『自問自答ファッション』 「自分迷子だった理由」を掘り当てたら逆転するパワーワードまでくっついてきた
いつの間にか育っちゃったなあ、という感じ。
「私という木」が。
ここまで育っちゃってて、何もなかったはずないのに、なんだかよくわからないのだ、自分のことが。
いきなりニョキッと生えてきたわけじゃないし、生育記録みたいなのが自分の中にあると思うのだが、どういう水をやって、どういう栄養を糧にして育ってきたのか、わからなくて途方に暮れてる。
今さらこんなことを言うのも、なんだか恥ずかしい気もする。
ものすごくサバイバルな日常を過ごしているわけじゃない。
ただ、そのときそのときを乗りきるのに必死すぎて、あんまり考えてこなかったのか、自分のことを訊かれるとき、なんだかいつもよくわからない。
そういう瞬間はときどきやってきて、しっかりと「わからない」と思うのだけど、わからないことをそのまま放置して、また「日常」を過ごしてしまう。
そんなくり返しだったんだと思う。
日々の生活の中で見え隠れしても、すぐに埋もれてしまう「そういうもの」をちゃんと掘り起こすには、時間も根気も、ちょっとした覚悟も必要だ。
気がつけば、大切なものほど、どんどん深く埋まっていってしまう。
だけど。
本当にいい加減しっかり、自分のことに向き合って、知っていかないといかんのよ!
これからどうしたいのかも、よくわからないままでいるのは、お終いにしよう。
そう思って、いろいろ自分に質問をしてみるのだけど……
出てこない!
すごく楽しかったこととか、笑ったこととか。
あるはずなんだけど、出てこない。
それもまた、くり返してきた。
ちょっと怖くなった。
これ、私の記憶の欠如か何か?
「自問自答ファッション」が気になったのは、それを実践するガールズさんたちが「コンセプト」を通じて、これまで気づけなかった自分自身を知っていく過程をたくさん見せてもらったからだ。
それを見つけ出すのは、ほかならぬご本人たち。
私の服装について振り返ってみると、最初に挙がるのは「好きなように着たらいいんじゃない?」って想いでいたけど、それはそれで困り事があった。
おお、なんだ。
言葉にしてみると、服装のモヤモヤは意外に感じてたみたい。
けれど、そこを解消するより切実な実態は、「わからなすぎる自分の本音の部分と、つながりたい」ということだった。
それができれば、ファッションでどうなっていきたいか、自分をどう表現したいのかもわかってくるんだろう。
「自問自答ファッション」は、「自分にとっての最高の洋服!」にたどり着くまでに、これでもかってほど自身と向き合う。
最終的にはファッションの「選び方」になるが、その土台と柱は「自分がどうなりたいか」ということをしっかりと自覚し、「自分の生き方」を堀り出すことだ。
直感的に、「よくわからない自分自身」をすくい上げるきっかけになると感じた。
自分のことがわかるようになり、ファッションの悩みも解決する。
最高じゃないか!!!
自問自答ガールズの価値観が書かれた記事を拝見するたび、本当にそう思える。
「え、そうなの!?」ってくらい、コンセプトから何から違いすぎるんだけど、それが面白いし、そういう考え方もあるのかって思うし、何より励まされる。
似ている部分には共感できるし、たとえ違いの部分でさえも、「そっか、今の私のトレンドはこういう感じじゃないんだな」という気づきをくれる。
そうして体感してみないと、わからないこともある。
人と比べる必要はないと思うけど、「違い」を知ることで「自分の形」が浮き彫りになることもあるからだ。(いろんなブランドを教えてもらえるし! いつもありがとうございます♡)
「薔薇は薔薇を咲かせよう、鳥は空を飛ぼう」
ちょっと唐突すぎたかもしれないが、一人一人の個性は、こんなふうに花や別の生き物に例えられたりする。
それは本当にそうだと思うけれど、大前提として自分が何の花か、何の動物かがわかってないと、育て方や活かし方って、なかなかわからないのかもしれない。
「ありのまま」って、それがなんなのか自覚できないと難しいし、自覚してからも、「そうするかどうかの一壁を越える」決心の時が待っている。
ときには「違い」というものが、否定的なノイズのように聞こえてくることもある。
くじけそうになっても、ガールズさんたちは自分の巣穴を掘りながら、そこでぶち当たる障害物をそれぞれ越えてきているんだろう。
その困難さは、穴を掘りはじめたばかりの自分もじわじわと感じているし、わかるような気がする。
同じように考え抜いて、掘り進めたガールズさんたちの巣穴を拝見すると、その「違い」は「いい・悪い」じゃなくて、「探してきた『最高』が見つかってよかったね!」っていう気持ちになる。
陰ながら勝手に、お祝いムードになってしまう!
