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受難週メッセージ5 Holy Saturday

2024年3月24日 礼拝

タイトル画像:Werner WeisserによるPixabayからの画像

マタイによる福音書27章62節―66節

27:62 さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピ
ラトのところに集まって、
27:63 こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる』と言っていたのを思い出しました。
27:64 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。」
27:65 ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。
27:66 そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。


はじめに


今回は、受難週の土曜日の記事を取り上げます。日本では聖土曜日、英語ではHoly Saturday, Black Saturdayと呼ばれるそうです。プロテスタントの教会では馴染みないこの土曜日について紹介したいと思います。

受難週の成立について


こうして受難週の各曜日を振り返る中で、土曜日の重要性が見過ごされがちであることを思わされます。実際、福音書の記述においても、土曜日に関する情報は限られています。しかしながら、この日もまた受難週における重要な一環であり、古代からの伝承や教会の行事によってその意味が伝えられてきました。

土曜日は、主イエスが十字架にかけられた金曜日と、復活の日である日曜日の間に位置します。この日は、伝承によれば、主イエスが墓に安置され、世界は彼の死に沈黙した日でした。その穏やかな日にも、受難週の緊張感や期待感が漂い、信者たちは主イエスの死後の出来事を待ちわびます。

福音書における記述が少ない土曜日にも、受難週の意味が込められています。この日は、主イエスの死によってもたらされた静寂と希望の日であり、彼の復活に向けた準備の日でもあります。私たちは、受難週全体を通して、主イエスの受難と復活の意味を深く考え、その恵みと奇跡に感謝するとともに、土曜日もその一部として、その重要性を考えていきたいと思います。

墓に入っていた土曜日


イエス・キリストの埋葬は安息日に行われました。この出来事は聖書に記されている限り、その後の詳細ははっきりとは描かれていません。

マタイの福音書24章では、安息日に祭司長やパリサイ人たちが心配していたことが述べられています。彼らが復活の予告に敏感であったのは、イエスの弟子たちではなく、むしろイエス・キリストを反対する者たちでした。(マタイ24:62)

彼らが復活に敏感であった理由は、弟子たちがイエスの遺体を盗んで密かに墓から持ち去り、「復活した」と公言することを恐れていたからかもしれません。イエス自身が生前から自らの復活を予言していたこともあり、アリマタヤのヨセフによって遺体が預けられたことに不安を感じたのでしょう。

そのため、安息日になってからも彼らはピラトのもとに行き、3日目まで墓を監視してもらうよう依頼しました。

この出来事から見て取れるのは、イエス・キリストを神の子であると認めることを拒否し、律法に反するとして死刑を宣告した彼ら自身が、安息日に行動してはいけないという律法を破る行為に出たことです。

マタイ27:65 ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。

『番兵』(κουστωδία:クーストーディア)という言葉はラテン語に由来し、聖書の記者マタイがわざわざこの言葉を用いることで、ローマの兵士を指しています。これらは神殿の警備を担当していた兵士であり、イエス・キリストの墓の警護に関してはピラトの許可が必要でした。

もし祭司たちが以前から『番兵』を自由に動かせる権限を持っていたなら、ピラトに許可を求める必要はありませんでした。

イエスの墓は、岩に掘られた横穴に設けられたものでした。これはアリマタヤのヨセフが自分のために購入したものでした。イエスが十字架にかけられた後、ヨセフによって埋葬され、墓の入口は大きな石で閉じられていました。

しかし、祭司長や番兵がやってきて、墓の石に封印を施しました。この封印はおそらく、石を横切って一本かそれ以上の綱を引き、その両端を蝋やセメントのようなもので岩に固定する方法で行われたでしょう。これによって、墓を簡単に開けることができないようにし、弟子たちが遺体を盗むことや、イエスの復活を偽造することを防ぎました。

その上で、祭司たちは神殿を守るローマ兵の番兵を配置しました。さらに、彼らは兵士たちにこの任務を任せるだけでなく、自らも参加しました。

安息日であった土曜日


イエス・キリストの死後、土曜日に関するストーリーは、マタイの福音書においてその詳細が語られています。しかし、金曜日の受難に比べると、その描写は貧弱であり、この差異は注目されるべき点です。

