見出し画像

無限の戦略 アイディアは無限。では戦略は?

私が以前勤めていた広告会社時代のこと。
肌が合わない上司の一人に(肌が合わない上司はたくさんいた)、O沢氏という人がいた。
制作畑出身で社内では、自分の考えと違う相手を徹底論破して、若き頃は「広告警察」(これは70年台のミュージックシーンを沸かした頭脳警察のもじりであることは言うまでもない)と言われてたりしてた。勝手に広告表現の社内取り締まりをしていたからだ。
しかしこのO沢氏は、決してクライアントとは喧嘩しなかった。
自分の提案が相手に否定されると、反論せず、すぐ指摘を受け入れて、案を変えた。
彼の口癖は、アイディアは無限。
それと世界中を調べたか、だった(後者には笑うエピソードがあるが、紹介しない)。

プレゼンの場の変節ぶりは彼の師匠のS藤さん譲りだ。

私は制作畑ではなく、マーケティング畑で、商品開発や事業戦略立案を若い頃手掛けていたが、後年ブランド業務でO沢氏に再会し、彼の部下としてプレゼンに臨むこともあった。
私の場合、クライアントが否定しても反論したし、自分の提案へと説得することが多かったが、そして大体説得はうまくいったが、同席したO沢氏からは、後で、時にプレゼンの場で、「反論するなぁ」とか、「説得するなぁ」と非難された。

だが、
当時はこの意見はいただけなかった。

広告アイディアと違って、戦略は無限ではない。
成功への道は、狭く険しい、ワインディングロードだからだ。

アイディアは無限でも、戦略は無限ではないのだと。

大勢のプロが集まり必然的に分業化した広告会社を離れ、自分でコンサルティング会社を興して仕事すると、自ずといろんな仕事をする。snsもやるし、HPからイベント企画もやる。
もちろん私が一人で全部やるわけではない。
仲間とやるのだ。
もちろんこういう私にはくる依頼は、事業提案や運営計画作りが入り口であることがほとんどだ。
ただのsnsやイベント提案は私の出る幕ではない。

そうやって戦略だけでなく、実践の企画、ソルーション企画まで自分の手で携わると、若干前に述べた考えも変わってくる。

いろんな場面でクライアントの指摘や考えをより拾おうとしている。

反論や説得もやめたわけではないが、クライアントの指摘や反論を受け止めた策を探して再度向かい合ってる。
クライアントの指摘や意見の包摂である。
否定や説得ではなく。

もちろん自分が考えた戦略を放棄したり、抜本的に変えたりはしないけれども。

戦略は変えなくても、実践企画、HPやsnsの具体案で相手の懸念点を踏まえた変更はできる。
当然だ。
そしてそういう言わば、戦術部分を多少変更することは、戦略を不鮮明に、鈍らせることもあるが、そうではなく、より効果的な場合も多いのだ。実は。

例えば、自治体の仕事でこれから取り組む新しい子育て施策のPRを企画したとしよう。
ターゲットは若い子育て世代の女性たちだ。男性が子育てに関わるようになったとは言え、未だ女性の負担は大きい。
だが例えば施策をPRするポスターに女性だけを無配慮に出した案では、「子育ては女性がするもの」という意識を助長するものと非難されることがある。
その懸念を避けるために、若い男女が手を携えてという方向が無難だ。
ありきたりだが。

ありきたりを超えるには、改めて新しいメッセージと新しい女性像による表現に可能性があるかもしれない。

だが多くの自治体の担当者は批判も気になり、悩んでしまう。

ここではこれ以上言わないが、
こういう場合の対処法は、確実に若い頃よりうまくなっている。

その対処法が、説得ではなく、相手の意見の包摂である。
ただし、先に示した戦略は変えない。

戦略は無限ではないが、よい戦略は、思っている以上に柔軟で懐深いのである。
つまり内側に多様な実践、戦術を抱え込んで、鈍らないのである。

もしかして昔私に説教していたS藤さんやO沢氏は、
そのことを言いたかったのか?

戦略も無限か?有限か?

いや問題はそうではなくて、
豊かで懐深い戦略になっているか?なのだと思う。
そうであれば、一歩引いて相手の指摘を受けていて、向かいあっても、策は壊れないのである。

戦略は、(そういう意味では懐がと言っていいが)無限である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?