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海外の仕事を始めたキッカケとは。

こんにちは。リチャードです。

いま、海外に関わる仕事をしている。始めて、10年は経つだろうか。

プロとして、海外の仕事に。

これまでは、海外に少し関わる程度だったが、2019年からグローバルビジネス専門の部門で仕事をしている。念願の部門への異動だった。
これからは、プロとして。この異動に至った経緯も話したいが別の機会に。

先日、20代の後輩から、ある相談を受けた。海外に関わる仕事をしたいので、話しを聞かせて欲しい、と。いろいろ話しをしていくうちに、そこに相当に熱く語っている自分がいた。

そのとき、ひとつ思い出したことがある。海外の仕事を始めたきっかけを。

もともと、やりたい仕事ではなかった。

むしろ、海外の仕事は、絶対にやりたくなかった。

幼少期に海外に住んでいたこともある。いわゆる帰国子女だ。英語もペラペラ話せていたのに、嫌いだった。理由はわからなかったが、なんか嫌いだった。しかも、英語が話せるという強みも捨てた。頑なに、海外に関わる仕事はしない。そう決めていた。

海外が嫌いだった。その理由とは。

それは。

たぶん、親父のせいだったのかもしれない。

思春期になるころから、親父は長期間あちこち海外に単身赴任していた。
高校受験、大学受験、就職、進路を決めるタイミングはすべて居なかった。相談したいときに居なかったのだ。だから進路はすべて自分で決めた。結婚するタイミングもだった。結婚式の日取りも親父の帰国するタイミングに合わせるしかなかった。

だから、海外に関わる仕事は、嫌だった。過去に刻まれた出来事は、その後の人生にも大きく影響することを身に染みて感じている。

なのに、社会人になると、不思議と、海外に行く機会に恵まれた。しかも1回2回ではない。とてもとても嫌だったし、苦痛でしかなかった。あのときまでは。

海外の仕事って、いいかも。と思った瞬間。

それは、親父が単身赴任している国に、自分が仕事で出張することになったときである。

そうだ、親父と会おう。そう思った瞬間には、もう親父に電話していた。
自分でも不思議なくらいに興奮していたことを覚えている。いま思うと、嬉しかったのかもしれない。

そして、親父とその国で会った。プライベートで何度も会いに行っているのに、そのときは何かが違った気がした。

いろいろ話しをした。いままで聞けなかったことも聞いてみた。そうすると、親父から意外な答えが返ってきた。親父も後悔していたらしい。息子と本気でぶつかることができなかったことに。お互いがお互いの気持ちを理解した瞬間だった。

いままで海外が嫌いだったのは、親父に対する反抗に過ぎなかったのではないか、そう思う自分がいた。

そこからである、海外の仕事って、いいかも。と思えるようになったのは。

家に帰って、妻に話しをすると、
「血は争えないわね。」
妻に言われた言葉である。そうかもしれない。

さっそく、英語の勉強をリスタート。

そして、次の日から、ビジネス英語の猛勉強を始めていた。30代後半からの英語の勉強を再スタートしたのである。これは、けっこうキツかった。10年以上も英語に触れていなかったのだから。でも幸いなことに、ヒアリングだけは、すぐにマスターできた。英語が懐かしい感じもした。これも海外で住んだ経験があったからだと思う。

※最後に、一言だけ、書いています。少し恥ずかしい思いもあり、心の防波堤としてのロック機能的な感じで有料にしています。
また、もちろん、この記事を読んで、おもしろいと思っていただいた方、コーヒーの一杯くらいならご馳走してもいいかなと思っていただいた方、ご購入いただけると幸いです。今後のnote記事アウトプットのための勉強本の購入に使いたいと思います。

改めて、その偉大さに...

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