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ジョゼと虎と魚たち 感想

2021.12/25、初日に見に行った。
事前に内容を調べていた映画ではなかったけれど、予告で惹き付けられるものがあった。あの時に行って本当に良かったと思う。上映期間が終わるまで、5度、映画館に足を運んだ。まだ、上映しているところがあったり、再上映が決まったりと色々とあるけれど、またいつか映画館で見たい。
沢山の見た人に愛された映画だったなと思う。出会えて良かった。

・BONES初のオリジナルアニメーション映画
・「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の曲担当のEvan Callさんが曲を担当。
・「おおかみこどもの雨と雪」の副監督タムラコータローさんが監督。
・新鋭気鋭の「FLAT STADIO」が参加。
・主題歌、挿入歌に「Eveさん」が担当
  「蒼のワルツ」「心海」。
これだけでも自分にとっては、最高の安定感と豪華さ。

行く度に感想は書き貯めていましたが、今回は近くに見てくれた人がいて、自分の思いをまとめるいい機会だなと思い、ここにつづろうと思いました。良ければ少しでも拝読頂けると幸いです。

●ジョゼと恒夫の外出シーン

ジョゼが恒夫が家に初めて入る際にピンと反応した感情は何だったのだろう。恒夫にジョゼと呼ぶようその後に伝えたのはなぜだろう。サガンを読めば、何か繋がるものがあるのかなと思ったり。ジョゼはサガンの世界を表現したかったのかもしれない。

ジョゼは、恒夫に対して色々な無茶な頼み事をしてくる。まるで子どもの試し行動だった。ふすま越しでの会話が続き、ジョゼにとっては、恒夫がどういう人物なのか知るのに、約1ヶ月という期間は大事な時間だったのかもしれない。

恒夫に、四つ葉のクローバーをとって来るように頼んで、何もおこらんなあと言う。また、人魚になって外を自由に泳ぐジョゼが描かれる。それだけ、外に出たい気持ちがあったのかと思うけれど、今までそうしてこなかったのは、チヅさんの「外は怖い猛獣ばかり」と繰り返し聞かされていたことや映画の後半で告げてた自身の体験した諦めから繋がるものだろうと思う。今回、ジョゼが一人で出掛けようとしたのは、恒夫と過ごした時間が影響したのかなと思った。

恒夫との出会いと自分で踏み出した一歩からジョゼは世界を広げていって、そこから生まれた沢山のいい経験といい出会いから世界を怖いものだけじゃないと、ジョゼが思えるようになって変わっていく姿は嬉しかった。
花菜と仲良くなったのもそうだし、はじめて海辺へ向かう駅で「虎だらけや」と言い帰ろうと怖がるジョゼが、海辺から戻ってきた時には、もう他にも行きたい意思を恒夫に見せたのは、恒夫の優しさに触れたことや、海の味を確かめにいくという、ジョゼにとって一つの大きなことを成し遂げたことが大きかったと思う。

チヅさんは、恒夫に期待していたのだろうか。「面白いあんちゃんやな」「お金貯めてるんやろ」は、恒夫に何かを思ってのことだろう。ジョゼの話し相手になって欲しかったのだろうか。チヅさんは、「よう自分では外に出さん」と言っていたし、外の世界に連れ出して自立へとは考えてはいなかっただろうけれど、ジョゼに変化を期待していたのかもしれない。自分では出来ない歯がゆさもあったのかもしれないと思った。
実際、チヅさんは、ジョゼと恒夫の外出を見過ごしてるし、ジョゼがチヅさんに面と向かって「外は怖いことばかりじゃないで」と告げた後のチヅさんの喜びは、チヅさん自身のジョゼへの心配を消してくれると共に、ジョゼの自立心を感じた瞬間だったと思う。