土曜日という日に思いを馳せると、まず頭に浮かぶのはユダヤ教の安息日でしょう。

安息日の起源は、天地創造の物語(創世記1:1-2:3)にあります。神が6日間の創造の作業を終え、第7日目に休まれ、この日を祝福し、「聖である」とされたことから始まります。

この創造の物語には「安息日」という語句は直接登場しませんが、モーセの十戒が制定された際に、第4戒として安息日に関する戒めが述べられ、その根拠として神の創造の行為が挙げられています。

安息日を守ることは、神の創造行為に深く関わり、神がその日を「休まれた」とし、「聖とされた」としたことに基づいています。安息日の守りは、神とイスラエルとの契約に基づくものです。

安息日は通常の労働を行わないことが目的ではなく、むしろ解放されることがその目的でした。しかし、休息の方法には厳格な規定があり、いくつかの行為が禁止されています。たとえば、火をおこすことや薪を集めること、食事の用意をすることなどがその例です。

安息日を犯す者は時として死刑の対象とされることもありました。

時代が経つにつれて、安息日の守り方は変わっていきましたが、旧約聖書の終わりと新約聖書の時代を結ぶ中間期において、シナゴーグの設立により安息日の守り方は規則的になりました。したがって、イエス・キリストの時代には、安息日はユダヤ人の社会的、宗教的な意識に深く浸透していました。

過越の祭りの日であった土曜日


イエス・キリストが墓に葬られた、この土曜日は同時に安息日でもあり、また、過越の祭りが始まるニサンの月の15日ということでした。

〈ヘ〉ニーサーン.「動く」「出立する」という意味.バビロンの暦の第1月であり,捕囚後のヘブル暦の第1月となった.政治暦では第7月のアビブの月であり,太陽暦の3―4月に当る(エス3:7,ネヘ2:1).過越の祭は,この月の中頃に守られた.季節としては,収穫開始の時期である.後の雨(申11:14)が降る.レバノン山の雪解けのためヨルダン川が増水する(ヨシ3:15).エリコの平原およびヨルダンの平原では,大麦刈りが始まり,小麦は穂が出る.

出典:『ニサンの月』新聖書辞典 いのちのことば社 

さらに、下記の論文には興味深い記述がありました。

このニサンの月の14 日とは,ユダヤ教における過越の祭(ペサハ)が始まる前日であり,『ヨハネ福音書』によれば,この日の午後(ヨハネ19,14),イエスは十字架上で磔刑死を遂げるが(ヨハネ19,33),これは同日に生贄の小羊が屠られるのと時を同じくしてのことであったとされる(出エジプト12, 6 )
(中略)
イエスの時代,ユダヤ人による過越の記念は,2 段階で行われていた.①第
1 段階は,小羊の屠殺から成り,これはニサンの月の14 日の午後(日没前),エルサレムの神殿で行われた.②第2 段階はニサンの月の14 日に続く夜,過越の晩餐のとき,家族ごとに生贄を食べることであった.なお古代における日付の考え方では,夕方,日没とともに新しい一日が始まる.したがって,ユダヤ教における過越の祭はニサンの月の15 日に行われる晩餐(セデル)をもって始まるということになる(吉見1997:95).晩餐の儀式の間,家長は,この盛儀のためにこの時に限り祭司の威厳を与えられ,神が自らの民の歴史に介入したことを簡潔に子供たちに話し,儀式の意味を説明した.

出典:<文藝篇>「14日派」に学ぶ 秋山 学 文藝言語研究
巻 71, p. 71-88, 発行日 2017-03-31  筑波大学大学院人文社会科学研究科 文芸・言語専攻 

秋山氏の論文によれば、『ヨハネ福音書』において、イエス・キリストはその日の午後に十字架上で磔刑に処されました(ヨハネ19:14)。そして、これは過越の祭りの時期に、生贄の小羊が屠られるのと同じ時刻に行われたとされています(出エジプト記12:6)。

