い

これはアニメ「ガールズバンドクライ」の第一話を観た感想文だ
評論文と言っても良い
この優しいSNS世界の中では作品の評論(批判を含む)をするのが御法度の雰囲気もあるが、この「ガールズバンドクライ」の中では「中指立てていけ」と煽ってもいる
人に中指立てる事を煽るくらいならば、自身も中指立てられる覚悟が有る作品だろうから、ここは遠慮をせずガンガン評論していきたいと思う
因みに、ネタバレもガンガンありなのでご注意を

1)ガールズバンドクライへの先行イメージ

まず自分のガールズバンドクライへの事前評価を明らかにしておこう
このアニメ企画は東映アニメーション制作でラブライブのスタッフが入っている
いずれも実績のある堅実な布陣で期待値も高いとは思っていたが、実はオタクには有るまじき事だがスタッフにはあまり興味が無いので、最初はフラットに見るつもりではいた

それよりも興味を惹かれていたのがキャストとなるリアルのガールズバンド「トゲナシトゲアリ」の方
ガールズバンドクライからの派生バンドだが、企画への力の入り方からわかる様に物凄い才能あふれるキャストが揃っている

その楽曲はネットで一音聴いただけで凄いと分かるもの

やはり今の日本では、大型アニメ企画での成功がスターへの道として非常に魅力的なのだろう
そこに才能溢れる人達が揃うのもよく分かる
とにかく、その楽曲とパフォーマンスの良さには既に惚れ込んでいて、これをアニメでより魅力的に魅せてくれる事を強く期待していた

ちなみにトゲトゲのライブ参加はまだ無い
D Dオタクはそれなりに忙しく、基本的にアニメ作品本位のオタクなので、彼女たちの優先度が上がるきっかけが欲しいところだった

2)第一話の大きなウソ

第一話を通して観た感想は「悪く無いけど、一つ物足りない」というもの

田舎から出て来た少し鈍臭い普通の少女仁菜が、一夜の宿を失い困っていたところ、自分のルーツであるバンドのボーカル桃香と偶然出会い、意気投合して最後には二人で路上ライブを披露する

流れとして非常にスムーズで観ていても納得感が有る
最後に起こるライブシーンが少しMVチックで強引な流れだったくらいか

しかし、そのMVみたいに見せたい演出だから許されるであろう強引な流れこそが、この作品の大きなウソでもある

仁菜は何の取り柄もなく、何の目的もなく上京して来た普通の少女であると自分では思っているらしい
仁菜は歌に対しても特に興味が無く才能も無い少女として捉えられているはずなのに、桃香はいきなり路上ライブを促す
あまりにも唐突な流れだ
しかし、その結果として話繋ぎの次回からの仁菜は、明らかにボーカルとして才能がある、新たなバンドには無くてはならない存在となるだろう

しかしこの流れには恐らく認識違いがある
桃香は、既に仁菜に対して歌に興味があり大きな才能があると見込んだからこそ、この時ライブに誘ったに違いない
その事を知ったのは一緒にカラオケに行った時
あの時、桃香は仁菜の歌を聴き、驚愕する程感銘を受けなければあの最後の演奏には繋がらないのではないかと思える

それなのに、そのシーンは描かれない
その描かないところにこの作品のウソがある

3)バンドアニメ企画の望むもの

何故桃香がカラオケで仁菜の才能に気がつくシーンを描かなかったのか?
それが無ければ流れがかなり強引になってしまうのに

考えられる理由は二つある
一つは、桃香が仁菜の才能を認識していると、この後桃香がバンドを続ける根拠が仁菜の才能になってしまい、精神面の理由が薄れてしまうから
それはその通りなのだが、バンドの物語を描くに際し、単に精神面の演出ばかりを優先する描き方をしているのだとすれば、それはウソの演出と思える

そしてもう一つの理由が、仁菜をあくまで普通の少女として描きたいが為ではないかということ

このガールズバンドクライというアニメ企画が、あくまで普通の少女がバンドで成功するアニメの企画であって欲しい、という力が働いている様に思える
それはつまり、ごく普通の視聴者が感情移入してバンドの活動にも憧れて、謂わば勘違いして音楽を買って欲しい、バンド活動を始めて欲しいという、企画としての大きな力が働いたからこそ、そこにあるべきシーンが削られて無くなっているのではないか

こう思うのは、かつて同じガールズバンドアニメ「バンドリ」で、全く同じ経験をしたから

ごく普通の才能も心掛けも無い少女が、本当に些細なキッカケでバンドに興味を持って始めて、最後には武道館に立ってしまう物語
元々ある程度の設定はあったらしいが、それが削られてアニメになった
その為物語としての評価は当然の如く低くなり、それでもキャストの方のリアルバンドの努力も大きく、人気が沸騰して結局は大きな成功作になっていたと思う
その結果、視聴者の中にはバンド活動に走る者も多く、感情移入の大きさから楽曲も多く売れ、利益も大きかったことだろう
その様なバンドアニメ企画は、先の「ぼっちざろっく」のヒットでより注目度が高まっているに違いない