●後半のジョゼと恒夫の海辺でのシーン

恒夫のアルバイト先のダイビングショプで、ジョゼの様子が一変した。見ているのは、自分と舞や女性客だったと思う。周囲と比較してしまった瞬間、又は過去の諦めの思い出しだったのかもしれない。
「こんなとこ来るんやなかった」そう言って、その後恒夫にはもう来ないように告げる。結局、暫くして恒夫のクラリオンエンジェルのランプのお陰で仲が元に戻り、一番怖い虎を恒夫と天王寺動物園へ見に行く。それほど恒夫を頼れるようになっていて、帰りには夢を語り、世界が一番変わって見えていて、頑張ろうと思えていた瞬間だったと思う。

それも束の間、チヅさんが亡くなる。民生委員のおじさんから現実を見るように言われたこと、舞からは恒夫が居なくなってしまうこと、一緒に居るのは同情ですからと言われたこと、どんどん追い詰められていく。
サガンの小説の一説。「・・・百万文の一の一時的な呼吸であればいいのだ」チヅが亡くなった後に読んでた言葉で、今は何も考えたくないという感じの意味だと思えた。また、秋の並木道で恒夫に絵を仕事にしたいと伝えた時と違って、夢を見ない。今を見ることを示す言葉。現実を見る言葉。その言葉を自分に言い聞かせてたように思う。

暫くして、最後の仕事として、恒夫はジョゼを連れて、最初のあの海辺へ向かう。その時には、電動車椅子になっていて、本来あるべき介助ハンドルすら無く、ジョゼの心の閉じようが伺えるし、また恒夫と出会う前に戻った感じで悲しかった。
「健常者には分からん」ジョゼの言葉は、健常者に向けた言葉ではないような気がした。恒夫のような夢を追い求めることができる真っ直ぐさ、諦めないといけないほど追い詰められた挫折を知らない人間に向けた言葉のように思えた。健常者と障害者ではなくて、どうあがいても届かない諦めを知っている人間と諦めないで強く頑張ってきて折れたことのない(諦めない)ことを続けてこれた人、違うベクトルで言葉を伝えていた。
監督がジョゼが車イス・障害者というハンデとういう設定でなくても良かったと言っていたのはそういうことだろうと思ったり。

●舞と恒夫の病院でのシーン

病院に見舞いに来たジョゼに恒夫が漏らした「もうダメかもしれない」という言葉。浜辺で諦めんなよとジョゼに告げた自分の無理解さ、ジョゼの何度も手を伸ばして諦めてしまってきた境遇、そこからの未来という不確かなものに対する恐怖をはじめてその時感じる・理解することができたのだと思う。
「欲しいものに手を伸ばすことがどれだけ怖いことか分かってなかった」という恒夫の舞に漏らした言葉の後に、舞が突然告白したのは、そんなことない大丈夫と伝えたかったからかもしれない。舞は恒夫に彼女が要らないと分かってて、絶対叶わないと思ってても、なお気持ちを伝えることで勇気づけたかったのかもしれない。

●ジョゼと舞の玄関前シーン

舞は恒夫を勇気づけようと思っていたが自分では難しいと感じたのかもしれない、だからジョゼにそのバトンを渡しに行ったのだと思う。
ジョゼは、舞の思ってもいない反対の言葉をちゃんと理解して、舞の想いを受け取った。言い返していたジョゼは舞に張り合うというよりは、想いを受け取ったよという印象を受けた。ジョゼは車椅子に登っていて舞と同じ視点で対等な高さで話していたのも印象に残っている。
そこから、ジョゼは花菜、隼人に助けを得ながら立ち上がる。そこに舞がいなかったのは、舞とジョゼはバトンを受け取った一人の地続きの関係だったから、想いは一緒だったからだろうと思ったりもする。だからジョゼは舞を本読みに呼ばなかったし、舞は恒夫のリハビリを見に行くジョゼのいる病院には足を運ばなかった(重ならないようにしてた?)のだと思う。舞はジョゼに任せた。想いを託していたのだと思う。二人の想いがちゃんと繋がったんだなと思えて、大好きなシーンのひとつ。
大好きな人を他の女性に救いを求める舞の気持ちは苦しいものだったと思う。その後の隼人の何気ない言葉かけも素敵な場面だった。

