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『BLACK SHEEP TOWN』感想

 どうもです。

 今回は、BA-KUより2022年9月16日に発売された『BLACK SHEEP TOWN』の感想になります。パッケージはなく、Steamでの配信のみ。価格は2800円でロープラ作品に当たります。安い!

 今やノベルゲームに当たり前の様にあるOPムービーや楽曲は無し。本作、全編通して声も当てられておらず、かなりコストカットされている点は、昨今のノベルゲームだと珍しい特徴の一つかもですね。この点で心配している方は体験版をやってみる事をオススメします。文章のパワーが尋常じゃないので、そこに惹かれされすれば、最後まで楽しむ事ができると思います。
 プレイしたキッカケですが、本作のライターである”瀬戸口廉也”先生の作品の一つ『SWAN SONG』を昨年プレイして虜になってしまったから。日数が経てば経つほど、「あの作品やっぱ凄かったな…」と想いが募る日々でして。新作が出るとなれば、プレイせざるを得なかったです。

 では、感想に移りますが、受け取ったメッセージと、雑感をなるべく簡潔に書けたらなと。こっからネタバレ全開なんで自己責任でお願いします。


1.受け取ったメッセージ

 正直いつもの感想記事みたいに、メッセージはコレだ!とまとめられそうにないです…。色々理由はあるんですが、純粋に要約するにはかなり難しいなと。実際、ラスト『物語のおわり』で筆者である路地が以下の様な事を言っていたのも理由の一つ。

思いのまま筆を進めていくうちになんだか焦点のぼやけたものになってしまったかもしれない。書いている間はそのことがずっと気になったが、しかし物語が結末に近づいた今、これで良かったのだと確信している。

路地邦昭-『BLACK SHEEP TOWN』

 只それでも、琴線に触れた箇所をここに書き記しておく必要がある、と思っているので、本作から感じ取った事を精一杯書いていきたいと思います。

 

 まず、最も本作を表していたと思われる印象的な言葉から。

自分には優しくしてくれていた人がひどい犯罪をして誰かを死なせたり、その逆があったり、一人の人間をいい人だとか悪い人だとか決めつけることなんか出来ないんだって。この街には色んな人がいて、色んな悲劇も喜劇もある。どれが良いとか悪いとかじゃなくて、みんな自分の性(さが)や立場に従って行動しているだけなんだ。それはとても素晴らしいことだし、おれは全力で肯定したい。

見土道夫-『BLACK SHEEP TOWN』

 "どれが良いとか悪いとかじゃなくて、みんな自分の性(さが)や立場に従って行動しているだけ"、ここが一番ポイントかなと。本作では、様々な登場人物の視点で"それぞれの物語"を覗く事ができました。勢力争いみたいなトコもありましたが、そこではなく、一人一人の生き様を濃く丁寧に描いてくれた事が本当に凄かった。なので、特定の誰かに肩入れして本作を味わう事はもはや不可能に近かったです。逆にだからこそ、好きなエピソードを選んで読み進められると云うのは、立場や順番によって物語体験はプレイヤー毎に変わってくる、様々な角度から物事を見る魅力を実感できる仕様でした。

 この、"様々な角度から物事を見る”と云うのも、1つのテーマだった様に思います。タイトルにもある『Black sheep(黒い羊)』は"除け者"、"やっかい者"、"変わり者"、と云った意味がありますが、AタイプやBタイプの事でしょう。Aタイプだから~、Bタイプだから~と云うだけで除け者にしてはいけない。彼らにも彼らなりの事情や信念があると。私達の世界でも、未だにいますからね…障害や見た目で判断する人。また、ニュースなどで取り上げられた人物に対して、直接会って話した訳でもなく、よく知りもしないのに非難したり、物申したりする人達。
 確かに絶対に赦されない、非難されるべき事はあります。でも、だからと云って、その行為の裏側を蔑ろしてはいけないと思うんです。何も裏側にある想いに共感しろとは言ってはいなくて、その想いに触れてみる事ぐらいはしてあげてもいいんじゃないかと。ノベルゲームでも、そーゆー体験は結構ありました。殺人等の行い自体に焦点を当てると絶対に赦されてはならないんだけども、その行いに至るまでに関与した要素、つまりは過程全てを踏まえた時にどうしても責め切れなくなってしまう時。彼らなりの「正しさ」への理解を限界まで努めて、解らなくもないという処まで考えを巡らす。コレは『SWAN SONG』でも感じた事で、そうした時にこそ、どうしてこうなってしまったんだ…他の路は無かったのか…と想いが湧いてくるはずです。本作でも多々あったのではないでしょうか。
 結局、同じ人間なのだから、除け者扱いするにしても、その選択を取る前に、理解に努める選択をしてみてもいいのではないかと、1つこのテーマを受け取っています。と云う事で、見土の言葉を最後に一旦締めます。