「ふんわり」でも「どっしり」でも「ときどき」でも、自分と向き合うことを続けていたら、少しずつ巣穴は快適になっていくんだろう。
──ちょっと話がそれてしまったけど。
「自問自答ファッション」が気になり出した当初は、「コンセプトを作ったら、自分の枷になるのでは?」という気持ちもあった。
だけど、「コンセプトがないと迷う」とおっしゃるあきやさんにも激しく同意できる。
そのあたりの葛藤があったのだけど、そこをほどいてくれたのも、あきやさんだった。軽やかな言葉を見かけた。
ああ、そっか。
別にコンセプトに縛られなくてもいいのか。
「合わないな」と感じはじめたら、また新しい自分を掘っていけばいいのか。
もそもそと迷走しながら探っていた巣穴を、ここでようやく明確な意思を持って掘り出した。
そのつもりだったんだけど!
思った以上に難航した。
とりあえず、こんな質問を自分にしてみる。
『好きな色は何ですか?』
……そしたらね、何も出てこないんです!
あるはずなのに!
頭の中が固まるというか、強制終了かかるっていうか、回路が途切れるっていうか、とにかく何も思い浮かばない。
「この状態で瞑想したらパーフェクト?」ってくらい、思考がなくなる。(エネルギー重たいから違うな)
いや、待って。
あるはず。
あるはず……。
『好きな色は何ですか?』
浮かばない。
「ある」はず……。
浮かばない。
ひたすら押し問答。
「ある」。
「ある」……。
そうやってくり返していたら、質問がこんな言葉へと変わった。
『好きな色はありますか?』
『ありますか?』
その瞬間、なんだかスルスルと少しずつ頭の中が動き出してきた。
「あった」のだ。
ミントグリーン、ピーコックグリーン、ライムグリーン……なんか緑ばっかりだけど。
今までそんなに、緑の服って着たことないよね?
でも、そういえば文房具はペンもファイルも緑のをよく買ってたか。
ヴァイオレット、パープル……ワインレッドも好き。
ピンク系は一時期本当に好きで、服も小物もピンクなものばかりになって、合わせづらくなったな。
……なぜか、次々と出てくる。
まだまだ出てくる。
じゃんじゃん出てくる。
書ききれない。
なのに、『好きな色は何ですか?』という質問に戻したとたん、言葉が消えた。
同じことができなくなった。
やっぱり頭の中が機能を停止したように動かなくなる。何も考えられなくなるのだ。
なんだ、これ。
何度もくり返してみたが、結果は変わらなかった。
実験的に、こんなこともした。
『好きな色は何ですか?』という自問に、あらかじめ「赤と黒」と答えようと決めてみる。(その色も好き)
ほかの人から見たら謎な行為だと思うけれど、やってみた。
だけど、答えを決めていてさえも、その質問に「赤と黒」だと答えることができなかった。頭の芯が凍りついたみたいになるし、答えを出すことも苦しい。
本当に、なんだこれ。
それでも、自分と直接関連のない質問だったら大丈夫。
知っているかどうかは別として、「スペインの名物は何ですか?」みたいなことなら想像できる。
マジで、なんだこれ。
こんな不可思議な頭の働き方、もう何年も「自分」を生きてきて、初めて知った。
──ただ、思い返せばそんな傾向はあったと思う。
私は自分のことを話すのが苦手だし、訊かれるのも苦手。(会話自体は好きです♪)
自己開示が得意じゃない方だとは思ってたけど、ものすごく納得した。
だって相手に何かを尋ねるとき、「○○○なことは何ですか?」って感じで訊くし、どうしたってこれが定型文じゃんね!?
なんなら、私だって使ってると思う!
けど、それだと私の頭は動いてくれないらしい!
場面場面では感じていた不都合だったけど、こんなにはっきり脳内シャットダウンが起こっていたとは気づかなかった!
今になって初めて自覚した。
え、え、え、ええええええー!?
自問自答、すごすぎん……?
腹落ちした。
そりゃ、自分のことがわからなくなるわけだよ!
だって、これまでずっと自分に対して、
「私は何が好きなの?」
「私は何がしたいの?」
って、訊いてきたんだから!
そのたんびに、私の頭はスン……ってなる!
そういうことか!
だからさ、何度訊いても「そのファイルはありません」「そのデータはありません」ってなるから、たぶん、わからなくなっちゃったんだと思う。
「おいしいメロンパン」のことを熱く語った記事が「ある」のに、『ハッシュタグ メロンパン』ってついてないから、検索してもメロンパンについて書かれた記事が出てこない、むしろ「存在してない」ことになっちゃうみたいな感じ。(なぜにメロンパン?)
