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現代物理学の巨人、仁科博士(パート1)

本書「励起」は、日本の現代物理学の父であり、物理学の世界的巨人である仁科芳雄博士の生涯を描く伝記である。
仁科博士といえば、戦中軍の要請に応えて、日本での原爆開発のリーダーだったと言うような事績が有名だが、私もそのような知識しかなかったが、実は当時世界トップ水準の物理学者だった。
原爆開発にしても、その善悪は別にして、当時世界でそういう研究をしたのは、アメリカ、ドイツ、日本の3カ国でしかない。
その後核保有国になるソ連も英国もフランスもそういう力はなかった(余裕もなかっただろうが)。
日本で出来たのは、現代物理学の基礎研究があったからで、そこに仁科博士の傑出した貢献がある。

本書は仁科博士の幼少期から始まり、東京帝国大学で物理学を専攻し、20代で欧州に留学。当時の物理学の先端であり巨人であるボーア博士に才能を激賞され、「クライン=仁科の公式」という現代物理学の歴史に残る業績をあげた。その様から丁寧に描く。

また特出すべきは、
帰国後、ボーア博士が率いる研究所ら当時の欧米の研究所のスタイルを自ら実践し、多くの優れた才能を開花させたことだ。

そのスタイルとは、
研究には上下や先輩などなく、
実力本位、自由闊達な研究と議論を徹底してさせたことだ。
仁科博士自身が間違いや非難されることを受け入れ、研究所の議論では容赦なく批判させていた。
こういう風土の実現は、日本の学会では今ですら課題なところは多い。
また学者単独ではなく、共同研究を推奨し、共創を進めた。それがその後のテーマの複雑化や複合化に対応できる基盤となった。

仁科博士が育てた多くの優れた才能の開花とは、
言わずと知れた湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一らノーベル賞受賞者や受賞級の業績をあげた巨人である。孫弟子や系譜の人を挙げれば、南部陽一郎博士など日本の科学系ノーベル賞のおよそ半分近くにのぼるではないだろうか?

一人の研究者として突出した業績をあげつつ、チームとして、あるいは後進の育成でもずば抜けた業績の人なのである。
こういうことは本当に全く知らないで来たが、仁科博士に何か申し訳ない位なのだ。
私如きが謝っても全く関係ないが。

また本書の特徴であり、魅力は伝記でありながらも現代物理学史、それも詳細な本なのである。
著者が科学史研究の第一線であるから可能なのだろう。

20世紀前後の現代物理学の革命期、その変化というか衝撃を、よくある後付けではなく、まさに変革の同時代的ナレーションで辿るのである。
今の私たちはややすれば、アインシュタインの相対性理論の発見と、量子力学ないし不確定性原理の言葉を覚えて誤魔化すのだが、一年一年位の叙述で、革命の様相、そのスピードと跳躍する様、あるいは試行錯誤すらも、再体験する。そこで初めて、20世紀初頭の革新がいかにすごいか、理解できるのであった。

本書は科学史研究でもあるが、最近科学史研究では、単に研究者の業績だけを対象にするだけでなく、研究者の生活史なども対象に含め、発見や業績の社会的背景や時代的背景を探るのが一つの方法論になりつつあるという。
本書でも、仁科家のルーツや故郷岡山県西部の地勢から解き起こし、仁科博士という巨人が生まれる背景や彼のモチベーションが明かされる。

上下巻、
全ページで1,000ページある大著だが、極めて良質な読書体験になることは、私は保証できる。

(この稿続く)
次は、仁科博士の戦後の業績、活動をテーマに、戦争末期に仁科博士が行った広島原爆の調査や
彼が立ち上げに関わった学術会議について、その構想、構築された状況の研究をベースに、軍学共同という現代的課題に合わせて考えてみたい。学術会議は菅政権時代に任命拒否で問題化したが、その原因は設立プロセスにあるというのが、今私の感覚である。



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