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アルファでありオメガ

 わたしたちは何本も煙草を灰にしながら歌い続けた。興が乗ってくると、冒頭の溜息を真似ながら“伊勢佐木町ブルース”を歌ったりした。この店のママに定職に就けたことを報告して名刺を渡して歌を歌えることに至上の喜びを感じていたことは言うまでもない。

 男は来なかった。まだ“ビジネス”が終わらないから、という理由で。ママが彼のために用意した食事は冷めて、いつの間にかわたしの胃袋の中に収まっていた。

 麗しい女(ひと)を新開地の駅まで送り届けて戻ってから、ろくでなしたち3人で宴は続いた。日が変わり、一時を過ぎるか過ぎないかの頃、ようやくホテルに戻った。満ち足りた気持ちが殆どと、高知の男に逢えなかった寂しさをちょっぴりと覚えながら…

 帰路に立ち寄ったローソンでは中華系と思われる若い女と日本語を話す中年男がレジの前で痴話喧嘩をしていた。おにぎりと清涼飲料水を買って宿に戻り泥のように眠りこけた。

 心のふるさと、と呼んでも良いほどに愛した新開地の朝は激しい肩痛から始まった。色男も同じだった。車が壊れたキャリーケースを引いて近隣の喫煙可能喫茶店を探し、商店街の中のABBAが流れる喫茶店に入った。この店の常連客(?)に間違われたのか“いつもと雰囲気が違うね”と言われたりもした。喫茶店にはよく吸い込まれるがこの店は初めてだった。

 実家に戻るという色男と別れて、壊れたキャリーケースを引き続けた。神戸の街は小樽の街よりも涼しく感じられた。この夏の北海道の暑さはやっぱり異常みたいだ。

 一軒の喫茶店に入り、男を待った。わたしたちが“信仰の先生”と呼ぶ極上の男。チェ(・ゲバラ)、(イエスの使徒)パウロ、スティービー(・ワンダー)と、この男の通り名はあまりにも多い。この男もまた四国の男だ。彼を待つ間に西宮の丘の上の喫茶店で3人で語り合った日々を思い起こしていた。喫煙所で信仰論をぶつけ合うことを“喫煙神学”と嘯いていたことも懐かしい。喫煙神学をした喫煙所はなくなったし、みな、定職に就いたけど、あの喫茶店ではまだ煙草が吸えるのだろうか?

神戸・元町の名店

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