このようにして土曜日は、安息日と過越の祭りが同時に迎えられる日となります。

安息日と過越の祭りが同じニサンの月の15日に重なるというのは、タイミング的にも非常にまれなことです。このような出来事は、神の計画の素晴らしさと、そのドラマチックな性質を示すものと言えます。この奇跡的な重なりには、神の導きや計画が隠れた形で働いていると感じられます。

イエス・キリストが死して葬られたとき、その安息の状態が安息日を迎えるという偶然の一致としてではなく、むしろ神の無言の声として感じ取られます。イエスの死によって、神は完全な安息の状態を示し、七日目に休息された神の行為を思い起こさせます。

陰府(よみ)に下ったのか


一方、人間はどうしていたのかというと、聖とするはずの安息日を破ることを、自分たちの陰謀を果たすために固くイエス・キリストの墓を封じるという行動に移しました。また、その後の人間の活動はどうであったのかといえば、イエスは死んで葬られた後、陰府(よみ)に下ったという伝承があります。

この説に対して、多くの人がそう信じているかとも思います。有名なところでは使徒信条ですが、そのなかにこう記されています。

我は天地の造り主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子(ひとりご)、我らの主(しゅ)、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(うま)れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架(じゅうじか)につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。
我は聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。
アーメン

使徒信条 『新聖歌』

なぜ、そうした記載がなされているのかといえば、ぺテロの手紙一 3:19が聖書に記されている箇所として言及されるほか、同じくペテロの手紙一 4:6、またエペソ人への手紙 4:9が証拠聖句として提出されています。

Ⅰペテ 3:19 その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。

Ⅰペテ 4:6 というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神によって生きるためでした。

エペ4:9 ──この「上られた」ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。

特にⅠペテロ3:19の解釈ですが、『その霊において』とありますが、その意味は、生来の人間(肉)に対する再生し復活した人間(霊)のことを意味します。それゆえ、ここでは復活のキリストを語っているので、それを死と復活の中間状態の時であると考えるのは難しいと考えられています。

現代聖書学では、上に挙げた聖書箇所を地獄降りの根拠とする解釈を認めないのが通説とされています。

下記のウィキペディアの見解にはこうありました。

米国神学者ウェイン・グルーデム(米国福音神学会会長)は、米国でよく使われている使徒信条に「主は地獄(hell)に下り」とあるのは誤りであり、聖書的には「主は陰府(hades)に降り」とすべきとして、「主は地獄には下らなかった:使徒信条ではなく聖書に従おう」と題する論文を著している。

出典:ウィキペディア『キリストの地獄への降下』
http://www.waynegrudem.com/wp-content/uploads/2012/08/he-did-not-descend-into-hell_JETS.pdf

米国神学者ウェイン・グルーデム氏の意見は『使徒信条ではなく聖書に従おう』という部分に頷ける点はありますが、

もし、彼がそう言うならば、プロテスタントの教会が信じている聖書のみ(Sola scriptura)という姿勢は守らなければならないところです。

聖書のみ (ソラ・スクリプトゥラ)

聖書のみ(Sola Scriptura)は、プロテスタントの宗教改革において重要な原理の一つであり、信仰義認や万人祭司と並ぶ三大原理の一つとされています。

この原理は、「聖書のみ」という意味を持ちます。すなわち、ルターはシュマルカルデン信条において、「神のことばが教会の教えと信仰告白を確立する。それは天使であっても覆すことができない」と主張しました。

この主張の核心は、聖書66巻が唯一の規範であるという点にあります。聖書は伝承や外典を根拠とせず、その言葉は完全に神によるものであり、その権威はどの人や教会の証言にも依存しないということです。

この原理を忘れることは、パウロがテモテへの第一の手紙1章14節で危惧するところであり、それは私たちが信仰の源泉である聖書から逸脱し、人間の教えや伝承に惑わされる可能性を含みます。

したがって、聖書のみの原理は、神の言葉に根ざし、それを唯一の信仰の基盤とし、その真理に忠実に従うことの重要性を強調します。

Ⅰテモ 1:4 果てしのない空想話と系図とに心を奪われたりしないように命じてください。そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません。

伝承に従うことがもたらす結果は、神の救いの計画を狂わせることになります。

神の救いの計画の実現は、預言者たちを通して記された聖書の御言葉にのみ依拠する信仰にかかっています。その御言葉から逸脱することは、私たちの信仰の基盤を崩壊させ、異端への道へと導く可能性があります。