人間ってのはね、はたから見ればどんな異常でとんでもない行動でも、本人にしてみればやむを得なかったり、筋が通っていたりするんだよ

見土道夫-『BLACK SHEEP TOWN』


 続いては、先までのテーマと少し関連してますが、"選択"や"行動"、"感情"などについて。フワっとしてるのは申し訳ないんですが、取り敢えず、クリスの言葉から始めましょう。

人生は絵画のようなもので、自分という筆でそこに何か描くのだ。そういう意味ではなかなかうまくやって来たと思う。しかし、お前の提案に乗れば最後の最後ですべてを汚すことになる。人間の命は、ただあるだけでは輝くわけではない。行動が輝かせるんだ。

クリス・ツェー-『BLACK SHEEP TOWN』

おれが思うに、人間の命そのものには何の価値もない。命の価値というものは、その人間がどう考え、どう行動したかによってはじめて生まれる。……つまり作り出すものなんだ

クリス・ツェー-『BLACK SHEEP TOWN』

 月並みですが、良い言葉です。また、この言葉に説得力があるのはクリスだからこそですね。若い頃から死ぬまでずっと変わらなかったですし。また、彼と同じ様な考えだったのは、見土もそう。

大事なことは、この短い人生のなかで自分の意志で何かを選択して行動することだ。何かを愛し、恐れるものに対しては勇気を振り絞って立ち向かう。それは本当に素晴らしいことで、その結果殺し合いになったって、軽く笑えるジョークみたいなもんだよ。

見土道夫-『BLACK SHEEP TOWN』

 2人とも、人生では選択して行動する事を重視していました。"過程"か"結果"のどちらかで云えば"結果"寄りの考え方。死を迎える時に、悪くない人生だったなと思える様に。全てに価値がない過酷な世界でも、だからこそ自分の命に価値を見出せる様に。そんな風に生きていた様に思います。2人に限らず、本作に登場する人物の殆どがそうだったと思いますが、中でも組織のトップとして強き2人が際立っていたのかなと。自分もこの生き方には共感する処はありますし、とても素晴らしい事だと思います。何か自らの手でこの世界に何かを残せなくても、必死に生きた人生そのものが充分に作品足り得ると思っている節とかもあるので。
 でも、人間誰しもがクリスや見土の様に強い人間ではない訳で。それを踏まえて、本作の主人公だと思っている謝亮の言葉を追っていきます。

(略)僕たちは存在している時点で奇跡みたいなものなんだ。この無数の星が散らばる広大無辺な宇宙に、生物が存在する場所がどれだけあるか……。僕は、僕という存在として何かを考えたり、意志を持ってる時点で、悲劇だろうがなんだろうが、充分モトがとれていて、いつか死ぬ定めだとしても、この偉大な奇跡の前では全てどうでもいいことのような気がするんだよ

謝亮-『BLACK SHEEP TOWN』

 父とは違いますね。父以上に、生き物の事を考えられる人間だったと思います、亮は。また、"過程"寄りの考え方で、シウにも「何かをしなくちゃいけないと心から思ってくれたなら、したのと同じだよ」と言葉を掛けていました…尊い。あと、亮と同じ側の人間だったのがもう一人。太刀川です。彼も若い頃に、命それ自体が価値のある美しいものだと語っていましたね。
 この命の美しさについては、『SWAN SONG』でも尼子司が同じ様な語っていたのを憶えていたので、一応引用を。

醜くても、愚かでも、誰だって人間は素晴らしいです。幸福じゃなくっても、間違いだらけだとしても、人の一生は素晴らしいです

尼子司-『SWAN SONG』

 "幸福じゃなくっても"、って処が亮と凄い似てるなと思います。行動まで持っていけずとも、ただ存在しているだけで、何かを感じたり、考えたりできるだけで貴いと。と同時に、それを奪う行為がどういう事なのかを考える事もまた大切だと言っていました。どんな時でも、ちゃんと考えた上であれば文句は無いと。