「ある」はずなんだよ。
どっかには。
コレ、たぶん同じところに起因してると思うのだけど、私は「理由」を訊かれるのも苦手だ。
考えてみたら、大抵こう訊かれる。
『○○したいと思った、理由は何ですか?』
そう、またしても『何ですか?』なのだ!
(おおぅ……)
しかも、性格的にいろいろと両極端なところがあって、慎重でありながら、かなり感覚的な部分も持ち合わせている。
理由らしい理由も見当たらず、「なんとなく。そう思ったから……なん、だけど……な」などと思ってしまう。(「以上! 終わり!」じゃダメですか?)
あとは、それを思った心の動きを「始まりから終わりまで」時間軸に沿って説明し出してしまうようなところがあるので、それをされても相手も困るだろうし、こちらもうまいこと話せないし、最初から「伝えること自体」を断念してしまう傾向もある。
(人との会話での困り事を掘っていったら、これも見つかった)
とにかく、うまく答えられない。
小さい頃のトラウマか、コンプレックスなんだろうか?
もしくは別の人生か何かで、明言したことから「言質」を取られた経験でもあって、非常にマズい立場になった?
魂のクセ?
私の頭の仕組みによるもの?
ちょっと話が怪しくなってしまったが。
まあ、さっぱりわからない。
けど、そういうふうになる。
この現象を不思議に思ったので、『何ですか?』と『ありますか?』の質問にどんな違いがあるのか、穴掘りしてみた。
だから、好きな色は「あった」。
ほうほう……。
なんとなく、わかってきた。
どうやら私は、何かを「決めきる」ことにものすごく抵抗感があるらしい。
(よくわからないけど、マジで前世のトラウマか何かなの?)
自問自答を続けてみると、「選択肢」という言葉にあまりポジティブなイメージを持っていないことに気がついた。(人によっては、希望を感じるワードなんだと思う。それが自問自答の面白いところ)
A,B,C……
どれにしようかとグルグルなぞっていくと、それは枠になる。たとえ「選択肢」が100個あったとしても、つながってしまうと、それはもう枠なのだ。
101個目の「何か」は選べない。
私の頭はそう思っているようだった。
一方で、AとBとCが「可能性」なら、そのどれかを選ぶこともできるし、新たなEだって選ぶこともできる。バラバラに存在しているので、枠にはならない。
そういうことらしい。
ここまでくると、本当に言葉遊びだと思う。
でも、仕方ない。
「限定される」ことも、「選択肢」も、こうして文字に起こすだけで息苦しい。
(「限定品」という言葉には、ちょっぴり惹かれるものがあるけどね)
そういえば、「自問自答ファッション」をはじめるときに、「コンセプトが自分の枷になるかもしれない」という感情も出てきたので、こういう『自分に対する枠』みたいなものに、何かしらのしがらみがあるみたい。
そして、お気づきかもしれませんが、決めないと行動できない。
私は自分の性格を、優柔不断なところがあると思ってきた。
でも、それは少し違うのかもしれない。
「決められない」のではなくて、「決めきりたくない」のが原因で動けなかったのかもしれない。
「枠が嫌だ」と強烈に思いながらも、「決めきりたくない」ばっかりに選べず、動けなくなってるなら、自分で檻を作ってるようなものじゃないか!
振り返ってみると、「決めきること」ができずに期限を迎え、本当にそれがいいのかわからないまま、なかば「無理やり選択する」ことも多かった気がする。
もちろん、そんなの望んだような結果にならないことばかり。
いつからなのかはわからないが、何年も無自覚で続けてきた悪循環に、自問自答をはじめて数日で気づくとは……。(ありがとう、あきやさん!)
たぶん私には、『「可能性」を広げたまま、絞りきらずに、あるタイミングで行動してみる』ような、物事に対して緩やかなアプローチの仕方が必要なんだと思う。
「ゆるーくすぼめて、キャッチする!」的な?
1 on 1でボールを奪うんじゃなくて、15メートル先から標的を狙うスナイパーみたいな?
捕獲ボールを投げて「ゲットだぜ!」&「君に決めた!」のトレーナー方式?
例えが合ってるのかは、わからない。
それにしても、よかった。
答えが「ない」わけじゃなかった。
『あなたの○○は何ですか?』というような質問に、私は上手く答えることができない。わかっていても、できない。
自分でも「なんで??」と訳わからないけど、そうなのだ。
けれど、質問の仕方を自分で変えて、『ありますか?』に置き換えてみると言葉が見つかるようになる。(相手が意図するものとは、少しズレるかもしれないが)
これがわかっただけでも、収穫ですっ!