●ジョゼが物語を描いていくシーン

はじめの、絵を楽しく描いているシーンとは対照的に真剣に取り組んでいるジョゼの顔が見れる。二つ目のサガンの小説の一説。絵本を描いている時に読み上げた言葉。逃げていただけだと。逃げずに、現実に立ち向かおうとするジョゼの姿が見てとれる。
舞とのやり取りをきっかけに、ジョゼは今まで諦めていたことを、一人でやろうとしてたことに気づけたのではないだろうか。周りを頼り、そしてそこから今まで諦めるということ以外の選択肢を見つけられたように思う。
紙芝居を作り上げ恒夫を励ますために花菜、隼人にも頼っている。人一人には限界はあるけれど、周りを頼ることも含めて生きることが自立することだと気づいて、自分の夢を一人では無理でも、周りと一緒に追い求めるというか、人と人との繋がりで乗り越えていけるということを知ったように思う。

世間は猛獣ばかり、そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、注目すべきは周りの自分を大切にしてくれる人を大切にすることが大事ということだと思った。そんなに広く自分の周りを見なくていいのだと思った。

●一人で天王寺動物園の虎を見に行くシーン

紙芝居づくりの過程は、ジョゼにとって恒夫との別れの予感をはらむものでもあった。
それは彼女が描いた、恒夫との関係を投影した紙芝居の内容からしてそうだ。人魚は最後、海へと帰ってしまう。自分を世間に対して開いてくれた恒夫に対して、同じだけの働きかけを“返して”してイーブンになること。そうしたらそれぞれの道を歩いていけばいい。それがジョゼの出した結論のように思った。

退院が決まったと告げる恒夫の言葉に、ジョゼの手が動揺したような動きを見せるのは「その時がきた」と思ったからだし、「あたい幸せや、ありがとう」とだけ言い残して去った行動からもそうかなと思う。ゆきちにも「甘えてたらあかん」、「一人で虎と戦うんや」と言っていた。ゆきちはジョゼの写し身。

だからこそジョゼは、自分がひとりで生きていけることを確認するため、かつて恒夫と訪れた天王寺動物園を訪れる。
ジョゼにとってトラはこの世で一番怖いもの。以前ジョゼは、怖くて恒夫の腕にすがりついていた。けれど、今度は違う。一番怖いトラに、たったひとりで対峙しようとする。それは「これを乗り越えれば何も怖いものはない」という、ひとりで生きていくための覚悟の決意なのだなと思った。

●ジョゼと恒夫のラストシーン

ジョゼが一人で生きていくというのは、恒夫の側にいることが恒夫の夢を潰してしまうことや同情で自分に関わってくれているかもという後ろめたい想いを拭いきれなくてというのがあったと思う。
雪道でのジョゼの表情は悲しそうだった。恒夫にちゃんと働きながら絵本作家を目指すと言う。「あたいは十分押してもろた」と言い、自立しながらも夢を諦めないことを言う。でも、恒夫自身の夢を諦めて欲しくなかったから、同情から心配して欲しくなかったから、恒夫との恋は諦めていて、悲しかった。
恒夫の「ジョゼのためじゃない 俺が管理人でいたいんだよ」という言葉からの、ジョゼの感情変化は大きなものだったと思う。キスをした後のラストの坂道の背景は先程の暗さと比較して輝きに満ちていた。
大好きだったのは、ジョゼがキスし返した後の二人の表情。くすぐったそうな嬉しそうな可愛いシーン。