 実際、亮は昔から誰よりも暴力が大嫌いで、生命を貴いモノだと考えていました。にもかかわらず、誰よりも暴力から逃げられず、多くの命を奪う事になった人でした。本当に、本当に哀しい。
 それでも、彼は悲しんでる場合ではなかったし、シウや松子と云った家族だけは護ろうとしました。感情に幼稚な部分があると見土から言われ、泣かないだろうと自身でも思っていたのに、いざ父の最期を看取る時に涙が流れましたからね。これ以上家族は失えないと、覚悟が決まったはず。
 その為ならば、自分の感情を殺してでも行動せざるを得ない。でも、コレは段々と"亮である"部分が薄くなっていて、だから余計に哀しかった。何も感じなくなってしまった、考えられなくなってしまっては、もう存在していないのと同じなのではないかと。
 少し話が逸れますが、現実でもよくある「嫌なら止めればいい」と云う意見。これ解るんですが、そんな簡単じゃないんですよね…本当に。誰が何が悪いとかではなく、ただ単純に当事者にしか解らない事で、それが当たり前で、嫌でもやらなければならない瞬間って間違いなくあると思ってます。
 亮はY地区の人達に対して、以下の様な事を言っていました。

世間の大半の連中はY地区にはクソみたいな人しかいないと思ってて……まあそれは確かにそうなんだけど、でも、じゃあ世間の人間はそんなに立派なのかと思うよ。僕は誰だってそこまで変わらないと思うんだ。根っから悪い奴なんかそこまでいないし間違いを犯した奴が特別愚かだったわけでも、イカレてるわけでもない。ただちょっと、うまくいかないだけなんだ
(中略)
僕は何でもやってみるつもりだよ。たとえ短い命だとしても、生きるだけの価値は充分にあると、今は感じてるんだ

謝亮-『BLACK SHEEP TOWN』

 "ただちょっと、うまくいかないだけ"、本当に優しい人だなと思います。少しのボタンの掛け違いが起きているだけだから、と云う想い。悩みや不安、苦労に押し潰されそうになっても、支えていた土台にある想いは恐らくこれで。この想い一つで行動していたと思います。子から親の様な立場になり、そして、組織のトップにもなった。自分の立場が変わった事によって、これまで見えていなかったモノが見えるようになる事もありますが、逆に、これまで見えていたモノが見えなくなる事も世の中には多い様に感じます。ただ、それでも彼は先の想いと、"暴力が嫌い"で、"家族が大好き"な、"ありのまま"の自分だけは見失わなかったはずです。そんな彼が最期、病ではなく、暴力で命を落としてしまったのは余りにも悲しかった。でも、きっと彼は自分を殺めた人間を憎みはしないでしょう。そういう人でした。だからこそ、心も身体も死にかけていた亮の新しい人生が始まった、彼の再生を許してしまうんだと思います。少なくとも自分はそうでした。彼の笑顔を最後に見れて良かったです。

 亮の人生を覗いてみると、"何者かである"自分と云うか、クリスの様に強い人間になるのは、やっぱりそう簡単な事ではないなと思います。でも、そうなれなくても大丈夫だと。何者でもない、ただ"ありのまま"に生きている自分を肯定してあげる事も大切だと、本作は願っていた様に思います。本作の物語も色んな立場、順序で読み進めていった訳で、その中で抱いた感情、感想を"ありのまま"の自分として大切するべきなんだと思います。自分も他のプレイヤーさんの感想を読むのが楽しみです。

 あと、亮の再生については、路地さんの言葉から想いは汲めました。

いつかこの物語が終わっても、また次の物語がはじまる。そこに街があり、人が生きている限り、物語は複雑に絡み合いながらめぐりつづける。

路地邦昭-『BLACK SHEEP TOWN』

 終り(死)ではなく始まり(生)を告げるには、"再生"と"再会"のラストしか無かったと思います。ここで注意したいのは、不死ではダメだった事。それだと永遠に人生と云う物語が完結しないので。ラストには物語冒頭と同じく華やかな結婚式が描かれた様に、再び始まる事が示唆されていて。プレイヤーに対しても、まだここから人生は始められる的な、背中を押す優しさみたいなモノを感じざるを得なかったです。また、if√など存在しない形式は、正に現実そのもの。なので、ラストは亮に対してだけでなく、プレイヤーである私達への精一杯の『愛』だったのではないかと思っています。感謝。