こうやって、どんなところでつまづいているのか、わからないまま、つまづき続けているのかもしれないね。
ほかの人にとっては本当に些細なことなのかもしれないけど、自分にとっては本当に重要なことだった、っていう……。
もしも、自分のことがわからなくて息苦しさを感じているなら。
質問の仕方を少し変えてみたり、自分にとってその質問にどんな意味があるのかとか、どんな印象を感じてしまうのか……などなど、少し違った側面から探っていくと、何らかの糸口が見つかることがあるかもしれません。
(たとえば、「好きな色」じゃなくて「着たかった色」とか。「色についての思い出」とか。自分の仕様だったりで、その質問に関連する「脳内ハッシュタグ」との紐づけが、別の記憶と結びついている可能性もあるから。だから、出てこないのかも)
他人とのコミュニケーションは、その場その場の瞬間的なことなので、すぐに流れていっちゃうけど、自分が相手だったら遠慮せずに質問変えたり、好きなだけ答えを待つことができる。
それこそが、しんどいこともあるけど、一番気長に自分につきあってくれるのは、やっぱり自分自身なんじゃないかとも思う。
自分のことがよくわからないと、その状態は自己肯定感にも響いてしまう。(とっても悲しいけど)
ぴったりくっついちゃったラップの切り口を、いつまでも探してるみたいで、もどかしい。
全部透明で何も見えなくて、とっかかりもわからなくて。どこ探っても手応えなくて。
知らん顔されているみたい。
だけど、あちこちカリカリしたり、辛抱強く指を滑らせていると、そのうち端っこが見つかるように、なんかちょっと別のやり方で、きっかけが掴めることもあるらしい。(何の話?)
今回の自問自答で自覚できたことをまとめると、
こんな感じ。
そういや、私にとっては「限定される」とか「選択肢」という言葉にネガティブな印象があるけど、その対極にあたるものはなんなんだろう?
ちょっと気になったんで探ってみたら、すごいの出てきた。
これ↓
「何も決めない!!!」
(ドン!)
これでした!
さ、さすがにそれはッ!
ハードモードだろうよ。どう考えても無理があるけど!?
でもね、なんだかパワーがすごいの。
その言葉を意識すると、「これまでの不安とか、消極的になってしまう気持ちとかなんだったんだろう???」ってくらい、グアアアアアアっとエネルギーが湧いてくる感じがある。
「私、無敵か?」って錯覚するくらいのパワーワード。(私にとってはだけど)
こんなに「決めきれない」質なのに、「決めないといけない!」と思って、エネルギーの回路を歪めてたのかも。
そりゃあ、実際には決めないといけないことばかりだし、最終的にはなんらかの決断はしないといけない。(「人生は選択の連続だ」なんて言葉もありますしね)
だけど、「何も決めない!!!」って心構えでいると、不思議と自分にエネルギーが戻ってくるのを感じる。
ほかの人にとってはまったく機能しないかもしれないし、むしろ後ろ向きな気分にさせてしまうかもしれない。
でも、私はパワーを感じる。
「みんな、それぞれ違うんだなあ」と思うのと同時に、どんだけ決めるの嫌なんだ私!?
「何も決めない!!!」
「決めてやらない!!!」
そう思うことで、マイナスに振れた思考をポジティブに戻し、いいエネルギーが流れはじめるような気がするんです。
結果、それが前向きな選択につながっていくんじゃないかと思える。「どうしよう……」ってなったときの、お守りを見つけた気分。
自問自答を続けて少しずつでも淀んでるところをすっきりさせて、解放につながったらいいな、と思う。3年後が楽しみになってきた!
(↑ 自問自答ファッションは、「3年くらいかけて、自分の理想に近づけていこうね!」という感じのスタイルなのです)
あちこちで目にしてましたが、「自問自答」と「アウトプット」って、ほんっとぉーにすごいですねッ!?
巣穴を掘りはじめたら、ソッコーでこんなの掘り当てました!
ただ、決めきれない自分を知ってしまったので、「ナンバーワン」を選出するのは難しいかも。「神7くらいなら……」と思ったけど、書いたそばから苦しいのでムリそう。
(でも、あきやさんは、"もちろん「あえてナンバーワンを決めない」 という考え方も賛成ですよ☺️" と言ってくれてる♡ くじけないようにしてくれるの、本当にありがたい)
さて突然ですが。
私は、どうしても文章が長くなりがち。
なので、「もっとコンパクトにした方が読みやすいかなあ……」って揺れることもたまにはあるんですが、自問自答ファッション界隈には、素敵な巣穴やお買い物記録を魅せてくれる長文ガールズさんもたくさんいらっしゃるので、こうした「穴掘り系」の投稿は安心して長尺さらせますっ!
(私個人は、「がっつり長文」も「ポイント押さえる短文(自分ができないから尊敬)」もそれぞれ好きです。いつもアウトプットと気づきをありがとうございます!)
\自問自答ファッション/
あきやさん記事の「まとめきれてない」まとめ↓
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?