ですから、私たちは聖書の御言葉に根ざした信仰を持ち続けることの重要性を認識しなければなりません。そのような信仰の中でのみ、神の計画が成就され、私たちの救いが確信されるのです。

復活のための安息


このように見ていくと、イエス・キリストが安息日の土曜日に陰府(よみ)に降りたという伝承は、聖書に書かれた御言葉ではなく、単なる伝承に過ぎず、鵜呑みにすることはできません。

聖書の記述を読む限り、イエス・キリストの葬られた後の動向については一切触れられておらず、私たちはそれについて確定的な情報を持ち得ません。

むしろ、イエス・キリストは葬られることによって、神の聖定した安息日を完全に守ることとなりました。主イエスは墓の中で完全な安息を過ごされたのです。そして、その死によって肉体的には一度死んで葬られましたが、霊においては死ぬことのない方であることを思い起こさせます。

つまり、主イエスはその死においても、安息日を完全に守るという意味において、旧約聖書の全ての要求を完全に遵守された方であると言えるのです。

マタ 5:17 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。

安息日の目的

もう一度、安息日とはいかなる日であったのかということを確認したいと思います。以下に示します。

また,従来,安息日規定は,「7日目に休む」という点にその要点があるかのように考えられてきた傾向がある.確かに休むことが命じられているのであるが,その目的も考えられなければならないであろう.
まず,「安息日は聖(holy)」であり(出エジプト16:23,20:11,レビ23:3,ネヘミヤ9:14,イザヤ58:13)
また,神が安息日を「聖なるもの」としたので(出エジプト20:11)人もそれを「聖なるもの」としなければならない(同20:8)と言われる.
従って,安息日をいかに過すかという問題は,「聖である」とはいかなることであるか,という問にかかっている.
ところで,この安息日に関する問とは一応別に,近年,「*聖」という概念について,それが「*いのち」という一つの重要な象徴的意味を有することが主張されている(ウェナム).
この象徴的意味に依拠すれば,安息日をいのちの満ちる時と見ることができよう

この観点に立ち,「安息」とはいのちの回復のための休息であり,休むこと自体が目的ではないと考え得る.これとともに,安息日遵守に関しては,従来十分な考慮が払われなかった「聖」の持つ倫理的側面も強調されなければならない(レビ19章参照).すなわち,安息日を「聖とする」ということのうちには,罪と汚れから離れ,「聖」であられる主の御人格に属する事柄を実践するという積極的な面も含まれる.

出典:『安息日』 新キリスト教辞典 いのちのことば社
Wenham,G. Leviticus,pp.300ff.,Eerdmans,1979.(木内伸嘉)

従来、安息日は単に「7日目に休む」という規定として捉えられてきましたが、その目的も考慮されるべきです。安息日は「聖」であるとされ、神がそれを「聖なるもの」としたため、人もそれを尊重しなければなりません。従って、安息日をどのように過ごすかは、「聖である」という概念にかかっています。最近では、安息日は「聖」という概念が「いのち」の象徴的意味を持つと主張されています。この観点から見ると、安息日はいのちの回復のための休息であり、休むこと自体が目的ではないと考えられます。また、安息日の遵守には、従来見落とされがちだった「聖」の倫理的側面も重要です。安息日を「聖とする」ということは、罪と汚れから離れ、主の御人格にふさわしい行いを実践することを含みます。

新キリスト教辞典によれば、安息日は『聖』であること。『聖』という概念は『いのち』という象徴的意味を有しており、『安息日とはいのちの満ちる時』であると結論しています。

ここで、『いのち』という意味についてもおさらいしましょう。
下記に文献を紹介しておきますが、神との交わりであり、いのちの創造者なる神との結びつくことです。すなわち、永遠のいのちを意味する言葉です。