しかし、それだからと言って受け手にとって物語の内容にウソがあっても良いわけでは無い
このガールズバンドクライについても、同じ轍を踏まないか懸念していたのは事実だ
そして、それが現実となっているのではないかと思え、大きく落胆している

才能によって成功するのか、状況によって成功するのか
それはその才能を認識する価値基準が明確で無い以上は曖昧なものだ
それを物語の中で曖昧なものとしておけば、ごく普通の少女が状況によって成功したことになり、それはバンドアニメの企画を立てる立場の者の目的には合致する

しかし本来、物語とはそう言った曖昧な価値に自分なりの価値を与えて人に伝えるからこそ、物語としての熱量を持つことができる
人がどう捉えようが自分には自分の価値があると世間に対して「中指を立てる」気概こそが、物語の意味だ
ガールズバンドクライにはその様な気概を持った作品になって欲しいと思っていたのに、今のところその気概が挫けているのでは無いか思われる演出となっているので、大きく危惧している

4)アニメ「けいおん!」大ヒットという「呪い」

そもそもガールズバンドアニメの成功の起源といえば「けいおん!」を挙げることができるだろう
「バンドリ」もおそらく「けいおん!」の成功をリスペクトしたに違いないと思える箇所が沢山ある

それだけに「バンドリ」のアニメの物語の失敗は、「けいおん!」の何処を勘違いしたのか?と考えたことがある
そしてそれは「けいおん!」という物語が「ごく普通の少女がバンドで成功する」という物語だと「勘違いした」のが理由ではないかと思ってる

そもそも「けいおん!」は、「ごく普通の少女がバンドで成功する」物語では、無い

この事は実は多くの視聴者も勘違いしている事なのかもしれないが、けいおん!の主人公平沢唯は普通の少女では無く、実は天性の才能、自分が好きなことにはとことんのめり込んで他が見えなくなるほど努力出来る一種の天才の持ち主であり、その才能とギターの幸福な結びつきを描いた作品だった

唯の天才性はとても小さく描かれていて分かりづらい
普段は他の何をするにも鈍臭く、まるで練習しているのか怪しい位のんびりしているのに、ギターだけは少しずつ上手くなっていく
しかし、彼女は布団の中にまでギターを持ち込むほどギターに入れ込んでいて、だからこそバンドメンバーも彼女を中心に据えている様に思える
そして、そんな人に見えない努力が最後には海外の音楽フェスで演奏を成功させる程の成果に繋がるところが「けいおん!」の魅力だ
もしかしたら隠れた魅力なのかもしれない

先にヒットした「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公後藤ひとりも肥大した自己顕示欲を孤独にギターに転換出来る天才だった

つい最近バンドリの中から生まれた傑作アニメ「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」の主人公高松燈も、生きづらさを抱えそれを歌詞に転換する天才だった

自分なりの価値観を持ち、人と違う生き方をしてしまう
しかし、それだからこそ人よりも多くの努力もしていて、才能も持っている
だからこそ人から認められてバンドが成功する
そんな物語だからこそ観るものの心を打ち、作品も成功する
こんな当たり前のことがバンドアニメ企画成功の秘訣だと思う

しかしそうならない作品が生まれる
それは作品のマーケティングの観点から、視聴者のマジョリティを取り込むために普通の人の感情移入が必要と捉えてしまう
その為には主人公はごく普通の人の設定ではないといけないという固定観念に捉われ、そんな売ることだけを意識した卑賎な意見が、物語の中に生きるキャラに命を吹き込むという神聖な作品制作の現場に持ち込まれるからだろう

「けいおん!」がヒットした理由の一つには、視聴者が「普通の少女がバンドで成功した」と勘違いできる要素があったのは間違いないだろう
しかしだからと言って、作り手までその事に気が付かず、物語として勘違いして作っているのでは、物語の中で無理のある存在として生かされるキャラが浮かばれないというものだ

そんな「けいおん!」の本質を捉えそびれた作品失敗の理由を「けいおん!の呪い」と呼んでいる

「バンドリ」は失敗したまま第一期を終わり、それが禍根となって、未だ外側からはアニメの作品評価が低い、声優ライブが中心の一段低いコンテンツと捉えられている様に思う
正にけいおん!の呪いだ
それが傑作「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」の出現によってどうにか祓われて欲しいと今は願っているところだ

「ガールズバンドクライ」を観てみると、設定は有るのに、その一部を見せない事で視聴者に勘違いさせる意図のある演出なのかもしれない
そこには、作り手の矜持と企画者の欲との駆け引きがある様にも思う
しかし、何れにしても、見せるべきモノを見せる、自身の価値観を貫く作品として、一本芯の入ったものの様には、今のところ感じられない

作品に命を吹き込むのは作り手の心意気一つだ

今後、「ガールズバンドクライ」が、そんな「中指立てた」作品になっていくか、見守っていきたい

おわり

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