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信用コストゼロの時代が到来?ブロックチェーンの真価とは

どういうわけか、仮想通貨や暗号資産、ビットコインなどの単語はネガティブな反応が多いですが、ブロックチェーンは新しい技術と言われるようです。

普段は暗号資産に対してポジティブな見出しをつけない日経新聞が比較的前向きな見出しをつけてきました。最も暗号資産とは書かずにイーサリアムと書いていますが。
ビットコインやアルトコインなどの暗号資産といえば、そもそもメディアにはあまり評判が良くなく、批判的に書かれることが多いですが、昔からなぜかブロックチェーンという言葉はあまりネガティブには受け止められていないようです。
それなりに過去から暗号資産を見続けてきた私からすると、仮想通貨もブロックチェーンもWeb3も言い方を変えているだけで、結局は全てビットコインから始まった仕組みで、同じもののことを言っているだけにしか思えない。しかし、仮想通貨とかビットコインとか言うと、投機的とかマネロンに使われるとかあまりいいことは書かれない。ところがブロックチェーンというと新しい技術のように書かれる。書いている人たちはどう考えているのでしょうか。ブロックチェーンがエコシステムとして稼働するためには仮想通貨が必要不可欠な要素で、切り離すことはできないと思うのですが、そこは理解されていないのでしょうか。

とはいうものの、ここで取り上げた日経新聞の記事は少し進歩が見られます。この記事の中では信用コストゼロと書かれています。なかなか的を得た書き方だと思われます。これまで日経新聞ではこのような見方でブロックチェーンを評価したことはなかったような気がします。少し、ビットコインの本質に新聞も近づいたのでしょうか。

残念なのは最後の方に16年に起きたイーサリアムの巻き戻しを例に挙げて、プロトコルに欠陥があるというような書き方をしているところです。確かに16年の事件はプログラム(というか開発組織)が未熟だった挙句、強制フォークという形で分散プロトコルらしからぬ強引な解決策を実行しました。
その後のハッキングについてもさもそれと同じようなパターンと受け止められるような書き方をしていますが、その後のハッキングは大半がイーサリアムプロトコルそのものには関係なく、その上に構築されたレイヤ2のプロトコルの欠陥であったり、取引所の杜撰な管理、つまりは人間系のミスによるハッキングであり、イーサリアムのプロトコル上の欠陥が多発していたわけではありません。少し残念な結論です。
なんとなくですが、極端に偏った書き方ができない、という新聞の方針が見え隠れします。ちなみにイーサリアムはまだまだ開発途上のプロトコルであり、完成系ではありませんので、今後も何かプロトコル上の欠陥が見つかるかもしれません。と私自身も守りに入った記述を付け加えておきますw。

この記事の最後になかなか良い問いがありました。何に信を置くべきか、その答えを私たちはまだ手にしてない、と。その通りかもしれません。果たしてブロックチェーンネットワークは信頼に値するのか?、これも確かに突き詰めていくと完璧ではありません。
もちろん中央集権的な仕組みに比べると分散管理されているので脆弱性は低いです。それでも人間の思惑で動いているネットワークなので特定の人に対する信頼で動いてないとはいえ、人の気持ちによりけりです。ブロックチェーンネットワーク(ビットコインネットワークでも良いです)が信用できないと全員が思えばその時には止まってしまいます。そうなる確率が相当低いだろうという前提で成り立っています。
結局、人は人を信用できるのか、というところは既存の仕組みだろうとブロックチェーンも突き詰めていくと同じかもしれません。とはいえ、ブロックチェーンは赤の他人は信用できない、ということを前提に作られているので、信用がなくともやり取りができることは事実です。この記事でいうところの「信用コストゼロ」というのは裏を返せば、今信用コストで成り立っているビジネスが不用になるということです。さて、それは誰のことを言っているのでしょうか。

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