この新キリスト教辞典の『いのち』の項目を見ると、陰府(よみ)に関する記述をみると興味深いものがあります。

旧約におけるいのちの本質は,生ける神との交わりに存する.いのちの秘密また根源は,神との交わりなのである.この神との交わりを破壊するのが死である.旧約における死とは,ギリシヤ思想に見られるような神意による自然なもの,完全至福を与える解放ではなく,人間の罪によりこの世に侵入してきた,神とは対立的・非自然的・異常なものであり,神と人との敵,「いのちの敵」である.死は人を,いのちの創造者なる神から引き離す.死とは神からの離反,神との関係喪失である(詩篇88:5,115:17).また,死後,よみ(〈ヘ〉シェオール)の世界で,無色の存在,影のようなものとして生き続けるというようなあり方も,真のいのちのあり方ではない.よみは主なる神の統治権外にあると見なされるからである.また,単に生存し続けることも,「生きている」ことにはならない.いのちとは,神の恵みと交わりのうちに存するいのちだからである(詩篇16:11,30:5,63:3,ハバクク2:4).この交わりは,肉体の死によっても壊されることはない(詩篇73:23‐28).神は*終末的「その日」に,永久に死を滅ぼし,真のいのち・永遠のいのちを与えて下さる(イザヤ25:8,9,26:19,ダニエル12:2).生ける神との交わり,神と人との間のいのちの結び付き,それが「いのち」なのである.
(中略)
しかし,真のいのちはパンのみによるのでなく,神のみことばに依存する(マタイ4:4,ルカ12:15).神から離れて生きることは,死んだ状態と同じであり(ルカ15:24,32),そのいのちは「神のいのち」から遠く離れている(参照エペソ4:18).いのちは地上的いのちだけでなく,来るべき世のいのち・永遠のいのちへと連なるいのちである(マルコ10:17,30).そこで「いのちに入る」とは,「永遠のいのちを得る」「*神の国に入る」「救われる」と同義である(マタイ18:3,8,19:16,24,29,マルコ10:17,23,26).生かすことも殺すこともできる神は(マタイ10:28),いのちの*創造者・賦与者(使徒17:25),いのちの主(ルカ12:20,使徒10:42)である.神はいのちそのものであり,「生ける神」であり(マタイ16:16,26:63,使徒14:15),かつ「生きている者の神」である(マタイ22:32,マルコ12:27,ルカ20:38).

出典:『いのち』 新キリスト教辞典 いのちのことば社
(熊谷 徹)

旧約聖書において、いのちの本質は生ける神との交わりにあります。死はこの神との交わりを破壊するものであり、神との関係喪失を意味します。死後のよみの世界では、神の統治権外であるため、真のいのちのあり方ではありません。いのちは神の恵みと交わりの中にあり、肉体の死によっても壊されることはありません。神は終末的な「その日」に死を滅ぼし、真のいのちと永遠のいのちを与えます。

しかし、真のいのちは単に物質的なものではなく、神のみことばに依存します。神から離れて生きることは死んだ状態と同じであり、そのいのちは神のいのちから遠く離れています。いのちは地上的なものだけでなく、永遠のいのちへと連なるものです。

したがって、「いのちに入る」とは、永遠のいのちを得ることや神の国に入ること、救われることを意味します。神はいのちそのものであり、生ける神であり、生きている者の神です。

つまり、陰府(よみ)にイエス・キリストは土曜日に下ったとされる説は、真のいのちのあり方ではないということが理解できます。

イエス・キリストは、生けるまことの神であり、葬られて後も、いのちそのものであり、神の国を支配しておられるお方です。ましてや陰府(よみ)にあっていのちがそこなわれた状態にあったというのはありえないことです。

このように考えると、イエス・キリストが葬られた聖土曜日、または聖大スボタと呼ばれるこの日は、ますます輝きを増すものであると感じられます。この日は過越の祭りの日であり、同時に安息日でもあります。そして、これは完全ないのちの象徴である復活の日への準備の日でもあります。安息日が意味するところの『復活すなわち、いのちの満ちる時』が、この日に実現するのです。

土曜日の安息日はイエス・キリストの復活によって廃棄されましたが、イエス・キリストの埋葬によって完全に全うされた記念日でもあります。これこそが、『聖』であり、土曜日を記念する意味でもあります。私たちはこの日を通じて、イエス・キリストの復活の力と栄光を深く垣間見ることができます。ハレルヤ!