 少し余談かもですが、最後にもう一つだけ。コシチェイですね、彼の言葉でも一つ刺さったモノがありました。

本能に従って好きなように生き、野垂れ死ぬべきだった。生物っていうのは、本質的にそれだけでいいと思わないかい? おれみたいな場所に住む人間からすると、社会の連中は、どうして、無理矢理なにかのふりをして生きようとしているのか、理解に苦しむね。しかも、結局誰も何にもなりきれもせずに中途半端に本性を出すんだ

コシチェイ-『BLACK SHEEP TOWN』

 この言葉には、理解できる部分もあると云うか、完全にSNSの普及によって比較から目を背けられなくなった現代に蔓延る"何者かになりたい"と云う感覚に対しての提言の様にも聞こえます。オタクになる為に倍速視聴を繰り返す人達とか一時期話題に?なりましたね。でも、"何者かになりたい"って思う人に限って結局何者になれず中途半端な芯ブレブレの人間になってる感じは解らんでもないです。彼の意見は極端なのでアレですが、もっと自身の直感とか感性、本能に従うべきだとは本当に想います。周りなんか気にせず、"好きにすればいい"、簡単な様で難しいのかもしれませんね。

 受け取ったメッセージは以上になります。あまり綺麗にまとまらず、理解が浅いとか、読みづらいとか多々あるかもですが、何か少しでも感じ取って頂けたり、考えのヒントになっていたりしたら幸いです。



2.雑感

 名作でした。正直、体験版やった段階だと、声がないの寂しいとは思っていて。でも、文章のパワーが改めて凄まじかったので、気付いたら徹夜してる位には読み耽っていました。読みやすいし、心理描写は丁寧すぎだし、展開もドラマティック。これだけの人数がいるにも関わらず、煩雑さの欠片もない、儚くもとても美しい群像劇でした。繰り返しになりますが、どの人物、立場にも愛着が持てる様に、誰にも極端には肩入れせず、全員に絶望と希望を等しく忍ばせながら、只ひたすらに淡々と巧みに描き切っていました。物語に関しては、一切文句はありませんし、どうしようもなく好きになってしまうと云うか、堪らない物語でした。
 盛大な感動シーンにしない、音楽や声優さんの演技で盛り立てない、と云う選択がコストカットなのか、意図的なのか定かではありませんが、余韻としては充分でした。"泣き"みたいな事を考えると、確かに音楽とかある方が良いとは思いますが、提供されたモノに対しての不満は一切ないですね。

 イラストは、メインで"コーンフレーcu"先生。サブで"はとば"先生。始めて見る方だったんですが、良かったです。瞳の表情とそこに宿るパワーが好み。線も勢いがあって、カッコイイの印象が強かったです。女の子達も瞳が大きいので、自然と可愛いらしく見えました。

 因みにキャラはシウが好きでした。我儘で不器用で。でも気持ちは凄い解るから、頭ごなしには責められない感じ。彼女の、「悲劇も含め全てには何か理由などがあって然るべき、じゃないと納得できない」と云う考えはわかりはするんです。でも、世の中悲しい事に理不尽な事もあるので、この辺りとの折り合いを付けるまで、彼女は我儘に映るのも仕方ない。けれども、自分自身で決断できる様になってからは見違えるほど輝いていて素敵でした。

 音楽は、"さっぽろももこ"さん。個人的には『徒花異譚』ぶりでした。今でも全く色褪せないクラシカルなスタイルでとても良かったです。曲数は多くはなかったですが、感傷的なシーンでの優しい楽曲と、襲撃シーンとかの楽曲が印象に残ってます。extraモードで楽曲だけ聴きたかったなと(笑)

 とゆーことで、感想は以上になります。
改めて制作に関わった全ての方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。"瀬戸口廉也"先生の作品は精神削られるんですが、中毒性あって何だかんだ好きな気がしてます。なので、ずっと積んでる『キラ☆キラ』もいい加減やりたくて仕方がないです。あと、ANIPLEX.EXEから、2023年発売予定で『ヒラヒラヒヒル』も発表されたので、むっちゃ楽しみです。

 ではまた!



(C)BA-KU

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