●最後に


自分で立っていこうとするジョゼも格好よかったけれど、一人じゃなくて、ちゃんと周りの助けも自分の中に認めていけるジョゼは凄いなと思った。恋で揺れ動くジョゼはとても切ないし可愛くもあったし、夢と現実をちゃんと見て進んでいく姿はりりしさを感じた。
隼人も舞も花菜も、誰一人として欠けていたら成り立たない素敵な物語で、ジョゼにとってかけがえのない友人ができて良かったなと思う。
世の中の大人は、夢を潰しに来る人もいる。自分の今の現実と過去の経験から否定や助言をしてくる。それは、その人のものであって、他の人に当てはまることではないし、時代も違ってくる。決めるのは。自分であって、自分で選ばないとその選択に責任がとれなくなってしまう。大人や周りの人は、一緒に考える存在であって欲しいと思う。
そして、諦めることはないことをちゃんと心に刻んでおこうと思えた。どういう形であれ、思い、考え、何らかのアクションをおこし続けていれば、きっと何処かでチャンスがやってくる。そういう風に希望をもたせてくれる作品だったと思う。

監督の拘りとして、言葉ではなく表情・仕草で細かいことが伝わるようにと言われてて、気づけない部分もあったりした。なので、監督の本意とは違ってしまうが、漫画と小説と原作小説を見てからだと、より理解が深まった。
漫画は、絵本奈緒さんで、アニメのキャラクター原案担当されてるので、アニメと絵柄が一緒でとても良いものだった。ゆっくり観賞するのにおすすめ。
つばさ文庫の方には、感情表現が文章化されているところもあるので分かりやすい。

●おまけ(映画での細かい設定)

【ジョゼ監督タムラコータローさんからマル秘話等
(原作小説・漫画・つばさ文庫小説からも含む)】
・ジョゼの部屋のデザインは、廻るピングドラムの美術担当の方(納得
・恒夫の好きな食べ物はプリン(舞のお見舞いシーン)
・パンフレットより、ジョゼの絵ははじめは色鉛筆とクレパスで、恒夫と画材店に行ったあとからは、筆を使って絵の具で描く。
・あまり緊張すると息がしずらくなる(はじめの坂のシーン)
・家事はこなせる
・管理人と呼ぶのは機嫌が良いとき(原作小説より)
・券売機で戸惑っているのは、切符の買い方が分からない戸惑い
・恒夫がスペインに留学した後も、舞と隼人がちょくちょく買い出しの手伝いやら、付き合いがあった(つばさ文庫より)
・ジョゼが作った絵本は、その後、図書館に置いてある
・坂道でガブついたのは、恒夫が起き上がるさいにジョゼの肩に無意識に手を置いてしまったから。
・魚のランプをプレゼントしたのは、使っているランプが接触不良でよく灯りが点滅してたのを見て
・恒夫が車に弾かれた際に、車いすから落ちたジョゼは駆けつけた女性の「脚」に視点がいっている。
・図書館でカード作成のときに、花菜に尋ねられキョロキョロしたのは、恒夫を探していたから。
・ジョゼの車椅子を片手で押している場面がある。その方がトークが盛り上がるらしい。(図書館帰りのシーン)
・ジョゼの恒夫が退院できることになった際に言ったありがとうは、別れの言葉。
・退院してジョゼの家に行った時、荷物がほとんどなく、恒夫との思い出の品だけを置かれていた。
・舞は東北出身
・隼人は大阪
・恒夫は広島(原作小説より)
・ジョゼの家にある本は、チヅが近所から貰ってきたものばかり。
・ユキチはジョゼの移し見
・映画の高さの視点は、車椅子視点、ジョゼと恒夫の視点と細かに変化している。
・介助ハンドルが電動車椅子になって無くなった。普通はついているが、外されている。ラストはハンドルがついている(空港での見送りの時点から)。
・料理をすると言ったのは、お店の料理してるところを見たから。
・ユキチは飼い猫に。ちょこっとジョゼの新居にエンディングで出ている。
・ジョゼの座りかたは、下半身の血流を圧迫しないように足を広げて座っている。(絵を描いているシーン)
・恒夫はA型→映画の輸血シーンより
・ジョゼはAB型 誕生日は3/3


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